飛ぶ鮪

@carifa

プロローグ


「後、一匹だ! 集中しろ!」


 男は必死に叫んでいたが、私は冷蔵庫の辛子明太子が気になっていた。


 恋人の仁志が白米好きの私の為にと、出張後は必ずその日の内に届けてくれる辛子明太子。あの日も、その辛子明太子をご飯に乗せ、シンプル且つ至極贅沢な食事を堪能した。


 そして、その後、私は余ったそれを、冷蔵室と冷凍室しかない冷蔵庫の下段部にある冷蔵室に納めた。確かな記憶ではないが、品保存用のラップは掛けていなかった筈だ。


 あれから、一週間が経つ。詰まり、これだけの時間が経てば、余分な湿度を排出し続けている冷蔵室内の辛子明太子は、必然的に勢いを失い、紅く美しい宝石の様な粒は硬く無気力に嗄れた侘しい塊に変貌しているに違いない。


 勿論、食べられない訳では無いのだろうが、乾燥される事で旨味が増す食品は大方、乾燥某、某乾と銘打たれた食品として既に店頭に並んでいる筈だ。


 だが、私は乾燥辛子明太子や辛子明太子乾等と謳った商品を目にしたことは無い。いや、ふりかけや、パスタの素として陳列されている明太子は知っているが、私に言わせればあんな代物は辛子明太子とは呼べない。辛子明太子とは微かに残る粒々の生々しさを舌全体で堪能すべき食品なのだ。詰まり、辛子明太子は乾燥させるべき食べ物では無い。


 勿論、冷蔵室ではなく冷凍室に入れておけば良かったのかも知れないとも思うが、帰宅出来ない時間がこんなにも長引く等とは思いもしなかったのだから仕方がない。それに、一度冷凍すると細胞の膜が破壊され、常温に戻した際に旨味の大半は失われると雑誌で読んだ事もある。とにかく、私は予想だにしなかった外出をいまだに続けているのだから、あの場合。



 冷凍室と言う選択肢は有り得ない。

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