第11話 甘い理科室


 理科室の側を通りかかったら、甘い匂いがしてきた。

 ちょっぴり焦げたカラメルみたいに、おいしそうなの。


「葉月先生?」

 ノックすると、どうぞって。

「先生、廊下まで甘い匂いでいっぱいです」


「砂糖が余っていたので、あぶってべっこう飴にしようかと」

 なるほど。だからお祭りみたいな匂いだったんだ。

 私は甘いのにふらふら誘われて飛んできてしまったみつばちかなー。

 いや、ただのくいしんぼうかな。


「試食しますか?」

 はいっ! 元気よく答えて、口に入れる。

 これこれ、この味。きゅーん。

 お砂糖って不思議。

 白くてさらさらして甘いのに、熱を加えて茶色になると、香ばしくて少し苦くなっちゃうの。それがまたいいの。



 ね、先生、この前の川名の告白、聞いてたよね。

 って尋ねる代わりに、私はつい突拍子もないことを口にしていた。

「葉月先生、キスってどんな味?」


 先生は私をじっと見つめた後、真面目な顔をして黒板に化学式を書きつけた。

「その時によって違うでしょうか。甘かったり、苦かったり」

 なんにでも真剣に答えてくれようとするんだなぁ。くすくす。

 だから、だいすきなんだけどね。

 何を思い浮かべていたのかなぁ。夏のお庭でのできごとですか?



「蒼さんは、川名君のこと考えていますか?」

 ストレートに来ましたね、先生。

「川名は、律のことがすきなんです。だから、私の想いは叶わないんです」

 そう、もうずっとずっと前から、そんなことわかっていた。


 それ以上聞かれたらうっかり泣くかもしれないから、私はマシンガンみたいに、先生に切り返すことにした。

 生徒の質問にはきちんと答えてくれるんでしょう、先生?

 どこまで答えてくれるかな。

「先生のファーストキスはいつ?」

 ここは学校ですよって、叱られるかな。


 そうしたら、左手で眼鏡のブリッジを押さえながら

「中学生の時、図書室で、初恋の女の子に……」だって。

 先生、ほっぺほんのり赤くなってるんですけどー。


「え、それって、私に似てるっていう女の子ですか」

「はい。その子に、僕が苺の刺繍をしたブックカバーをあげました」

 あー、なんてめずらしいもの見ちゃったんだろう。頬染めた先生だなんて。



「え、先生はその子とおつきあいしてたのっ?」

 調子に乗ったついでに、いっぱい聞いちゃおう。

「いえ、それから恥ずかしくて、彼女と目を合わせられなくなりました」

「それで、そのまま?」

「ええ。卒業まで、一言も話せないまま……」

「えーっ。なんか、それじゃさみしいよぉ。口きかないまま卒業?」

「卒業式に制服のボタンを渡して、そのまま別れて」

「えーーーっ。 何も言わずに?」

「そうですね」


 私は、私に似ている女の子が、ぎゅっと先生のボタンを握りしめているところを思い浮かべた。

 きっとね、きっと、その彼女、今でも大切にそれ取ってあるよ。

 初恋って、あちらこちらで、儚く消えていくものなのかな。


「葉月先生、陽向ちゃんとは……」

と言いかけて、さすがに最後まで言わせてもらえなかった。

 先生が しぃーって人差し指を唇の前で立てて、可愛く笑うんだもの。あはは。


 なんとなく、だけどね。

 陽向ちゃんに押されたら、葉月先生、弱そうな気がする……。


「蒼さんは、気持ち伝えなくていいんですか?」


 私は、自分に言い聞かせるように、何度もこっくりうなずいてみた。

 伝えるよりも、大事なことがあるんだ。


 図書室か。

 あの二人、また一緒にいられるように、仲直りさせないとなぁ。

 それ、やっぱり、どう考えても私の役目だよね。






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