第11話 甘い理科室
理科室の側を通りかかったら、甘い匂いがしてきた。
ちょっぴり焦げたカラメルみたいに、おいしそうなの。
「葉月先生?」
ノックすると、どうぞって。
「先生、廊下まで甘い匂いでいっぱいです」
「砂糖が余っていたので、あぶってべっこう飴にしようかと」
なるほど。だからお祭りみたいな匂いだったんだ。
私は甘いのにふらふら誘われて飛んできてしまったみつばちかなー。
いや、ただのくいしんぼうかな。
「試食しますか?」
はいっ! 元気よく答えて、口に入れる。
これこれ、この味。きゅーん。
お砂糖って不思議。
白くてさらさらして甘いのに、熱を加えて茶色になると、香ばしくて少し苦くなっちゃうの。それがまたいいの。
*
ね、先生、この前の川名の告白、聞いてたよね。
って尋ねる代わりに、私はつい突拍子もないことを口にしていた。
「葉月先生、キスってどんな味?」
先生は私をじっと見つめた後、真面目な顔をして黒板に化学式を書きつけた。
「その時によって違うでしょうか。甘かったり、苦かったり」
なんにでも真剣に答えてくれようとするんだなぁ。くすくす。
だから、だいすきなんだけどね。
何を思い浮かべていたのかなぁ。夏のお庭でのできごとですか?
*
「蒼さんは、川名君のこと考えていますか?」
ストレートに来ましたね、先生。
「川名は、律のことがすきなんです。だから、私の想いは叶わないんです」
そう、もうずっとずっと前から、そんなことわかっていた。
それ以上聞かれたらうっかり泣くかもしれないから、私はマシンガンみたいに、先生に切り返すことにした。
生徒の質問にはきちんと答えてくれるんでしょう、先生?
どこまで答えてくれるかな。
「先生のファーストキスはいつ?」
ここは学校ですよって、叱られるかな。
そうしたら、左手で眼鏡のブリッジを押さえながら
「中学生の時、図書室で、初恋の女の子に……」だって。
先生、ほっぺほんのり赤くなってるんですけどー。
「え、それって、私に似てるっていう女の子ですか」
「はい。その子に、僕が苺の刺繍をしたブックカバーをあげました」
あー、なんてめずらしいもの見ちゃったんだろう。頬染めた先生だなんて。
*
「え、先生はその子とおつきあいしてたのっ?」
調子に乗ったついでに、いっぱい聞いちゃおう。
「いえ、それから恥ずかしくて、彼女と目を合わせられなくなりました」
「それで、そのまま?」
「ええ。卒業まで、一言も話せないまま……」
「えーっ。なんか、それじゃさみしいよぉ。口きかないまま卒業?」
「卒業式に制服のボタンを渡して、そのまま別れて」
「えーーーっ。 何も言わずに?」
「そうですね」
私は、私に似ている女の子が、ぎゅっと先生のボタンを握りしめているところを思い浮かべた。
きっとね、きっと、その彼女、今でも大切にそれ取ってあるよ。
初恋って、あちらこちらで、儚く消えていくものなのかな。
「葉月先生、陽向ちゃんとは……」
と言いかけて、さすがに最後まで言わせてもらえなかった。
先生が しぃーって人差し指を唇の前で立てて、可愛く笑うんだもの。あはは。
なんとなく、だけどね。
陽向ちゃんに押されたら、葉月先生、弱そうな気がする……。
「蒼さんは、気持ち伝えなくていいんですか?」
私は、自分に言い聞かせるように、何度もこっくりうなずいてみた。
伝えるよりも、大事なことがあるんだ。
図書室か。
あの二人、また一緒にいられるように、仲直りさせないとなぁ。
それ、やっぱり、どう考えても私の役目だよね。
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