フアフアの村

 そのときだった。女のホログラムが出現した。


 南国らしい肌の色をした美少女だ。少女からオトナへ羽化しようとする年ごろ、みたいだ。十七歳のアタシと同じくらいか、少し年上。


 波打つ豊かな黒髪。彫りの深い顔立ち。黒く濡れた大きな目。ふっくらした唇は、優雅な笑みを浮かべている。踊り子みたいな衣装にメリハリのある体型で、かなりセクシーだ。


 ラフは、かすれた口笛を吹いた。


「すげぇグラマー。いいねぇ」

「いやらしいわね、アンタ」

「出し惜しみしないのはすばらしいことだぜ。アンタもけっこう出してるじゃん」

「最っ低! このタイプのメイルは軽さ優先で選んでるだけよ!」


「はいはい。ま、どっちにしろ、ちょっと子どもっぽいよな、お姫さまは」

「なんですって!」

「オレはこっちの彼女みたいに迫力のあるバストのが好み」

「ほんと最っ低!」


 アタシはラフの土手っ腹に肘鉄をぶち込んだ。


 まあ、体型に関しては事実だけど。

 アタシは華奢だ。敏捷性を重視した体型を選んで設定している。


 一方、目の前に出現したホログラムの美少女は胸がおっきい。半割にしたココヤシのブラが小さすぎる。赤い花が染め抜かれたスカートも、丈は長いけど、左脚の正面に入った深いスリットがなかなか危険だ。


 この踊り子っぽい美少女がホヌアのステージガイドなのかしら。

 踊り子はお辞儀をした。所作そのものが優雅なダンスみたいだ。


「初めまして。シャリンさま、ラフ・メイカーさま、ニコルさま。ホヌアへ、ようこそお越しくださいました。手荒いお出迎えとなってしまいましたことを、どうぞご容赦ください」


 ハイアークラス以上のステージは、いきなりバトルから始まる。それは、言ってしまえば入学試験。このバトルに敗れると、ステージに挑戦することができない。


 踊り子は、ひらりと両腕を広げた。


「ワタシの名はヒイアカ。ホヌアを旅する皆さまにミッションを依頼する者。また、癒しと憩いの場を提供する者です。まずは、西の海岸にございますフアフアの村をお目指しください。フアフアの村でお待ちしていますわ。道中、どうぞお気を付けて」


 ヒイアカはしなやかな腰つきでステップを踏んだ。両腕は何かを物語るみたいに、ゆったりと舞う。指先が空を示した。そこから赤い光が生まれる。光はみるみるうちにヒイアカを包んだ。


「お待ちしていますわ……」


 エコーのかかった声を残して、ヒイアカである光は、ある方角を指してまっすぐに飛んでいった。


 アタシは、マップを拡大表示した。ヒイアカが消えた方角は、ほぼ真西。光のとおりに進めば、海岸線沿いにある人里のマークにたどり着くはずだ。


「ひとまず、フアフアの村とやらを目指せばいいのね。で、アンタたち、今日はどれくらい時間あるの? アタシはさっきログインしたばっかりなの。だから、あと三時間半はあるんだけど」


 オンライン本編における一日あたりのログイン時間は、上限四時間。それが、オンラインRPG『PEERS’ STORIES』に課せられた法的規制だ。


 この規制はうっとうしい反面、ありがたくもある。アタシは、現実では高校生。だから、一日じゅうこっちにはいられない。延々とログインし続ける暇人に後れを取るのは腹が立つ。規制があるから、フェアな実力主義で勝負できる。


 ラフは自分のパラメータボックスを開いてみせた。


「オレとニコルも、あと三時間半だ。進めるだけ進もうぜ」

「あっそ」


 主導権を握ってるみたいな言い方が何だかイヤ。アタシは腕組みをしてみたけど、ラフは気にした様子もない。


「道中に気を付けろって、わざわざ言い置いてったよな。つまり、道中にいろいろ出てくるんだろうな。頼むぜ、お姫さま!」


 ふぅん。アタシの意向を無視して突っ走るって感じではないんだ。

 アタシは深呼吸をして、気を取り直した。


「何が出てこようが、望むところよ」



***



 荒野の台地を下るにつれて、景色は鮮やかになっていく。カラフルな熱帯植物のフィールドは、「南島のステージ・ホヌア」っていうキャッチフレーズのとおりの景色だ。


「見て、海!」


 行く手に海岸線が見え始めた。白砂の浜が緑葉の森に映える。空は青くて、日差しは明るい。


 アタシたちの行く手に、たびたびモンスターが現れた。撃退するのに、それほど苦労はなかった。


 でも、一度だけ、ヒヤッとした。アタシとラフの動線が重なって、効果的な攻撃ができなかったの。


 なにやってんのよバカ! ってアタシが怒鳴るより先に。


「すまん。今のはオレが悪ぃ」


 ラフは潔く頭を下げた。

 なんていうか、毒気を抜かれた。


「べ、別に、どっちが悪いってこともないでしょっ」

「いや、おれのほうが出だしが遅かったし」


 ニコルが間に入った。


「無事に倒せたんだから、よしとしようよ。もしシャリンがイヤでなければ、ボクが司令塔になってもいいよ?」

「ハッキリ言うと、イヤよ。指示されるのは嫌い。でも万が一、必要だと判断したときには、司令塔とやらをお任せするわ」


「了解、了解。たぶんね、普通にエンカウントするモンスター程度は問題ない。でも、ボス戦は連携プレーできるほうが安全だと思うよ」

「ふぅん?」

「お互いの凡ミスのせいでハジかれたら、本末転倒だからね」


 ピアズの世界では、ユーザが操るアバターは死なない。死という概念が、基本的に存在しない。


 アバターのヘルスポイントとスタミナポイントの両方が尽きた場合、死ぬわけじゃなくて、ステージからの追放というペナルティが課せられる。


 ペナルティによってステージを追われることを「ハジかれる」ってう。一定回数以上ハジかれると、クラスを落とされる。


 ちなみに、クラスとレベルは別の概念。クラスは、ユーザのテクニックによって段階分けされてる。レベルは、経験値を積めば積むほど上がっていく。


 レベルが上がれば、ヘルスポイントとスタミナポイントの上限が上がる。ボーナスポイントも与えられる。それを攻撃力や敏捷性みたいな各能力に割り振って、アバターの基礎値を上げていく。


 クラスが高い人はたいていレベルも高い。逆に、低いクラスにレベルが高い人がいることもある。


 というのも、バトルの鍵を握るのはユーザのテクニックだから。基礎値はそれほど大きな問題にならない。テクニックがないユーザは、いつまで経ってもクラスを上げられない。


「アタシ、今まで一度もハジかれてないの。連勝記録に傷を付けないでほしいわね」

「ボクたちもだよ。ほら」


 ニコルが示すパラメータボックスを、アタシはチラッと見た。


 コイツ、アタシよりもレベルが低い。そのくせに、アタシと同じハイエストクラスにいるなんて。つまり、相当テクニックがあるってこと? なんかムカつく。


 ユーザが口元に着けるリップパッチが、表情筋の動きを認識する。それをアバターに反映する。


 アタシは今、ムッとしてる。現実では、顔にも出てると思う。


 でも、画面の中に反映できるのは、ハッキリした表情だけ。微妙な苛立ちの表情なんてリップパッチは認識できないから、アバターのアタシは、愛らしい顔に無表情を保っている。



***



 開放的な印象のフアフアの村は、結界によって守られていた。道の両サイドには、色とりどりのハイビスカスが咲き乱れている。


 村の入口で、ヒイアカがアタシたちを待っていた。


「皆さま、ようこそお越しくださいました。ここが豊饒の地、フアフアの村です。ホヌアに用意された四つのミッションを旅する間、皆さまにはフアフアの村を拠点にしていただきます。まずは、どうぞこちらへ」


 ヒイアカが優雅な身のこなしで歩き出した。アタシたちはその後についていく。ヒイアカが足首に着けた木製の鈴のアンクレットが、歩くたびに、涼しい音を鳴らす。


「それにしても、脳天気なステージね。一つ前のステージが戦場だったから、気休めになるわ」

「同感だね。南国ムードっていいよな。キャラの露出度が高くてさ」


 アタシは遠慮なく、ラフの足を踏んづけた。


 フアフアの村では旅の必需品を買い物できる。武具や防具。傷や状態異常を治療するための薬。食材や食料。


 それと、ロミロミと呼ばれるマッサージが人気らしい。特殊な効果をもたらすんだって。


「フアフアの村に象徴されるとおり、ホヌアは平和です。外敵も内乱もありません。森羅万象の神々や精霊が、人の子とともに住まう島です」

「ふぅん。それで、ミッションの内容はどうなってるのかしら?」


 ヒイアカが足を止めて、アタシたちに向き直った。心なしか、頬が赤い。


「実はワタシ、二つ先の新月の日に結婚するのです。その婚姻の儀のために必要なものがありますの。月と星の祝福を受けた宝石『ホクラニ』です。ホクラニをつないで、首飾り(レイ)を作りたいと思っています。皆さまには、ホクラニを回収していただきたいのです」


 ホヌアの人々は昔から、月の暦を大切にしている。


 新月は次第に満ちて、満月は次第に欠けて、やがて再び、月のない夜を迎える。それは、三十日間の物語。夜ごとに違う顔を見せる月は、ホヌアでは、毎日異なる三十の名で呼ばれている。


 かつて、いにしえの時代のできごと。神々アクアは月が美しく変身するさまを誉めたたえ、三十の名のために三十の輝夜石ホクラニを生み出した。


 そして、あるとき。神々アクアの末娘にして歌と踊りの申し子であるヒイアカは、天界の宴で極上の舞を披露した。列席した神々アクアはヒイアカの舞を喜んだ。その褒美として、ヒイアカは三十個のホクラニを贈られた。


「ホクラニには神々アクアのお力が宿っています。それを手にした者の祈りや願いを叶えることができるのです。ワタシは、友人に困ったことが起こるたび、ホクラニをお貸ししてきました」


 ニコルは肩をすくめて、先回りして言った。


「貸したものが返ってこないから、ボクたちを使いっ走りにする。要するに、そういうミッションなんだね」


 ヒイアカは困った様子で、首を左右に振った。ココヤシのブラに収まりきれない胸が、たぷんぷるんと弾む。


「ワタシ、頼まれると断れない性分なのです。そもそも、普段ワタシはホクラニを使いませんし。それでしたら、必要とするかたに使っていただくほうがいいですよね?」

「このヒイアカって女、バカが付くほどのお人好しね」


 ヒイアカは胸の前で両手の指を組み合わせた。両腕の間に挟まれた胸が、ぎゅむっと形を変える。アタシの隣で、ラフがかすれた口笛を吹いた。


「三十個すべてのホクラニを回収する必要はありません。ワタシの婚姻を知ると、ほとんどのかたはホクラニを返してくださいました。お祝いの品まで贈っていただきました」


 残りはいくつ? と言いかけたアタシと、ラフの声が重なった。ニコルが、ふふっと喉を鳴らす。ムカつく。


 ヒイアカは続けた。


「あと四つだけなのです。皆さまには、それら四つのホクラニを回収していただきたいのです」

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