葉月先生の恋

水菜月

夏のものがたり

第1話 トマトの朝



 夏休みがはじまったばかりのさわやかな朝。

 木の枝にいる蝉の声が、にぎやかに鳴り響く。


 おはよ。今日も一日、暑くなりそうだよ。



 私の中学には、クロード葉月先生という理科の先生がいるの。

 先生は去年の春から赴任して来たのだけど、かなり変わり者だという評判なんだ。

 だって、虫や動物と会話しちゃうなんて、ね、信じられる?


 二階の窓から、お隣の野菜畑をのぞいてみると。

 あ、葉月先生、早起きして庭の野菜を収穫しているよ。


 私のなまえは「山藤律子」といいます。古風な名だねってよく言われる。

 そうなのです。私と葉月先生は、お隣同士なの。


 私は新聞を取りに行って、先生にあいさつをします。

「葉月先生、おはようございます」

「りっちゃん、おはようございます。ああ、これ少し持っていって。朝採りトマトです」


 今朝、丹精こめて栽培している庭のトマトが真っ赤になったから、はさみでちょきんと切って、かごに並べていとおしそうに見つめている。


 ぷるぷる、つやつやなキューピーのあたまのようにとんがったトマトたち。

 そのうちの三こ、うちの家族分を渡してくれた。

「すこしだけトマトは残しておくんです。鳥に分けてあげましょう」


 また固い緑色のピーマンの横に、真っ赤なピーマンができていて、これも一緒に収穫。赤いピーマンは、一つの枝に一つくらいしか成ってない。

 緑と赤のピーマンは別の品種なわけではなくて、同じ枝に成るって、先生が教えてくれたの。だから、緑から赤に変身中の不思議色もあるんだよ。 


 葉月先生って、背もすらっと高くて、はしばみ色の瞳がすてき。

 お父さまは日本人で、お母さまはフランス人なんですって。


 銀縁の眼鏡をかけていて、前髪がそっとかかるたびに、人差し指と親指でレンズのすぐ横の弦の部分をくって上げるのね。

 その時に、中指ですっと前髪を払うの。その仕草がなんだかすきで、ついつい見つめてしまうんだ。すてきな横顔。


 でもね、そんな葉月先生を見つめている女の子はたくさんいるの。なのに、当の先生ったら、そんなことぜんぜん気づいていなくて。

 もちろん、隣の家に住む私が、先生を観察していることも知らないだろうな。


「ひとつ、今食べますか」

 先生のトマトは、そのままかじりついてもおいしい。

 すこしだけあたたかいトマトはお陽ひさまの味がして、しあわせになる。


 朝って、庭に咲く薄紅色の朝顔にも、すべり台みたいなつゆ草の葉っぱにも、水玉のような水滴がついていて、指ではじいてしまいたくなる。

 そんなものにも命があるって、先生は言いそうな気もする。


 先生は理科の先生だけど、或る人は哲学者みたいだっていうの。

 哲学ってなんだろう。中学生の私にはよくわからないけど、難しいのかな。


 先生、トマトありがと。

 ママ、葉月先生とこのトマトもらったよー。







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