第6章:シャリン

祭の夜に

 砂浜に祭の炎が上がる。天空の星屑に届きそうなくらい、高々と。夜の真っ暗な波間に炎が映り込めば、それはまるで紅蓮の宝石。


 炎のそば踊ってるのはヒイアカだ。アタシたちにとってはステージガイドの彼女だけど、このホヌアという世界にとっては、神の血を引く踊り子なんだって。


 ひらめく手のひらは、可憐な恋の仕草。踏み出すつま先は、ふと、大人の色気をかもし出す。腰をくねらせれば、豊かなバストが揺れる。


 太鼓を叩くのはヒイアカの婚約者、ロヒアウ。太陽みたいに明るい笑顔と、堂々とした体格のイケメンだ。ヒイアカとはお似合いね。


 アタシは波打ち際に膝を抱えて座ってる。祭ににぎわうフアフアの村の人々を遠くから眺めて、ため息。


 人混みに入っていく気がしない。これがゲームだってわかってても。あそこにいるのは人間じゃなくてAIなんだって知ってても。


「よう、お姫さま」

「なによ?」

「ずいぶんご機嫌斜めだな」


 ラフが双剣を砂の上に置いて、アタシの隣に腰を下ろした。


「ナイスバディのヒイアカの踊り、目の前で見てなくていいの?」

「問題ねえよ。ニコルが最前列でムービーを撮ってるから。後で、サイドワールドの映像館で、たっぷり観賞する予定だ」


「バカよね、あんたたちって。うらやましいわ」

「お姫さまの『バカ』は誉め言葉だろ」

「うっさいわよ」

「はいはい、失礼しました」


 ラフの声は繊細だ。少し硬くて、少し高めで、どことなく少年っぽさが残ってる感じ。

 この声の持ち主はどんな顔をしてるんだろう? どこに住んでて、どんな生活をしてるの?


「ねえ、ラフ」

「ん?」

「……やっぱり、別にいい」

「なんだよ? 気になるだろ」

「気にしないで」

「お姫さま、言ってみろよ」


 ラフはアタシの隣から立って、アタシの正面に回り込んでひざまずいた。きらめく黒いまなざしが、まっすぐにアタシを見つめた。


 ほのかな影をまとったラフの顔は、肌の浅黒さも右頬の傷も、暗さにまぎれてしまう。貴公子みたいに端正な顔立ちだ。


 ただのCGなのに。


 その瞳がとても信頼できるように見えるから、アタシはラフから目をそらせない。言葉が、アタシの口からこぼれた。


「どうでもいいこと訊いていい?」

「なんだ?」


 こぼれる心が、止まらない。


「あんた、何者? ほんとにそこにいるの? 実在するのよね? 生きてる人間なのよね?」


 沈黙が落ちた。美形キャラのCGが「アタシ」を通して「あたし」を見つめる。

 ラフ、何か言って。アタシに答えて。不安にさせないで。そこにいるんでしょ?


 今、アタシたちはアバターの姿で、虚構の世界を生きてる。時間制限の中で、ひとつの冒険を共有してる。顔も名前もわからない「アンタ」との人間関係が、今の「あたし」にとって、限りなく尊い。


 ラフの手がアタシの頭をポンポンと叩いた。アバターの表情は変わらない。本当のラフは、どんな表情をしてるんだろう?


「お姫さまこそ、そこにいるんだよな? オレの声を聞いて、オレと同じ景色を見て、オレの隣でミッションをやってる。そうだよな?」


 いつになく低い、かすれがちな、ラフの声。


「いるわよ。アタシはここにいる。コントローラを握って、リップパッチを着けて、アンタに声を届けてる。アンタを見つめてる」


 焦れったい。言葉を重ねても、アタシが存在するってことを十分に証明できない。隣にいるなら、手を握るだけでいいのに。


「ラフがオレならいいのにな」

「どういうこと?」

「逆か。オレが本当にラフならいいのに。アンタが本当にお姫さまならいいのに。ここでこうして出会うことが現実なら……いや、やめとこ。らしくねーよな」

「それがアンタの本心?」

「言わねーよ。オレってば照れ屋だから」

「なんなのよ、それ」


 ラフは再び、アタシの頭に手を乗せた。その手の重みとぬくもりを想像してみる。おにいちゃんの手のひらと、どっちが大きいんだろう?


「お姫さまが沈んでたんじゃ、こっちも調子が狂っちまう。現実のほうで、なんか困ったことでもあったか? オレが聞いてやるから、話せ。聞くことしかできねえけどさ」


 ここでラフに話しても、アタシの生活は何も変わらない。話したって無駄だ。不要な労力。

 それなのに、話してみたくなってしまうのは、どうしてなんだろう?


「うらやましい世界よね、ここって。キャラクターはみんな特別待遇」

「特別? どんなところが?」

「存在してていいんだもの。なんの根拠もなく、ただ存在するための場所が用意されてる。殺されても死なない。ハジかれても戻れる。ほんとに都合がいい世界」

「シャリン。ほんとに、何があったんだよ?」


 まじめな口調。久しぶりに名前を呼ばれた気がする。


「そうね。次のうち、どれが事実か当ててちょうだい。一、引きこもりになってる。二、殺されそうになった。三……三、生きてる意味、わかんない……」


 あたし、何を言ってるんだろ? どれが事実か、だなんて。どれも事実なのに。

 ラフの手がアタシの頭から離れた。


「ひでえな」


 アタシはラフを見上げた。


「さあ答えはどれでしょう? どれも答えじゃないかもね」

「もっと気の利いたクイズを考えてくれ」

「気が利かなくて悪かったわね」


 ふっ、と、ラフは小さな息を吐いた。たぶん、ユーザがほんの少しだけ笑ったんだ。吐息みたいな笑いをリップパッチが集音した。アバターの表情は動いてないけど、アタシはラフの笑顔を感じた。


「お姫さま、アンタはそのまんまでいい。お上品に黙りこくってないで、下手な言葉を投げて寄越せよ」

「下手って、なによ」

「しゃべってくれよ。どうでもいい話でかまわないんだ。しゃべってくれなきゃ、アンタがそこにいることを確かめられない。現実の世界で面と向かって話してるわけじゃない。顔色も表情もわからない。だから、しゃべってくれ。オレの目の前にいるんだって証明してくれ」


 ラフの言葉は熱っぽい。はぐらかしたり、からかったりするばかりの普段とは、違う。


 今のがラフの本心? ラフは、アタシに存在しててほしいと思ってるの? 大切だって思ってくれてるの?


 戸惑いが胸の中で膨らむ。心臓がドキドキ、駆け出している。


 アタシは今、どんな顔してる? アバターのシャリンは? ウィンドウに自分の顔を表示……なんてできない。


「ふ、不公平よ。アタシにしゃべれって言うなら、アンタもしゃべりなさいよ」


 アタシだって、アンタの存在を確かめていたい。


「わかったよ、お姫さま。そのうち、必ずな。お、一曲終わったみたいだ」


 ラフが祭の炎へと視線を向けた。太鼓のリズムが止んで、かっさいが起こっていた。


「おーい、二人ともー!」


 ニコルが手を振りながら砂浜を駆けてくる。ラフは小さく手を挙げて応えた。


 炎のそばのヒイアカが両腕を満天の星へと差し伸べた。波が引くように、喝采が静まる。次の曲が始まるみたい。


 ニコルがアタシたちのところに合流した。


「お待たせ! ようやくオートカメラの設定ができたよ。手こずっちゃったなあ。昔と操作法が変わってるんだもん。しかも、悪い方向に。ピアズも、メンテ入れたほうがいいツールが地味に多いよね」

「ご苦労ご苦労。そんな様子じゃ、ゆっくり見れなかっただろ?」


「全然。まあ、ちゃんと撮れてることは確認したよ。後のお楽しみだね」

「これから別の演目か? さっきのと雰囲気が違うな」

「さっきのダンスは、神話時代の恋物語をモチーフにしてた。で、今から、このフアフアの村の起源を歌とダンスで表現するらしい。今日の祭のメインになるダンスだって」


 二人の会話に、アタシは口を挟みそこねた。


 ラフの「中の人」はエンジニアかもって思ってたけど、ニコルもずいぶんピアズに詳しそう。少なくとも、アカウント登録から四ヶ月って感じの話し方じゃなかった。


 と。

 ヒイアカの澄んだ声が歌を紡ぎ始めた。


  昔語りを いたしましょう

  神代の名残 人の子は

  土の恵みを まだ知らず

  海の気まぐれ 恐れては

  飢えぬ未来を 祈るのみ

  名もなき村の 乙女ヒナ

  これは彼女の 恋の歌

  恵みと別れの 恋の歌


 ヒイアカのまなざしがハッキリとこっちに向けられた。ミステリアスな目をして、ヒイアカは微笑んだ。


  捜しに行っては くれまいか

  時の流れの その向こう

  夢路をたどりて 預けたる

  下弦の月は 海死神カナロアの星


 いきなり。

 ぐらり、と足下が揺れた。


「きゃっ」

「なんだこれ? ワープかよ?」


 エコーのかかったヒイアカの声が告げた。


「皆さま、どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ。時をさかのぼり、悲しき海の戦士のもとへ。彼の持つホクラニは『海死神カナロアの星』。ワタシのもとへお戻しくださいますよう、お願いいたします」


 アタシたちは、時空の歪みの中へ放り込まれる。


「あーちょっと待って。食材を入れたバッグが宿なんだけど」


 ニコルの抗議にも、問答無用。祭の夜の風景が遠のいていく。

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