まちぶせ
放課後、待ち伏せされていた。
「お疲れさま、風坂」
微笑んでみせたのは、葉鳴万知。朝、あたしの体にさわった女。
万知の隣に立つ静世は黙ったまま、メガネの角度を直した。機嫌悪そうだ。
というか、あたしのほうこそ、機嫌悪い。
「なんで?」
「なんでここにいるのかって? 下校時刻になれば、風坂がここを必ず通過するからね」
「違う……なんで、あんたが黒曜館の中に?」
万知は黒い扉にもたれかかってる。あたしがにらんでも、気にする様子がない。
「許可はもらってるよ。静世センセイにね。センセイがわたしをここに入れてくれた」
静世は目を伏せるようにしてうなずいた。
「学長にも葉鳴さんの入館を報告してあるわ。風坂さんこそ、あまり黒曜館の中をうろうろしないで。ここには機密事項がたくさんあるの。まして、風坂さんのプライベートな空間ではない。わかっているわよね?」
「北塔だけよ。許可、あるんでしょ?」
「ええ。学長にも報告したし、許可もいただいているわ」
「あたしは、北塔以外には、行ってない。信用できないなら、監視カメラの映像、あるはず。どいて」
「風坂さん、あのね……」
何か言いかけた静世の唇に、万知が人差し指を押し当てた。静世を黙らせた指先を、万知はぺろりと舐めた。みるみるうちに静世が赤くなる。
違和感。
静世がこんなに簡単に黙るなんて。それに、あんな表情。
万知はつかつかとあたしに近寄ってきた。あたしは万知をにらんだ。万知は平然としている。
「ねえ。風坂は友達がいないよね?」
単刀直入な質問。
深呼吸して、答える。
「……いるわけ、ない」
「昼休みでも放課後でも、教室に行ってみればいいのに」
「教室って?」
「二年一組。静世センセイが担任するクラス。わたしたちはクラスメイトなんだよ?」
「クラス、メイト」
万知はあたしに右手を差し出した。朝と同じ仕草、同じまなざし。大人びていて、どこかに毒が含まれた、きれいな笑顔。花の匂いがする。
「わたしは風坂と仲よくしたい。だから、静世センセイに無理を言って、ここへ入れてもらったんだ。よかったら、今日、一緒に帰らない?」
何を、言ってるのよ?
あんた、なんなの? あたしと話をして、何になるっていうの? だいたい、どうして、一般生徒があたしのこと、気にしたりするの?
違和感。
そして、恐怖。ふわふわした恐怖に呑まれる。
「お、お断りよ。あたしは……た、他人と調子を合わせるのが、嫌いなの……ほっといて」
静世に呼び止められたのを無視して、あたしは黒曜館から飛び出した。
中庭に出てすぐに、おかしいと感じた。いつもと空気が違う。秋バラの控えめな香りに、何か、青臭さが混じっている。
「あっ……!」
垣根のバラが首を落とされていた。一つ二つじゃない。全部だ。
鋭い刃物でやられたんだろう。スパッとした切り口が、午後の太陽にさらされている。満開の花も、咲きかけたつぼみも、黒く湿った土の上に転がっている。ところどころ、踏みにじられた跡もある。
「風坂さん、どうしたの?」
静世が黒曜館から飛び出してきた。万知が続いた。さっきあげた声が、思ってたより大きかったんだ。
あたしは足下を指差した。
静世の表情の変化はわかりやすかった。口元を両手で覆って、さっと青ざめた。
万知は、すんなりした指であごをつまんだ。記憶をたどるみたいに首をかしげる。
「朝はこんなことなかったのにね。昼過ぎに真珠館から中庭を見たときは、どうだったかな? とはいっても、一階のあの部屋からは、もともと見通しがよくないか」
「そうね、わたしの部屋は中庭に面しているけれど、窓のすぐ脇にツバキの木が立っているから」
わたしの部屋? 静世の教科資料室に、二人で一緒にいたってこと? 葉鳴万知って女、ほんとに、ただの生徒?
違和感が重なる。ザワザワする。
わからない状況が次々と現れるせいで、吐き気が。
いけない。気にしちゃダメ。落ち着いて。
あたしはピンクのバラを拾った。小さな棘が手のひらを引っかいた。バラを垣根の枝の又に乗せる。もちろん、こんなことしてもバラは元には戻らない。
「不愉快」
吐き捨てると、万知が反応した。
「不愉快? 風坂は花が好きなの?」
「別に」
「好きでもない? じゃあ、どうして不愉快?」
「あんたは?」
万知は長い髪を掻き上げた。
「わたしは、そうだなあ、不愉快というのは少し違うかな。でも、謎があれば解きたくなるのが人のさがだね。犯人捜しでもする?」
あたしはかぶりを振った。
頭の中で論を組み立てる。これは会話ではない。説明、論述。数式を使わない証明。そう理解すると、あたしの舌は動き出す。
「誰がやったかってのには興味ない。なんでこんなことができるのかがわからない。わからないことをそのままにしとくのは不愉快よ」
「誰かがバラの首を切った。その行動の理由を論理的に説明されたら、どう? 風坂の不愉快は消えるの?」
「別の不愉快が起こると思うわ。こんなの、正常な人間のすることではないもの」
「なるほど。異常な現象は不愉快を生む。そういうこと?」
「持って回ったような言い方をしなくてもいい。直感的に、イヤなものはイヤなのよ」
静世が割って入った。
「風坂さん、今日は中庭を通るのをやめてもらえないかしら? この状況を学長に報告するわ。できる限り、発見した状態を保っておいたほうがいいと思うの」
四つの建物は回廊でつながってる。禁則を破って中庭を通る必然性はない、らしい。
でも、あたしは舌を出した。
「イヤよ、遠回りするなんて」
「聞き分けてもらえないかしら? そもそも、生徒には中庭に近寄らないように指導してあるのよ。花は遠くから愛でるように、と。以前、中庭でハチに刺されて、アレルギーを起こした生徒がいたの」
「だから?」
「風坂さん、あなたにも指導したはず」
「あたしはここを通りたい」
静世の口調が、急に変わった。
「では、毎日ここを通る風坂さん。この件について、何か目撃したり気付いたりしたことはない?」
「ない」
「質問を変えたほうがいいかしら。あなたに婉曲な言い方は通じないのよね。ねえ、風坂さん、バラを切ったのはあなたではないの?」
え?
この女、今、何を言ったの?
バラを切ったのは……「あなた」、つまり、あたし?
ショックがあたしの言語中枢をパンクさせた。声が、言葉が、喉から、出ない。
静世は微笑んだ。甘い声の奥に冷たい毒を秘めて。
「中庭へ出入りするのは、風坂さんのほかには、外部委託の庭師だけ。でも、今日の昼間には、彼らは来校していないわ」
だから、あたしがやったっていうの? ふざけないでよ。
あたしは右手の親指を噛んだ。痛い。
言葉、出てきてよ。
悔しい。あたしの能力は、極端に偏ってるから、頭と心がいっぱいになると、あたしの中から言葉が消える。
面と向かって人と話すことは、こんなふうだから苦手。
あたしは無理やり声を絞り出した。口調が震えて仕方ない。
「……ば、バカバカしい。あ、あたしは、ずっと……こ、黒曜館の、北塔にいた……監視カメラ、見れば、わ、わかるわ……」
あたしは万知と静世に背を向けて歩き出した。散らばった花びらを踏まないように、うつむいて歩く。ただ歩く。
背中に、万知の声が飛んできた。
「風坂にとって、バラの首を切るのは『悪』なのかな?」
悪? あたしは振り返る。万知は、ハスキーな声を生き生きと弾ませて、議論をふっかけてきた。
「人間っていうものは、本質として、必ず悪を抱えている。風坂は、そう思わない?」
あたしは、ため息を吐き出した。三つ、数える。
一、二、三。
舌が動くことを確かめる。声を、喉に通す。
「……あんたが言う、悪って、なによ?」
「狂気、欲望、衝動。そういう後ろ暗いモノのことだよ。誰もが持つ本質だよね? 人間は、悪を発現し認識してこそ、人間だ」
「哲学? それとも、犯罪心理学?」
「両方ともおもしろそうだね。考えてみるよ。それと、風坂、きみの反応はやっぱりいいね。かわいらしい」
バカにされてる気がする。言い返してやりたい。でも、言葉が出てこない。
あたしは黙って正面を向いて、また歩き出した。万知と静世が立ち去る気配を背中に感じた。黒曜館は無人になった。
花のない垣根の間を進む。枝の切り口から染み出した樹液が青臭く匂う。
あたしはいつの間にか、右手の親指に噛みついていた。どうしても直らない癖。親指の爪は、白く削れて薄くなってる。
どうしてなんだろう? どうして、バラは切り落とされたの? バラが無抵抗だから、切り落としたの?
別の可能性が、不意に、あたしの頭に浮かんだ。
毎日必ず中庭を利用する人物への攻撃? つまり、あたしへの?
ううん、その可能性も、低い。だって、あたしは、誰とも接点がない。
たぶん、あたしの存在は、ほとんどの生徒に知られていない。あたしは黒曜館に住む幽霊みたいなものだ。
バラの垣根の途切れ目からツバキの木が見えた。濃い色をした厚手の葉っぱが太陽の光を反射している。
ツバキの木の奥、真珠館の窓に、人影があった。万知だ。目が合った。万知は、にっと笑った。
万知の肩の向こうに静世がいた。静世はこっちに気付かなかった。あたしは、なんとなく慌てて、垣根の陰に引っ込んだ。
あそこが、静世の教科資料室?
もう一回、そっと様子をうかがう。窓にカーテンが引かれていた。部屋の中の様子は見えない。
そういえば、万知と静世の匂い、同じだった。同じコロンの匂いだった。
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