物語の結末
山頂がアタシの目の前に横たわっていた。最後の一歩は呆気なかった。アタシは雲より高い場所にいる。
自然の雪が降るはずもない場所なのに、一面の白い雪原。銀剣竜ケアの魔力を帯びたフィールドなんだ。
山頂に立つと、空の中にいるみたいだった。淡いブルーの背景CG。吐く息が白い。
「ここがホヌアのてっぺんなのね」
ラフとニコルが追いついてきて、アタシの両隣に立った。
「来るぞ」
「うん、来るね」
銀剣竜ケアがすぐそばにいる。山頂の風に混じって、咆吼が聞こえた。
“WARNING!”
尾根の雪原が、ぐらりと揺れた。違う。竜が立ち上がったんだ。
「出たわ」
二枚の翼が広がる。尻尾が踊って、首が伸びる。巨大なあごが開かれる。白銀の牙がのぞいた。
「デカいな」
体長だけでも、ネネで退治したアリィキハの倍はある。
「ボク、サングラスがほしいかも」
確かにまぶしい。白銀の鱗、白銀の爪と牙、白銀の両眼。さえぎる雲のない青空の下で、雪にまぎれて、ケアの全身がきらめいている。
低い声が響いた。
「人の子よ、その穢れた足で、我が処女雪を踏みにじるか?」
ラフが悪態をついた。
「人の子の悪党が、アンタの宝剣をぶんどりに来たぜ。ポリアフの剣を寄越せ。イヤだってんなら手加減しねえ」
ケアは白銀の舌を出して大笑いした。雪原の一画が、なだれになって滑り落ちていく。
「ポリアフより預かりし我が剣を寄越せ、と? 笑止。よかろう。武の宝を欲するならば、武を以て力を証せ。このケアを倒さば、ポリアフの剣、くれてやろうぞ!」
轟々と、咆吼。それは衝撃波になって周囲へと飛んだ。アタシたちはとっさに体を伏せて、衝撃波をやり過ごす。そして武器を構えた。
「なあ、シャリン」
「なによ?」
「ラストだから、バトルが始まってぐちゃぐちゃになる前に言っとく。ありがとな」
「え?」
「すっげえ楽しかった。ほんとはずっと一緒に旅したかった」
「ちょっと、ラフ……」
ラフは自分を励ますように雄叫びをあげて、先陣を切った。
「行くぜぇぇっ!」
***
今まででいちばんの長期戦だった。一瞬も気を抜けない消耗戦だった。
ケアは苛立っていた。わずらわしそうに地団駄を踏む。その衝撃すら、油断ならないダメージを生む。
ニコルはひっきりなしに呪文をかける。使役魔法の一種だ。対象の筋肉を麻痺させる魔法。でも、ケアは大きい。何度重ねて呪文をかけても、ケアの動きはわずかに鈍る程度。
ラフはケアの背中に取り付いて、双剣を振るっている。チクリチクリと、針で刺すような攻撃。
鱗を剥がして皮膚を露出させるつもりなんだ。ニコルの寄生植物を植え込めば、じわじわと体力を削ることができるから。
アタシの役目は、ケアの気を引いて攪乱すること。ケアの視線の先を走り回る。
打ち振るわれる竜の前肢をかいくぐる。前肢に剣を叩き付ける。何度も繰り返す。ケアにとっては、小さな小さなダメージだ。爪のあたりにチクチク刺さる棘でしかない。
「でも、バカにしないでよね。爪って、剥がれると痛いのよ!」
アタシはコマンドを叩き込む。細身の少女剣士のスキルの中で、いちばんの馬鹿力を引き出せるのは、剣を闘志でぶっとい槍に変化させて。
“Bloody Minerva”
渾身の力でケアの前肢に突き入れる。
ケアの前肢の、中指の爪と肉との間に、深々と剣が突き刺さった。何十回目かの攻撃で、初めて手応えがあった。
ケアは悲鳴をあげた。斬り払われた爪と青い光のような血が雪の上に落ちた。
「よ、よしっ!」
鈎爪の一本を失ったケアは、真上からアタシをにらんだ。苦痛と怒りのまなざし。青く血走った目の圧倒的な迫力。
まずい。本気で攻撃される!
カッと開いた巨大な口が、尾の一振りが、さらに次は、後肢、尾、前肢、前肢、口が、アタシを襲う。
「このぉ! キリがないじゃない!」
かわすだけで精いっぱいだ。かわしていてさえ、ダメージ判定。風圧と衝撃波が、じりじりと、アタシのヘルスポイントを削る。ダメージだけじゃない。激しく動き回るほど、スタミナポイントは消費されていく。
ケアの背中によじ登ったラフが、必死に双剣を振るってる。魔力の風を立ち上らせながら、ニコルが呪文を唱え続ける。
それでも状況は好転しない。ケアのヒットポイントは減っていかない。クリティカルヒットを繰り出しても、弱点のはずの炎属性で攻めても、バトルの先が見えない。
だんだんと、アタシの胸が塞がっていく。黒々とした絶望が見え始めてる。
ダメかもしれない。
何百回も振るい続けた剣が、ついに、へし折れた。
ニコルが雪の上に膝をついた。魔法が途切れる。ケアの全身がまばゆい銀色に輝く。
翼が打ち振るわれて、冷風が生じた。激しい動きと、すさまじい風圧。ラフが吹っ飛ばされる。
銀髪を振り乱して、ニコルが再び呪文を唱え始めた。雪に突っ伏したラフは動かない。
負けたら、ホヌアからハジかれる。今までホヌアを旅した記録は、なかったことになってしまう。ラフとニコルと一緒に駆け抜けた、かけがえのない冒険の記録が。
「イヤだ。そんなのは、絶対に、イヤだ!」
ケアの巨大な頭がアタシに迫る。カッと開かれた巨大な口に向けて、アタシは跳んだ。ケアの口に飛び込む。白銀の舌がアタシをとらえる。
剣身が半分になった剣を、アタシは連続で振るった。
“Wild Iris”
“Cruel Venus”
“Cruel Venus”
闇雲に、めちゃくちゃに、これ以上ないスピードでコントローラを叩く。
ケアが絶叫した。
アタシは、千切れた舌と一緒に吐き出された。白銀の舌は青い光となって消滅する。肉体の一部を失ったケアのヒットポイントが、目に見えて減った。
折れた剣はどこかに飛んでいった。
「ざまー見なさい!」
アタシは強がった。でも、もう武器がない。
「……ヤベぇ。やられたかと思った」
ラフは、雪の上に腕を突っ張って、ゆっくりと体を起こした。
「アンタ、まだ無事?」
アタシはラフを振り返った。ラフは立ち上がった。
「やっぱ、ケアの設定をチートにしすぎちまったか。まあ、いいさ。オレには奥の手があるんだし」
ラフは笑った。胸が痛くなるような、キレイな笑顔。
アタシはハッとした。呪いのリミットは、あと一回。それを発動したら、ラフは。
待って!
アタシが叫ぶのよりも先に。
「バイバイ、シャリン姫さま」
呪いの力が解放された。
***
野獣の雄叫びが響き渡った。空の青と雪の白のフィールドが赤黒くひずんだ。
あたしのコマンドに、シャリンが反応しない。ストーリーモードで自動的にムービーを見せられるときと同じように。
フィールドいっぱいに走る白い稲妻。CGの乱れが、衝撃波と同じ判定にすり替わる。アタシとニコルは雪原の上に倒れた。顔を上げる。
ラフの全身が赤黒い稲光をまとっている。パリパリと、放電するような音をたてて、アバターがほどけかけている。
「うそでしょ……」
その狂気的な姿は、もう、ラフじゃなかった。
赤黒い紋様に埋め尽くされた顔。ひときわ赤い光が二つ。優しい黒さを失った、ラフの両眼。
ひびの入ったシルバーメイルを、ラフは簡単に破り捨てた。四つん這いみたな、低い構え。両腕に双剣。双剣は、まるで野獣の爪。
「V_gRggggg_RRRRRRRR」
巨大すぎる爪を振りかざしながら、ラフは走った。
銀剣竜ケアの存在を規定するプログラムが破綻しかけてる。CGが動作するたび、粒子みたいな細かなブロック片が飛ぶ。
バグがフィールドじゅうに起こっている。呪いの姿だ。
「呪いが、ありえないほど強いステータスをもたらすのは……プログラムに、直接干渉できるから……」
アタシのつぶやきにさえ、ノイズが混じった。下手に動いたら、バグに巻き込まれてしまう。シャリンのデータが壊れることが、怖い。
ラフが踏みしめた雪原が、ミシリと音をたてて色調を反転した。闇色に放電しながら、データが回復されない。
「D_ZtRoOOOOOOooooooooyyyyyyyiii__」
声とも呼べない、ラフの咆吼。
ラフはケアの尾を踏み台にして跳躍した。白銀の背中を目がけて落下する。
ギラリ。
爪のような双剣が振り回された。ケアの鱗が、やすやすと、えぐり取れられる。鮮血の代わりに青い光が噴き出す。色調が反転する。ピシリと、ケアがフリーズする。
ラフは舌なめずりをする。異様に長く伸びた舌。獰猛に尖った歯。
ケアの動きが再開する。ラフの攻撃が再開する。竜が悲鳴をあげる。野獣が哄笑する。
ラフは二本の剣を竜の背中に突き立てた。鱗が破れ、刃が深々と肉に沈む。ラフは、突き立てたままの大剣を引きずって走った。
ケアの背中に二筋の傷が走った。傷は、四肢の付け根の動脈に交わった。急所が切り裂かれる。青い光が噴き上がる。
「ケアのヒットポイントが……」
減っていく。みるみるうちに、ゼロに近付いていく。
ほんの数十秒だった。狂気の野獣に変わり果てたラフが巨大な竜を殺戮するまで、本当に、あっという間のできごとだった。
***
バトルモードが解除された。ストーリーモードのフィールドがアタシの前に現れる。もう、CGは乱れていない。これはラフが書いたシナリオの中だ。
双剣がケアの両眼に突き立っていた。折れた角、むしられた鱗。翼と四肢と尻尾を斬り落とされた姿。ケアの喉が、ぜいぜいと、耳障りな音をたてる。
「殺せ……」
誇り高い竜がすがるように言った。アタシは、ケアの姿を見ていられない。
「ラフ、やめてあげて」
黒髪の野獣はケアの背中で、傷口からあふれる血をすすっている。
アタシはケアの鈎爪を拾い上げた。重く尖った鈎爪の先端をケアの喉に押し当てる。鱗を失った首に、鈎爪が食い込む。
「さよなら」
青い光が噴き出して、ケアは事切れた。
無惨な死骸は次の瞬間、圧倒的な光と風を発する。
画面いっぱいに白い光が満ちる。あたしは目を閉じた。シャリンが風を受ける振動が、コントローラに伝わってくる。
あたしは待った。やがて、コントローラの振動が収まる。風が収まったんだ。目を開ける。光も収まっていた。
ケアの巨大な死骸は消えてなくなっている。純白の雪原。踏み荒らされた痕跡すら、残っていない。
雪原の上の空中に一本の剣が輝いている。
「あれがポリアフの剣?」
細くまっすぐに伸びた刀身は、アタシが愛用する剣にも似ている。軽やかで、優美で、神秘的な剣だ。
アタシはポリアフの剣のほうへ、一歩、進み出た。
そのとき。
「シャリン、危ない!」
ニコルが叫んだ。
横合いから衝撃が来た。アタシは雪の上に転がった。吹っ飛ばされた体を、荒々しい手が引きずり寄せた。
「え……」
らんらんとした赤い目が、それはそれは楽しそうに、アタシを見下ろしている。アタシは首を絞められて動けない。
「SH_N_e」
野獣の口が人の言葉を発した。
死ね? 殺されるの? アタシ、ラフの手で殺されるの?
「やだ、なにこれ! コントロール利かない」
あたしは焦って、でたらめにコマンドを入力した。まただ。シャリンが反応しない。あたしは唇を噛んだ。
「これがシナリオだっていうの? 何がやりたいのよ、ラフ!」
アタシは自分に迫る赤い目をにらみつけた。
そんな時間が、数秒。
突然、野獣の体が浮き上がった。アタシの体が解放される。
「どういうこと?」
アタシは肘をついて上体を起こした。
野獣は緑色のツタに縛り上げられていた。憤怒に顔を歪めて、からみつくツタを引きちぎろうとする。ツタは、ズタズタにされるそばから猛烈な勢いで再び伸びる。
人の言葉をなさない呻き声が、雪原を這い回った。ラフの口から漏れるのは、もう、あの繊細な声じゃない。
「違う。こんなのラフじゃない。アタシの知ってるラフじゃないわ」
目の奥が熱い。涙があふれた。
聞き慣れた明るい声が、くすくすと笑った。
「うん、そうだね。コレはもうラフじゃない。この世界での存在を許されない、哀れな化け物だよ」
もがく野獣の体の向こうで、少年とも少女ともつかない声が笑ってる。
「ニコル?」
「でも、コレのデータを消しちゃうなんて、もったいないでしょ。せっかくここまで一緒に来たのに。だから、こうしちゃうのはどうかなあ?」
赤黒い紋様が隙間なく刻まれた胸から、白銀の刃が飛び出した。野獣の赤い目が見開かれる。
「……何が、起こったの?」
野獣の胸から飛び出した白銀の刃。細身の剣の切っ先だ。
切っ先は真っ白な冷気を発した。赤黒い皮膚が、ぴしぴしと音をたてる。音をたてて凍っていく。
ニコルが、凍結していく野獣の体から、後ずさって離れた。
「刺したの? ポリアフの剣で、ラフを刺したのね?」
ニコルが静かに微笑んでいる。
「だって、これがラフの望みだもの」
アタシの目の前でラフが凍る。赤黒い紋様はそのままに、鍛えられた長身が、一文字傷の右のほっぺたが、長い黒髪が、凍る。
見開かれた赤い目に、柔らかな水が盛り上がった。水は、赤い狂気を溶かした。ラフの目から、赤い涙がこぼれ落ちた。
黒い瞳が、一瞬だけ、強く強くアタシを見つめた。
そして。
ラフは完全に凍結した。
ニコルが言う。
「シャリン、これがラフの望んだ結末だったんだよ。ラフは……」
言葉の途中で、アタシはニコルを殴り飛ばした。軽い体が雪の上に倒れる。アタシはニコルにつかみかかった。馬乗りになって、胸倉を押さえる。
「このぉ!」
右手を振り上げる。ニコルは叫んだ。
「待て、麗!」
うらら? あたしは画面の前で固まった。
「なんで、あたしの名前……」
「頼む、麗、話を聞いてくれ」
ニコルがあたしに訴える。あたしはシャリンの口で、ニコルである何者かに訊く。
「誰なの? アンタ、誰なのよ?」
「ごめん! ぼくが黙ってることが多すぎて、麗のことを傷付けたかもしれない。謝る。だから、ぼくの話を聞いてくれ」
ニコルの口調が違う。これが「中の人」の、本当の話し方? 似ても似つかない声なのに、アタシには、わかった。
「おにいちゃん……」
真ん丸な緑の目を持つ少年キャラは、コンピュータ合成の子どもの声で、おにいちゃんの言葉を告げた。
「麗、夕方六時に夢飼いに来てくれ。全部、話すから」
おとぎ話の冒険ごっこは、終わった。
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