黒猫のルキアと迷い心

時谷 創

第1話 色

『そう言えば、伝え忘れていた事があるにゃ』


突如相棒からの呼びかけを受け取るが、今はそれどころではないため、受け流して部屋の中に意識を集中する。


「腹の虫よ……。もうすぐ美味しいご飯を胃袋に放りこんでやるから、

 もう少し大人しくしていてくれよ」


真っ暗な自室でそう呟きながらも、俺、綾瀬 亮介(あやせ・りょうすけ)は動揺を隠せずにいた。


腹の虫が鳴ったとしても、何も気を使う必要は無いのだが、問題はその音の出所だ。


俺は暗闇のある一方向を見据えた状態で、大きく深呼吸をすると、蛍光灯の紐をゆっくりと引いてみる。


蛍光灯が2、3度点滅して部屋が明るくなると、そこには見知らぬ少女の姿があった。


一瞬、「異世界から来た巫女!?」と言う期待が頭をよぎるが、そうではなく、私服姿で俯く高校生くらいの少女だった。


腹の虫は俺ではなかったのだ。


大学に入って1年経ったが、俺はこの大波荘に1人で住んでいるので、少女について心当たりはないし、アパートの住民も顔なじみなので、その線も考えられない。


築40年のボロアパートなので、壁に手をつくと天井から何かポロポロと落ちてくるし、前から部屋の鍵もおかしかったので、偶然扉が開いてしまったのかもしれない。


『その子なら危険性はないにゃ。だから僕が扉を開けておいたんだにゃ』


それならそうと早く言って欲しかったよ、相棒さん……。


とりあえず、今は相棒より女の子への対処が先なので気持ちを切り変える。


「こんな所でどうしたんだ? 迷子か?」


人の家に入り込んで迷子と言う訳は無いが、少女を怖がらせたくはないので、優しくそう問いかける。


「……」


しかし少女からの返事はなく、俯いて顔が隠れているので、少女の顔を窺い知る事もできない。


俺は仕方なく別の方法で、少女の心情を『視る』事にした。


自分の心情を知られるとあまり良い気はしないので、友人にも話した事はないのだが、俺は相棒と力を合わせる事で、他者の心の状態を『色』で判別する事ができるのだ。


今右手に持っているコンビニ弁当を買った時に視た、店長の色はオレンジ。


オレンジは良い事があった時の色で、店長に聞くと昨晩お孫さんが生まれたとの事だった。


この少女はどうだろうか。


俺は視る力を使うために、相棒に心で呼びかけた。


『ルキア。そう言う事だから、もう1度だけ力を使うぞ』


『亮介は、猫使いが粗いのにゃ。僕も集会に向かってる最中で忙しいにゃよ?』


そう、俺の相棒と言うのは猫なのだ。


大波荘に移り住んだ翌日、目が覚めたら黒猫が枕元にいて、突然話しかけてきた。


他の住人に確認してみたが、ルキアの言葉は俺にしか聞こえないらしく、さらにルキアと心を合わせる事で、他者の心が色で視えるようになった。


お互い離れていてもやりとりができるので、色んな面で便利だが、心を視る能力だけは、お互いかなり体力が消耗するので、1日3回までと決めていたりする。


『明日お前の大好きなマグロの切り身を買ってきてやるから』


『仕方ないにゃ……今日はこれで最後にゃよ』 


目を瞑り、ルキアから徐々に力を届き始めたのを確認すると、俺は心の中で少女に謝り、意識を集中する。


すると、ぼやっとした色が浮かび上がり、しばらくすると『灰色』のイメージが脳裏に映りこんでくる。


灰色は「何かに迷い、抜け出せなくなってしまった」時の心情を表している。


泥棒などの仄暗い感情を抱えている訳ではないと分かったため、俺はコンビニ弁当を少女の前に置いた。


「ほら、腹減ってるんだろ? 俺はパンでも食うから、それを食べていいぞ」


腹ごしらえをすれば、何か話してくれるかもしれないと思い提案してみるが、少女はそれを見る事もせず、より深く顔を伏せてしまう。


いらない……か。


受けとる気配が無いため、俺はコンビニ弁当に手を伸ばすと、少女に軽く腕を掴まれる。


「な、何だ。やっぱり欲しいのか?」


しかし少女は俯いたまま、首を横に振る。


「いらないなら、俺が食っちまうぞ?」


そう少女に語り掛けると、先ほどより大きく首を横に振った。


一体どうすればいいんだ?


困り果てていると、少女は小さく震えながらもゆっくりと顔を上げた。


手を掴んだまま、こちらを物憂げな表情で見つめてくる。


か、可愛い……。


先ほどまでずっと俯いていたので分からなかったが、顔を合わせてみると、とんでもなく可愛い。


いわゆる、日本的黒髪美少女だったのだ。


『亮介のタイプにゃ』


そうそう、俺のもろタイプ……いやいや、今はそんな事考えてる場合じゃない!

ってルキア、突然出てくるな!


物憂げに見つめる表情に、気持ちが揺れ動きそうになるが、大きく深呼吸をして気を落ち着かせる。


「まあ何だ。俺に気を使わなくてもいいから、気にせず食べてくれよ。な?」


その言葉に少女はしばらく考え込むと、再度こちらに向き直し、こくんと無言で頷いた。


「よし、良い子だ」


掴まれていた手をゆっくりと剥がして、割り箸を手渡す。


それじゃ、俺はパンでも食うとしますか。


「クリームパン、クリームパンっと」


冷蔵庫を開けて中を確認し、お目当ての物を見つける。


スーパーでよく特売で売っている5個入りのあれだ。


こんなに美味しいのに100円で買えるのは、何だか申し訳ないと思うのは俺だけだろうか?


「これでよしっと。後はお茶を用意をするから待ってろよ。

 今冷たいお茶を用意してやるからな」


相変わらず何の返答もないが、背を向けたまま冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぎ込む。


「ほらよ、お茶だ。冷たくて美味しいぞ」


左手に持ったコップを手渡そうとその場で振り返ると、少女はまだ弁当に箸をつけておらず、こちらをじっと見つめていた。


先に食べればいいのに……いや、もしかして。


あり得ないと思いつつも、念のため確認してみる。


「もしかして、俺を待っててくれたのか?」   


 少女にそう声をかけると、今度は首を振る事も俯く事もせず、無言でこちらを見続けた。


まだ会ってから話もまともに成立していないが、俺の問いかけにYESと答えてくれた気がした。


まあ気がしただけで、実際はどうだろうな。


「それでは何かよく分からない状態だが、一応礼儀と言う事で……頂きます」


「……」


俺の言葉に同調してくれたのか、少女はコンビニ弁当の封を開けて、綺麗な箸使いで惣菜を口に運んで行く。


コンビニ弁当なのに上品だな、どこかのお嬢様なのだろうか。


悪いと思いつつも、チラチラと少女の食事作法を伺うが、少女はそれに気づいていないようで黙々と食している。


よっぽど腹が空いていたみたいだな。


そんな状態になるまで、どうしていたんだろう。


もし困っているなら俺にできる事がないかと思考を巡らすが、心を許してもらうには程遠い今の状況では、できる事はないのかもしれない。


それに食事が終われば、少女はここを去って行くのだ。


でも俺はこの短い時間で、何かしら心の片隅に残してくれればと思い、笑顔で話しかける。


「やっぱりパンは、クリームパンに限るな。どうだ、弁当は旨かったか?」


少女は満足したのか幾分和らいだ表情で、小さくこくんと頷いた。


まあ俺にできるのは、ここまでかな。


空になった弁当箱を机の上に置くと、ゆっくり少女に近付き、目線を合わせるために中腰になる。


「それじゃもう夜も遅いし、親が心配するだろう? 

 終電はもうないし、タクシーを呼んでやるから、ちゃんと家まで帰るんだぞ」


 スマホをポケットから取り出し、玄関方向へ歩きながら、タクシー会社の登録を呼び出す。


プルルル……何度かコールしてみるが、金曜日の夜のせいか、タクシー会社に電話が繋がらない。


「ちょっと待ってな。もう一社登録があるから、そっちにかけてみるよ」


スマホを操作し、お目当ての電話番号を見つけた所で、服の袖をちょこんと掴まれる。


「ん? どうかしたのか?」


「……ない」


「今何か言ったか?」


「……帰りたくないです」


帰りたくないか。そりゃ誰だって、帰りたくないって言う日もあるさね。


……ってやっと言葉を発したと思ったら、帰りたくないってどう言う事だ!?


免疫が無い訳ではないが好みの女の子にそんな事を言われたら、クラっとくるのが男のサガ。


一瞬舞い上がりそうになるが、少女の表情を見てすぐにその気持ちを打ち消した。


切なくて悲しくて……今にも泣きだしそうな表情をしていたのだ。


事情は全く分からない。


少女にとって家に帰るのが最善の行動なのか、それともせめて、今日だけでも泊めてあげるべきなのか。


難しい判断ではあるが、俺はこう言う時はどう振る舞うかを心に決めていた。


「君の好きにすればいいんだよ」


俺は迷わず少女にそう告げていた。


無責任で言っている訳じゃない。


どちらの選択が正しいか、誰にも分からない事で悩むなら、自分の好きな方を選ぶのが良いと思うんだ。


もちろんこの考えは取り返しのつかない、危険な選択になる可能性があるのも分かっている。


「今は心に迷いが出ているだけ。

 君の目を見れば馬鹿な事をしようとしている人間では無いのは分かる。

 だから俺は、君の考えを受け入れる。さあどうする?」


「迷惑で無いなら、今日はここにいさせて欲しいです」


少女は小さい声ながらも、しっかりとした口調でそう答えた。


「分かった。今日はうちに泊まっていくと良い。

 ただ見れば分かるがこの狭さに加え、予備の布団もなければ、クーラーもない。

 そこは我慢してくれよな」


「はい、それには慣れてますから……」


慣れている……か。


あまり言いたくない事だろうし、こちらからは触れないでおこうか。


「それじゃ今日はもう遅いし、寝るとしますか。

 俺はそこに座布団でも敷いて寝るから、

 君は比較的涼しい窓側にあるベッドを使ってくれ」


「それは申し訳ないので……」


 少女はこちらを見たまま、小さく首を横に振った。


「あー、悪い。よく知らない男のベッドでなんて寝たくないよな」


「いえ、床で寝て頂くのは申し訳ないです」


「そっか、了解。座布団では寝にくいと思うけど使ってくれ」


 少女に座布団を手渡すと、ぽんぽんと叩きながら床に敷き、ゆっくりと横になる。


「念のため窓は閉めて……っと。電気は消す方か? それともつけておく方?」


「どちらも構いません」


なら豆電にしておくか。真っ暗の中で二人きりって言うのも不安だろうし。


「まあ神に誓って何もしないから、安心して休んでくれよな。んじゃおやすみー」


「おやみなさい」


部屋の灯りを豆電にすると、自分のベッドに横たわる。


『何か妙な展開になってきたにゃ?』


ルキアの言う通り、夏休み初日から大変な事になった。


まさか見知らぬ女の子と一夜を共にする事になるとは。


とりあえず彼女が出ていくその時まで、自分にやれる事をしていこう。


体を横にして少女に目を向けてみると、よほど疲れていたのか、静かに寝息を立てていた。


「良い夢が見れるといいな」


少女の眠りの妨げないよう小さな声で呟き、自分も眠気に誘われるように、静かに目を瞑じていった。

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