第二幕終章
AD三二七五年六月二八日午前一〇時三二分
ゼロは相も変わらず、一人リラックスルームのベンチに思いっきりだらけて腰を落ち着けていた。
この三日間で結構自分にもダメージがいった。普通の人間ならもうとっくに死んでいる。
こう言う時に限って自分の身体が役に立つ。
自分では忌み嫌っているが、それでも役に立たなかったことがない。皮肉と言えた。
そんな状況だからか、彼はこの部屋の窓から見える
しかし、なんか艦内が慌ただしい。
「ったく、集中出来ねぇじゃねぇか……」
ゼロは椅子から立ち上がろうとするが、それより前に彼の方へ近づいてくる『臭い』がある。
その臭いのする方を向いたら、案の定ルナがいた。
「よぅ。もう独房はいいのか?」
「あんな所もう懲り懲りよ」
ゼロの質問に対してルナはため息を吐いてそう答えた。
「なんかこん中うるさくねぇか? 何があんだ?」
その言葉にルナが何故か仰天している。
「館内放送聞いてなかったの……?」
ゼロは有無を言わさず頷いた。
そしたら有無を言わさずルナはゼロの顎に思いっきり掌底を当てた。
かなりいい音だった。ゼロの視点は脳への凄まじい衝撃と共にルナからいつの間にか天井へと移っていた。そして一瞬天井に星が見えた。危うく意識をあの世に飛ばされるところだった。
この女はだから怖いのだ。
そしてルナはゼロの顔側面を掴んで無理矢理自分の方へと視線を持ってこさせて殺気満々の声でゼロに言う。
「あのね、うちらようやく『ホーム』に帰還するの。それで着艦準備が忙しいの。荷物全部出さなきゃいけないからね? それとも処分されたいのかしら? ん?」
その時ゼロは顔をしかめた。叢雲もホームと呼ばれている。そこに帰るなどと言われても訳わからん。
当然その疑問をルナにぶつけるとルナはあっさりとゼロから手を離して説明する。
「うちらとてジプシーじゃないのよ? そりゃ転戦はしてるけど、当然本拠地はある訳よ。で、今からその本拠地に行くって訳」
するとルナは腕時計を見て時間をチェックする。
「そろそろ見える頃ね。ゼロ、こっちに来てご覧なさい」
そう言ってルナは窓の方へとゼロをせかすように誘う。ゼロは
『こういうところぁガキくせぇなぁ……』
などと顔に出さず心の中で苦笑しながらルナの隣へと向かう。
ルナは窓の先を見ている。今そこには雲しか見えない。
しかし、少ししてだろうか、徐々に雲が途切れてきた。
「あ、見えたわ」
ルナはそう言った後、雲を割って現れたのは、真っ青に晴れ渡った空と、海に浮かぶ巨大な人工島であった。
二〇キロ四方に渡るその大きさはやはり圧巻だ。ゼロも思わず
「でけー……」
と開いた口がふさがらなかった。
「ベクトーア軍フィリム第二駐屯地。全部で八個の艦隊並びに大隊の拠点となっているの。首都であるフィリムの最東端だから、案外色々と揃うし、何より設備もなかなかにいいわよ」
ルナの解説曰く、なんでも格納庫から戦艦整備施設から娯楽施設にトレーニングルーム、ネット対戦可能シミュレーター、世界で一二を争う優秀なスパコン、そして寮など異様に色々とあるらしい。
ルーン・ブレイドはここの所属のようだ。なんだかんだで戦場を転戦して一ヶ月が経ったようで、補給もしたりなんなりしてきたが、さすがにそろそろ機体の調整や戦艦そのものの修繕作業も本格的にやらねばならない時なのだろう。
それに、休養もまた必要である。
『諸君、一ヶ月に及ぶ遠征、誠にご苦労であった』
ロニキスの館内放送による訓示だ。その声は実に堂々としている。だからこそ彼が艦長でいられるのだ。
『これより後、我らはしばしの休息に入る。だが諸君、これからは更に辛い戦いが待ちかまえておるやもしれぬ。そのためにも、鍛錬と修練を忘れるな、以上!』
訓辞としては比較的簡潔だが、これくらいがこの部隊のメンバーの性に合っていると彼もなんだかんだで理解しているのだ。
ゼロもまた、そう言う性であった。
だからこの時、彼は改めて思ったのだ。
ここに来たのは、正解だった、と。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一ヶ月ぶりの帰郷は駐屯地にいる将兵の喝采で迎えられた。
着艦した叢雲はただちにベイに移されそこで徹底的な修理を受けることとなった。当然機体も徹底修理だ。
運用が結構荒っぽいのが祟って修理には当分掛かるそうだ。どうやら少し長めの休日になりそうである。
もっとも、結構メンバーは喜んでいたが。
そしてルナもそんな一人だった。深呼吸をして自分が帰ってきたことを確認する。
温暖な気候の中にも少しだけ暑さがある。そろそろ夏に入る。こう言う時が彼女は一番好きだった。
「すげぇもんだな……」
ゼロは周囲をきょろきょろ見ながら下りてきた。
空からはその巨大さに圧巻され通しだったが、陸に来たら来たで延々と続く基地の地平に圧巻されている様子だった。
そしてそんなゼロをルナはクスリと笑う。意外に子供っぽいところがあると思うと、何処かほほえましく思えた。
ルナはゼロの方を向いた後、軽く敬礼をして改めて挨拶した。
「ゼロ・ストレイさん。ようこそ、ベクトーアへ。そしてようこそ、フィリムへ」
軽く微笑んでルナは言った。こう言う時が一番彼女らしいとゼロは常々感じる。
やはり彼女には戦いは似合わない、ゼロはそんな気がした。
「よーっす、ルナ。へばってるもんだとばっか思ってたけど意外に元気じゃねぇか」
ルナの後ろの方から声がした。彼女が振り向くと、そこには修理用の機材を持ちながら彼女に向かってくる二人の男がいた。内部の補修部隊だ。
「あれ、どしたの?」
「内部の扉一個壊れてるんだって? 艦長から聞いたぞ」
そう言われてルナはハッとする。
携帯電話の電源を入れておくのをすっかり忘れていた。考えても見れば昨日からのメールを一切合切受け取っていないことになる。
彼女はすぐに携帯電話を出して電源を入れ、メールの受信状況を確認した。
するとその中の一件にこんな項目があった。
『扉の修理に補修部隊を待機させておいた』
この一文を送りつけた主、ロニキス・アンダーソン本人である。しかも送信時間、午前六時三七分、艦長室を出てその三分後だ。
ルナの顔がみるみる空と同じような色に染まっていく。
何か、壮絶に嫌な汗が、彼女の背中を伝い落ちた気がした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「は~……やっと出来た~……」
レムは扉の前で胡座を掻いた。その顔は何かをやり遂げた立派な顔をしている。
見れば艦長室の扉が綺麗に直っているではないか。何故か輝きまで以前より増している。
何という美しさか。うん、自分でもほれぼれする。
レムは自信満々にそう思った。
「少尉、何をやってるんだ、私の部屋の前で」
ロニキスがレムに話しかけた。荷物を取りにブリッジから自分の部屋へ来てみれば、何故かレムがそこにいる。ロニキスとしては不思議でしょうがない光景だった。
「ああ、責任取って直したッス。綺麗っしょ?」
レムがニヤリと笑って親指で扉を指した。
ロニキスも感心していた。
「一人で直すとはなかなかに見上げたものだな。これなら補修部隊来ることになってたんだが、別に必要なさそうだな」
この言葉を聞いた瞬間、レムの動きが止まった。
レムは思いっきり力の抜けた声で尋ねる。
「……艦長、どゆことッスか?」
「いや、扉の修理は補修部隊に任せておけと大尉にメールしたんだが……」
その言葉を聞いた瞬間、レムはすっと立ち上がった。
頭の血管がピキピキ唸っている。もはやその目は狩りのためだけに生きる獣の目だ。
そして、ロニキスが止める間もなく疾走する。
「少尉、廊下を走るな!」
ロニキスは叫ぶが全くレムには聞こえない。というかロニキスよ、他に言うことはないのか。
そして整備デッキから一気に外に出るやないや。相手を探す。
いた、しかもコソコソと逃げようとしているではないか。
「そぉこぉかぁぁぁぁ!」
絶叫を上げながら、レムはルナに奇襲を掛けた。
ルナは恐らく本能的にレムの攻撃を避け、何事かと事態を把握する。そしてレムを見た瞬間
「げぇ、レム! お、落ち着いて! これには深いわけが……」
などと言い訳をしようとした。
あれ程活気に満ちていた基地はしんと静まりかえり、みんなして恐怖に戦いている。まるでこの世の終わりでも来たかのようだ。
そして言い訳など今の彼女にとって見れば火に油を注ぐ様な物だ。ますます血管の唸りが増していき、目つきもより凶暴になっていく。
「じゃかぁしい! その不遜な態度、天が許そうが地が許そうが、この神様仏様レミニセンス・c・ホーヒュニング様が黙っちゃおらぬぞ、このDQN動物め!」
もはや最後が訳わからない。
しかしここはルナ、責任を持って大人としての規範を示し素直に謝る、かと思ったが、彼女もまたレムと同様の壮絶なる怒りを抱えだした。
「あ~ら、萌えキャラの出来損ない如きがあたしに対して口を効こうなんて一万と二千年早いわね、こんの引きヲタがぁ……!」
明らかに逆ギレである。姉として人として最低だぞ、ルナ・ホーヒュニング。
この言葉を聞いた瞬間、レムの最後の最後まで残っていた理性が吹き飛んだ。
ぷちんと、何か切れてはいけない物が完全に切れた気がした。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
なんだかよく分からないが、殴り合いの喧嘩が始まった。
それを生暖かい目で暢気に見る三人の若人がいる。
ブラッド、ブラスカ、アリスである。
三人とも
「元気だねぇ……」
などと呆れつつ、早速紙を持ってきて下馬評を作り出す。
「どっちに賭ける?」
「ルナに三千かけるで」
「じゃ、あたしはレムに五千」
止める気は誰もないらしい。
しかし、女同士の喧嘩はなかなかに派手だ。
男同士での殴り合いなら絶対にやらないであろう髪の引っ張り合いのみならず、爪を立てるわ頬をつねるわでやりたい放題である。
そしてこの基地の連中もまた止める気など無いらしく、既に賭場が形成され、歓喜の渦に湧いていた。
この基地の連中は、根幹がみんな同じなのか……。
なんだかそう思うと頭が痛くなってくる。
結局この試合、二時間にも及ぶ壮絶な殴り合いの末、ダブルノックアウトとなり両者共に医務室送りになった。
そして、医務室に送られていくボロボロの二人を見ながら、ゼロは思った。
俺は何でこいつらについていこうって考えたんだ……。
なんか先程とまるで逆の考えのような気がするが、そんなことを今更疑問に感じつつ、夏色に染まった蒼い空を見上げるゼロであった。
(第二幕・了)
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