第二話『再会』(2)

AD三二七五年六月二三日午後八時二六分


 ビルの屋上で、レミニセンス・c・ホーヒュニング-レムは天高く手を挙げ、月を掌に収めようとした。

 ブロンドの髪の毛とエメラルドグリーンの瞳が印象的なまだ少しあどけなさの残る少女。それがレムの第一印象だった。少しだけ出た胸元から覗く召還印が、彼女を引き立てている。

 父親が『後世の記憶に残るほどの偉人になれるように』という願いを込めて自分の名前を付けた。この名前自体嫌いではないし、由来も好んでいるが『名字も含めた名前が長すぎる』というその一点だけが不満だった。おかげで『レム』という愛称がついた。これなら短くていいかと彼女は納得している。


「やっぱ大きいねぇ、お月様って奴はさ」


 レムは呵々と軽快に笑う。


「何やッてんだ、レム」


 後ろから少し暗い男の声がした。見ると男が階段から屋上へ上がってきていた。

 レムは少し振り向いて


「いや、この場所だけはのどかでいいなぁって思って」


と笑いながら言った。

 齢十六。まだ若い。だからこんなに無邪気な表情も浮かべる。時に、痛々しいほどに感じるくらい、彼女は笑う。

 そして、それを聞いて一人呆れた全身黒ずくめの男は『ジャルムスーパー16』というタバコを壁にもたれながら吸った。

 ブラッド・ノーホーリー、男はそう呼ばれていた。年は二四と、レムより一回り大きい。

 彼と付き合ってかれこれ二年。様々なことを体験したが、未だに時々この男のことがレムはわからなかった。どこか飄々と、世の中を斜に構えている様な、そんな印象があるからだ。


「思ったよりも遅いな、あいつ」


 レムは一つだけ頷くが、彼女はただ一言


「大丈夫だよ」


と言う。

 そう言って不安に負けないようにする。それが、彼女が戦場で学んだことだった。


「しかし、たかが一人の傭兵のためにあいつが命を懸ける。ま、そいつが絶対に何かあるって事だきゃ確かだ。俺の野性の勘がそう教えてやがる」


 この男、確かに勘は生半可でないほどいい。実際レムも昔は「予知能力者か」と疑ったくらいだった。


『なしてそう思うんや?』


 突如として通信機の奥から聞こえてくるなまりのある言葉。それにブラッドが反応する。


「考えてもみろ。奴が雇ったのはただの傭兵だ。そう、『ただの』のはずだ。そうなのになぜあいつは固執するんだ? 理由は簡単、裏があるって事だ」

『はい、お見事。「プロトタイプ」保持者よ、彼』


 通信機の向こうで更にもう一人の女性の声がした。どこか冷めた印象を持つ声だった。

 だが、レムはこの声が嫌いではなかった。


「なるほどね。そりゃ興味持つだろうね。姉ちゃんらしいや」

「あいつってホントに好奇心旺盛だな」


 ブラッドが苦笑する。そう思いたくなる気持ちはわからないでもない。実際妹であるレムから見ても、ルナは少々幼いというより成長が止まってしまったような箇所が見受けられている。

 それもまた個性だろうと、レムは割り切っていた。


『ま、相手はどうあれじっくりサポートさせてもらうさかい』

「了解、こっちはここでしばらく待機だ。高みの見物させてもらうぜ」

『ゆっくりしすぎんなや』

「了解してる」


 ブラッドは通信機を切った後、先程まで吸っていたスーパー16を吐き捨て別の物を吸い出した。


「吸いすぎは毒だよ。一日五〇本もよく吸えるよね」


 レムは呆れたように言った。

 一日五〇本と言っていたがこれは本当だ。ブラッドは相当のヘビースモーカーで喫煙率は部隊創設以来ダントツトップ。しかもこのタバコ、ニコチン二.三ミリグラム、タール四六ミリグラムもあるのだ。こんなのを一日五〇本、確かにレムの言うとおり吸いすぎである。

 しかし、彼の健康診断の結果は『超健康優良体』とまで称されるほど完璧であるから不思議である。


「こーゆーのが美味いとわかれば大人の証なんだよ。難なら吸ってみるか?」


 未成年にタバコを勧めるという地点でもう人間として失格である。この男最低だ。


「うんにゃ。私はそーゆーのには手ぇつけたくないんでね。ついでに私未成年だし」


 典型的な楽天主義者である彼女はよくこういった気楽な台詞を言う。それ故に彼女は隊のムードメーカーとしても存在している。


「よく言うぜ……。買いたい物は給料いくらでもつぎ込んで買うくせに」


 レムは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに切り返す。


「いいじゃん、コレクターなんだから。あんたが女囲ってシコってんのと変わんないよ」


 ブラッドは呆れて聞く耳持たんといった感じで再びスーパー16を吸い出した。女と遊ぶのとレムのアホみたいな趣味を一緒にされるのだけは、いささか心外である。

 こういうのを『五十歩百歩』、『ドングリの背比べ』という。しかし、なんだかんだで気のあったコンビである。

 そうやって笑っていたが、レムには先程の『呼ばれた感覚』が気になって仕方がなかった。


「さっきはどうした?」


 ブラッドもどうやら自分の異変を感じていたらしい。こういうのはヤケに敏感だ。

 だが、さっぱりわからない。だから正直に


「自分でもわかんないんだ、これが」


と苦笑した。


 どうせ気のせいっしょ。少し疲れているのかも知れないし。たまにゃぁゆっくり休むべきなのかねぇ……。


 レムはまた月を見ながら心の中でそうぼやいた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「で、あれかいな?」


 ブラスカ・ライズリーは横にいる長身の女-アリス・アルフォンスに問いただした。

 全身にある数多の古傷と、顔の左半分を覆った火傷跡、そしてその火傷によって義眼に変えざるを得なかった左目、これがいちいち戦場に出てくると疼く。


 誰もいないビルの上に待機し、そこから戦場を少し見ているだけでも疼くのだ。この感覚にはまだ慣れない。

 とりあえず算段としては下で暴れているルナと傭兵の救助後に撤収、アリスはそれをサポートという形になった。


 アリスは『ハウリングウルフ』と呼ばれている彼女が独自に開発したアンチM.W.S.ライフルを持ち、床に伏せている。

 FCSを搭載しているためコンピュータ制御による正確なスナイピングを可能としているが、なんせ一四.五ミリ×一一四という口径もさることながら全長一七五センチメートルの大型武装ということも重なり取り扱いが大変なのが欠点だ。

 しかし、これでもアンチM.W.S.ライフルの中では小型である。そのため一個のマガジンに入る弾丸はたった五発。一撃必中が何よりも要求される武器である。


「あたしがこいつでガンビットを落とすから、それを伝って二人を救助、さっさと退却することね」


 この女は何かと高圧的だ。だいたい彼女、砲術に徹する様だが、白兵戦の零距離戦闘も大得意である。そのため付いたあだ名は『両極端な者』だ。常に彼女は胸に大型のナイフを二本装備しているが、どうやら今回は使うつもりがないらしい。

 豪快に暴れる様子を期待したが、少しがっかりしている自分がいたことにブラスカは気付いた。


「ま、とにかく暴れてらっしゃい」


 アリスは素っ気なくそう言うと、頭部のターゲットスコープをおろした。片目しか掛からないがそれだけで十分だ。それが敵の正確な距離やターゲットの情報を知らせていく。

 ブラスカはアリスの顔が一気に豹の様な獣の表情へと変貌を遂げたのがわかった。

 アリスは弾丸の行き先をガンビットのコクピットにセットした瞬間にセーフティを解除した。

 互いに一度息を吸った後、アリスは小声でブラスカに言う。


「Go」


 この言葉と同時に、彼女はトリガーを引いた。銃弾はいとも簡単にガンビットのコクピットを貫き、ガンビットは大地に轟音を立てながら倒れる。

 その間に彼女は第二撃のためにボルトハンドルで排莢するやいなや、一機破壊されたことに驚いて行動が一瞬止まっているガンビットに狙いを定めつつハンドルを前進させ次弾を装填、トリガーを引いて破壊した。

 最後の一機も同じ方法だ。それも見事に命中した。

 さすがと、ブラスカは感心するが、今はそんなことをしている余裕はない。


 ほな、いくか。


 ブラスカは背負っていたハルバードを両手に持ち、崩れゆくガンビットを伝いながら、ルナの前に降り立った。

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