第二十一話『翼をもがれて』(3)-2

AD三二七五年七月二〇日午後二時三四分


 自分は一体何をやっているのだろうと、一歩足を踏み出す度に、ルナは考えた。

 ラングリッサ近郊の町に潜入して丸一日経ったが、まったくもって進展がない。

 しかし歩くと不思議な町である。何度か物見でフェンリルが治めている町には入ったことがあったが、この町の雰囲気はそれとは何処か違うのだ。


 フェンリルは会長であるフレイア・ウィンスレットのその異常なカリスマ性から宗教国家とまで揶揄されている。実際、町のそこかしこに、フレイアの肖像画が飾られている町もあった。

 あればかりは流石に引いた。


 しかしだ、この町にはまるでそんな気配がない。大概どの町にも一枚かそこらは肖像画があるのだが、町の何処を見渡しても、そんな物は存在しない。

 まるでここだけフェンリルと独立したかのようだとも思った。


 ふと、そのことを露店で聞くと、この町の気色が違うのは統治している人間の問題らしい。

 ハイドラ・フェイケル。あの男が治めているのならば、何処か納得できる。


 一回、ベクトーアがフレイアとハイドラの離間を掛けたことがあったが、失敗した。

 というよりも、何故かハイドラはフレイアを殺そうとしているにもかかわらず、互いに別れようとしないのだ。

 何かあるとしか思えない。


 しかし、こうしてみると、この町の景色は何処かのどかだ。治安が行き届いているからだろう。石造りの建物がそこかしこに軒を連ね、まるで絵画の世界に入り込んだかのような錯覚を覚える。

 ハイドラはそういうことを目指したのだろうか。だとすれば、ハイドラがフェンリルに付いている理由は何だ。

 考えるだけ、分からなくなる。


 しかし、今は任務の方が大切だ。わざわざ自分が立案した作戦だ、これを実行しなければ意味がない。

 レムを救い出すと同時に、わざと捕まってラングリッサの中に侵入して内部から破壊する。


 ディスが変装すればいいと、アリスは言ったが、さすがにあれだけ派手に暴れた後だったからか、基地は完全に閉鎖されていて、あそこだけはまるで絶海の孤島と化していた。

 ともなれば、自分の身を投げ出すしかないのだ。先天性コンダクターという他に類を見ない存在を、フェンリルが放っておくはずもないと考えたのだ。


 後天性コンダクターであるレムが捕まった今、先天性も捕まればなおのこと士気も上がるだろう。それにつけ込む。

 そのための策も既に練ってある。


 しかし、分からないのはレムの居所だ。基地の何処かにいるかとも思ったが、ハイドラが連れ去ったという噂もある。

 出店で買ったリンゴをかじった後、一つ溜め息を吐く。


「まったく、どこにいるのやら」

「探し人か、フレーズヴェルグ」


 思わず、リンゴを落とした。この声、懐かしい響きがしている。

 振り向くと、やはりそこには、エミリア・エトーンマントがいる。


 だが、一〇年でエミリアは変わった。何故か、ルナのことを覚えていない。名も、何故かソフィア・ビナイムと名乗り、シャドウナイツの黒コートを羽織っていた。

 何より、目が変わった。殺気が、何処かに浮かんでいる。


「久しぶりね、エミリア姉ちゃん」

「誰のことを指している、フレーズヴェルグ」


 冷たい声だった。


「我らの領土で嗅ぎまわっているようだが、随分と大胆なことをするようだな」

「昔からそう言う性分だって事、知ってるでしょ」

「お前の昔など知らん、フレーズヴェルグ」


 頑なに、相手は否定し続けている。

 そして、ソフィアは悠然と、後ろに担いでいた片腕と半身を丸々覆わんばかりに巨大なシールドナックルを腕にはめ、構えた。

 自然体に構えているが、一度だけ、左手の拳を握りしめてから、手を楽な態勢に持って行く。

 その構えは、エミリアのクセそのものだった。彼女は強かったが、それ以上に多くのクセが目立った。


 後ろに下がったときに、地面の感触を確かめるために、わざと一回少しだけ足を上げるクセ。構える前に、気合いを入れるために、一度拳を握るクセ。

 そんなクセがあるが、エミリアは強かった。それに、優しかった。


 あの当時のルナには、いい思い出はほとんどない。ただ、兄と一緒にエミリアとよく遊んで、互いに格闘術を、エミリアの祖父の元で修練を積んだ、それだけが、ほぼ唯一の思い出だ。

 そして、血のローレシアでエミリアは死んだと思っていた。

 だというのに、何故彼女は、名を変え、姿を変え、そして、自分の前に殺気を持ったまま構えているのだろう。


 だが、一瞬だけ、頭に過ぎったことがあった。

 洗脳。ないしは、人格の書き換え。

 それがあり得るとしたら、エミリアの人格は、もう死んでいるのか。

 それとも、眠っているだけなのか。それは分からない。


 しかし、前の相手は本気のようだ。一気に踏み込んできた。

 速い拳だ。だが、元より計画のうちだ。避けずに、鳩尾を一発殴らせた。

 少しだけ体を後ろにやることで、衝撃は少し殺した。しかしそれでも、吐きそうになるほどの衝撃が、体全体に響き渡っている。


 それに、意識が遠のく。予定通りと言えば、予定通りだ。これで基地の中に堂々と入れる。後は、レムを見つけると同時に、ラングリッサの要塞をぶっ壊せばいいだけだ。

 そう考えれば、楽なものだ。レムに言われた通り、少し気楽に考えると、不思議となんとかなりそうな気もする。


「何故、わざと殴らせた?」


 ソフィアは、少し動揺した声を出している。


 作戦のうちだからよ。


 意識が飛ぶ前に、ルナは心の中だけで、そう反論した。

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