第7話 夕日と桔梗
「父も母も顔が分からず、どう言った経緯で預けられたのかも分かりません。
最初はなぜ自分がこんな目に会うのかと、毎日涙を流す日々でした」
子供の頃の記憶が蘇ってくるのか、時折顔を伏せながらも弓月の口調からは、決心が伝わってくる。
「でも施設の同じ境遇の友達が仲良くしてくれたので、
徐々に徐々に境遇について考えないになっていったんです。
ところがある日を境に、仲間達から距離を置かざるおえない状況に陥りました」
そこまで話すと弓月は目を閉じ、少し間を取ってから話を続ける。
「一緒に遊んでいた子が遊具から落下して大怪我。
何でも話せる親友が突然大病を患うように。
そして学校でも仲良しの級友が唐突に学校に来なくなりました」
友達が大怪我に大病。突如学校に来なくなった、か。
「最初は私もただの偶然と思ってましたが、負の感情に囚われるようになってから、
周りに奇妙な出来事が起きるようになったんです」
気丈に振る舞いながらも話を続ける弓月に、何度も声をかけそうになるが、ここは我慢の時だと歯を食いしばって、話を聞き続ける。
「自分が不幸な目に会うのなら耐えられる。
でも周りの人達を巻き込むのは凄く辛くて、学校を休んで家を飛びだしました。
そんな時知り合ったのが、名取 愛花さんでした」
周りの人達を巻き込むと思っていた弓月の心情は、想像できないくらいの辛さだったと思うし、心が迷い込んでしまったのも無理はないのかもしれない。
「名取さんは大きな会社の社長の子供でなかなか自由には生活できないけど、
とても好奇心旺盛な人なので施設の事、お互いの学校の事など
ありとあらゆる話をしました。そのおかげで苦しくて逃れた
世界でも楽しい時間を過ごす事ができたんです」
そこまで言って、弓月は口をつぐむ。
『葵ちゃんの手、震えてるにゃ……』
弓月が震える手を必死に抑えようとしている姿を見て、俺は無言のまま手を握る。
「……でもそれは間違いだったんです。
6年前のある夏の日、弓月さんと二人で向日葵の丘公園に行く事になったんです。
公園にたどり着く前から、景色が凄く綺麗で二人して気持ちが高ぶっていました。
その勢いのまま、私は川辺に咲いている花を近くで見たいと言って二人で近寄り、
転落してしまったのです。
前日に雨が降っていたので地盤が緩んでいたんだと思います。
……落ちた後は記憶がなく気づいたら一人、ペンションの近くで倒れていました」
弓月にはそう言う経緯があったのか。
「人に言いにくい事だと思うけど、最後まで頑張って話してくれたな」
言葉に詰まりそうになりながらも、最後まで話してくれた弓月に、優しく声をかけて再度手を握りしめる。
今の話でキーになりそうな点を整理すると、
1つ目は、弓月が周期的に負の感情に囚われてしまう事。
2つ目は、その時期になると、友達を含めて周辺に異常が発生してしまう?事。
3つ目は、名取を一時的にではあるが行方不明の状態にまで追い込んでしまった事。
大まかにまとめると、以上3つの問題点が考えられる。
弓月が言うからには、周りに何かしらの変化があるのは確かだと思うが、弓月のせいで全ての事象が起きているとは考えずらい。
猫と笠原さんの件を例に挙げると、弓月は猫に近寄ったが笠原さんに助けられたし、笠原さんも怪我で休んだ訳ではなく、奥さんの出産に立ち会おうとしていただけだった。
次に名取の件を考えてみると、向日葵の丘公園に行く事になり事故が起きてしまうが、報道を通じて無事を確認している。
施設の仲間や学校の友達の件は検証できないが、弓月の懸念を払拭する方法が、一つだけあると思った。
名取 愛花と連絡を取る事ができれば、この問題も解決するできるかもしれない。
そう言葉を発しようとした所で、スマホに電話がかかってきた。
「タイミング的に、笠原さんからかな?」
着信表示を見ると笠原さんではなく、皇社長からだった。
社長から何の連絡だろうと電話に出ようとするが、ふと手が止まる。
なるべく早めに名取と連絡を取りたいが、あまり遅い時間だと連絡方法を調べる時間も無いし、相手の都合も付きにくくなってしまう。
となると、今日だけでもバイトを上がらせて欲しいと、社長を頼るべきか。
言わずに後悔するなら言って後悔だと自分を奮い立たせる。
「お、綾瀬か? なかなか電話に出ないから席を外してるのかと思ったよ。
店の方はどうだ? 客は来てるか?」
「昼から店番をしてますが、雨が降っていた影響もあって来てないですね」
「そうか、それは残念だ。そうしたら綾瀬にお願いがあるのだが」
「社長。その前に俺から1つ相談させて頂きたいのですが、よろしいですか?」
「綾瀬から相談か、珍しいな。話してみなさい」
「友達のためにある人と連絡を取りたいんですが、
状況を考えるとなるべく早めに連絡を入れたいと思っています。
そのため今日だけでも、バイトを早めに上がらせて頂きたいと思うのですが」
社長に自分の想いをぶつけてみる、どうなるかは後で考えればいい。
「その友達は、綾瀬の大事な人なんだよな?」
「はい。必ず連絡を取って、その人の笑顔を取り戻したいと思っています」
「そっか。それならこれで上がっても大丈夫だぞ」
「本当ですか?」
社長の言葉で、飛び上がりそうなくらいの嬉しさがこみ上げてくる。
「私も綾瀬の願いを叶えてやりたいと言うのもあるし、私が連絡したのは
今日はこれで店を閉めて、綾瀬をあがらせようと思ってたんだよ。
元々今日は休みにする予定でいたしな」
「そう言う事だったんですね。それではお言葉に甘えさせて頂きます」
「若人よ、頑張ってくるんだぞ。って事で戸締まりをしっかりしておいてくれよな。
バイトは7時まででつけとくから」
「ありがとうございます! さすが社長、尊敬してます!」
「はは、口が達者な奴だな。それじゃ今日は寄り道せずに真っ直ぐ帰るんだぞ」
社長がどこか嬉しそうな口調でそう言い残すと、電話を切った。
『皇社長は、相変わらず凄いにゃ!』
「やはり社長に頼ってよかったよ。今日はこれで店を閉めて良いそうだ。
まだ話の途中だし、話したい事もあるからそうだな……俺のうちにくるか?」
「はい、綾瀬さんがよろしければ。後、ルキア君もね」
お、弓月から初めて名前を呼ばれた気がする。
弓月も話せるようになって来てるみたいだし、前進、前進。
「ってルキアの声が弓月も聞こえるのか!?」
「はい。この電気屋さんに入ってから、声が伝わってきていました」
『葵ちゃん、元気だすにゃ。亮介は良いやつだし、僕も一緒についてるにゃ!』
ルキアのおかげで、弓月も気持ちがほぐれた気がする。
俺は弓月に向かって親指をぐっと立てると、自分の着替えを持って帰り支度をするように言う。
後は展示品のドライヤーを元に戻して、店の電気を切ればOKだ。
「帰る準備はできたな。それじゃ鍵をかけて室外機の中へっと……。
俺達は家までゆっくり歩いていくけど、ルキアはどうするんだ?」
『僕は白猫ちゃんを、親のとこまで送り届けてから帰るにゃ』
「分かった。それじゃ、またな」
ルキアが去っていくのを弓月と一緒に見送ると、少し遠回りで自宅の方へを歩いていった。
曇っていた空はうっすらと夕日が覗き始め、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
そんな中、弓月と二人並んで歩いている。
「……夕日、綺麗ですね」
その場で立ち止まり、夕日を見つめる弓月。
雨の中猫を探していた時は弓月の表情も沈んでいたが、今は時より笑顔も浮かべるようになっていた。
「そうだな。見慣れた夕日のはずだが、今は違って見えるよ」
同じ物を見て、同じ感覚を共有する事は純粋に嬉しい。
確かに世の中大変な事は多いが、こんな綺麗な世界もあるんだと言う事を、弓月にも知って欲しい。
「夕日に照らされたこの桔梗も、凄く綺麗ですね」
弓月は道端に咲いている白い桔梗の花に手をかけながら、優しく微笑む。
桔梗は6月上旬から8月上旬までの花で、つぼみがふくらんだ風船のようになるので、英語でバルーンフラワーと呼ばれている。
花言葉は「永遠の愛」「誠実」だが、桔梗には他にも弓月に送りたい花言葉がある。
俺は雨で地面に落ちた桔梗の花を拾って、ハンカチで優しく包み、ポケットにしまう。
今すぐは無理かもしれないが、状況が上向いてきたら言葉と共に、弓月に渡そう。
施設のみんなも、きっと弓月の事を想っているはずだから。
「弓月、今はどこで泊まっているんだ?」
「駅前の素泊まりの宿です。あそこならあまり詮索される事がないので」
「あの格安のとこな。
詮索されないのは良いが、あまり女の子が泊まる所ではないな」
「でもまだ施設に帰る訳にいかないので……」
「それについてだが、俺に考えがある。大波荘に着いたら話すよ」
「ありがとうございます。すみません、私なんかのために気を配ってくださって」
「弓月、自分の事を私なんかと言うのはやめような。
今まで色んな事がありすぎて、周りを見る余裕がなかっただけで、
世の中悪い事ばかりじゃないし、お前自身も魅力的な女の子なのだからな」
「そうですね……綾瀬さんも凄く優しい方だし、猫を助けてくれる男性。
それに今はルキア君もいますしね」
「魅力的な女の子は?」
「ごめんなさい……それはいまいちピンと来なくて」
「そうか。まあこれから色々な事を見つめ直していけばいいと思うぞ」
それでもきょとんとしている弓月を眺めながら、家路へと歩を進める。
「さて着いたぞ。見慣れた我が家、大波荘」
相変わらずボロい建物だが、集中豪雨にも負けず、しっかりとそこに建っていた。
いつもと変わらない日常にほっとしていると、敷地内に黒塗りの車が止まっているのが見えた。
大波荘と黒塗りの車、間逆の属性だな。
今までこんな高級車が止まっている事はなかったし、この車に乗れるほどの金持ちは、ここにはいないはずだ。
一瞬皇社長かとも思ったが、確か日本車しか乗らないと言ってたから違うだろう。
まあ俺には関係ない世界の話だし、気にする必要はないか。
「大波荘って何か良い感じがしますね。
昨日初めて入ったばかりなのに、実家に帰ったみたいに落ち着きました」
「おお、その言葉は俺としても嬉しいねー。
気にいってくれたなら、好きな時に遊びに来てくれればいいからさ」
弓月の言葉で俺は上機嫌な気持ちで玄関に近いていくと、なぜか家の電気がついている事に気がついた。
「あれ、電気はちゃんと消したはずだぞ? 管理人さんが来てるのかな」
玄関の鍵を調べてみると、全く違う鍵穴に変わっていた。
管理人さん仕事の早さには、感心するばかりである。
「こんばんは、管理人さん。鍵の交換ありがとうございます……?」
部屋に入って目を向けると、そこには管理人のおじさんではなく、色白の女性と黒ずくめの男性が座っていた。
女性はまさに深窓の令嬢と言う感じで、少し茶色がかったふんわりウェーブの髪と青みがかった瞳が印象的で、男性はいかにもボディーガードですと言う感じで、笠原さんと良い勝負をしてくれそうだ。ってどこかで見た事あるような?
「初めまして。私、名取 愛花と申します」
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