2. 凶刃の夜会 -A Cup of Tea with Artificial Sweetener- (4)
フィルは馬車を下りて地面に下り立った。借り物の服の襟が苦しい。ロイクの後についてブリューゲル家の玄関に向かう。今日は約束していたパーティーの日だった。
ブリューゲル家もデルディヨク家もルサンでは屈指の名家であり、両家とも街の中心部の高級住宅街にある。距離が近いのでてっきり歩いて行くものだとフィルは思っていたのだが、当然のように馬車に乗せられた。
案内に従って屋敷の中に入る。デルディヨク家に比べても豪奢な内装だった。途中でボディチェックをされた。武器や魔術の発動体の持ち込みは許されないようだ。ホールに入ると既にゲストが何名か到着していて思い思いに固まって世間話をしていた。
使用人の中に見知った顔があるのに、フィルは気が付いた。先日、道で倒れているところを助けたメイドだった。たしかメルと呼ばれていた娘だ。一度目が合ったが彼女は何の反応も示さなかった。考えてみればあの夜彼女はずっと気を失っていたのでフィルの顔を一度も見ていない。見る限り怪我などはしていないようだったのでフィルは少し安心した。
「フィル君」
「はい」
ロイクがそっと囁いたので、フィルは抑えた声で返事をした。
「今日は適当にしていて良いから。僕についていなくても構わない。ただし、顰蹙を買うようなことだけはしないでおくれよ」
「善処します」
フィルの返事に、ロイクは苦笑したようだった。それからフィルを置いて会話の輪に入っていく。出迎えられ笑顔の輪が広がる。社交界の一端を垣間見た気がした。
取り残されたフィルは悩んだ挙げ句、目立たないように壁際に陣取ることにした。使用人が飲み物を持ってきてくれたので恐縮しながら受け取る。しばらく部屋の中をぼんやり眺めて過ごす。段々と部屋に案内されて来る人数が増えてくるが、立派な身なりの客ばかりだった。時折若い客も来るが、大抵は家族連れで名家の風格を感じさせた。
やがて銀髪の老人が部屋に入ってきた。其処彼処で固まって話していた人たちが一斉に話を止めて彼の方に注目を向ける。その後ろによく知った顔を見つけて、フィルは少しほっとした。
レティシアが上品な笑みを浮かべていた。今日は淡い水色のドレスを着ていて長い髪は結い上げている。細い肩は剥き出しになっていて胸元にはアクアマリンのペンダントが輝いていた。右手の指には今日も紅い指輪が填っている。その隣には彼女の両親。さらに線が細い少年が続いていた。彼がレティシアの弟だな、とフィルは見当をつけた。
レティシアたちがフィルの傍を通り過ぎる。すれ違う瞬間レティシアは目を丸くして足を止めた。しかしすぐに何事もなかったかのように歩みを再開した。レティシアの両親もフィルには気が付いたようだったが特に反応は示さなかった。
フィルは室内を見回す。心配したのだが、学院長はいないようだった。
「皆さん」
老人が朗々とした声で話し始めた。年齢を感じさせない活力に溢れた声だった。
「今日はようこそいらっしゃいました。大したもてなしも出来ませんが、楽しんでいって下されば幸いです」
老人は簡単に挨拶を終えた。部屋中から拍手が巻き起こる。それが静まるのを待っていたように、楽団が演奏を始める。そのゆったりとした旋律の隙間を縫うように、ロイクがフィルの傍に近寄ってきた。
「あれが銀狼の部族の族長だ。ベルント・ブリューゲル。議会の議長でもある」
「あ、はい」
フィルは曖昧に返事をし、それから気になっていたことを訊いた。
「ところで、これって何のパーティーなんですか?」
「……族長の孫の誕生日だね。レティシア嬢の弟君でハテム君だ。たしか十四になるのかな。ほら、あそこで挨拶を受けている」
ロイクは呆れたように答えた。前もって教えてくれなかったロイクに責任の大半があると感じたので、フィルは少し気分を害した。
誕生日のパーティーと聞いて、フィルはトラムの村のことを思い出した。誕生日にはいつも家族やウィニフレッドたちが祝ってくれた。父が獲ってきた獲物を材料に料理を作ってくれたのはウィニフレッドの母親だった。もちろんこんな豪華なパーティーではなく、こぢんまりとしたお誕生日会とでも呼ぶべきものだったが、嬉しく思ったものだった。
「後で私も挨拶に行くから、そのときはついてきてくれ。何も言わなくて良いから」
「分かりました」
フィルはひっきりなしに挨拶を受けているレティシアたちを見遣った。場慣れしているようで、レティシアは唇をふっくりとほころばせ堂々と対応している。部屋の反対側にいる彼女たちは大勢の人たちに囲まれて、とても眩しく見えた。
「そろそろ行くよ」
「はい」
人並みが途切れたタイミングを見計らってロイクは歩き出した。その二歩後ろをフィルはついていく。
「本日はお招きに預かりまして」
「こちらこそわざわざご足労頂きありがとうございます」
ロイクとベルントはにこやかに挨拶を交わした。フィルもなるべく柔和な表情を作って後ろに控えていた。
「ハテムさん、お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
ロイクは線の細い少年にも声をかけ、彼も小さな声で返事をした。見た目に違わず大人しい性格のようだ。弟は身体が弱い、とレティシアが評していたのをフィルは思い出した。
「今日は楽しんでいって下さい」
「ええ」
型どおりの遣り取りをした後、若長と族長は手を握りあってから離れた。フィルもそれについていく。部屋を横切る際に飲み物をテーブルから取っていくことにした。一言も喋っていないのに咽が渇いていた。口をつけると甘い果実酒だった。
二人の話のあまりの内容の無さに、フィルは少し驚いていた。パーティーが始まってからホストはずっと挨拶を受け続けているが、どれもあんな内容なのかと少し気になった。
「今日はあまり参加者が多くないな」
ロイクが小声で言った。自分に聞かせているようだったのでフィルは素直に問い返した。
「いつに比べてです?」
「一月ほど前のパーティーさ。レティシア嬢が学院に合格したときのことだ」
「まあ、ただの誕生日と学院への合格では……」
フィルの反応にロイクは口元を緩めた。
「トラムの村ならそうだろうね。あの規模の村なら合格者が出るだけでも大変な快挙だ。でもルサンだと話は違う。そもそも学院があまりよく思われていないし、有力部族の族長の孫娘が魔術師を志すなんてことは異例だ。兄弟がたくさんいる中での末子ならまだあり得ない話でもないが、彼女は長子だしね」
ロイクはそこまで言って口を噤み前方を見据えた。フィルがその視線を追うと当のレティシアがこちらに歩いて来ていた。彼女はロイクに軽く挨拶をしてからフィルの方に向き直った。ドレスの裾を摘んで優雅に頭を下げる。
「フィラルド・セイバーヘーゲン様におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「ええと……」
どう返して良いのか判らずフィルが口ごもると、レティシアはくすくすと笑った。助けを求めてロイクの方を見上げたが、彼は気を利かせたつもりか小さく会釈をして一人歩いて行ってしまった。
「それで? どうしてフィルがこんなところに来ているのかしら」
「ええと、若長についてくるように言われて……」
「ロイク様が? ふうん……」
フィルの答えに、レティシアは少し首を傾げた。このことは黙っていた方が良かったかと少し反省した。
「それにしても……」レティシアはじろじろと上から下までフィルのことを検分した。「ちゃんとした格好をしていればそれなりに見えるわね」
「ティアも綺麗だよ。とても似合ってる」
フィルは部屋の中心辺りに目を向けながらそう言った。部屋の真ん中辺りではゲストたちが二人一組に手を取って踊り始めていた。フィルの見たことのない踊り方だった。
「ありがとう。とても嬉しいわ」
レティシアは笑顔を浮かべてそう返した。きっとこんなことは言われ慣れているのだろうな、とフィルは感じた。
「あ、そうだ。メルさん元気になったみたいだね」
「ええ、フィルたちのおかげ。後で挨拶をさせるわ」
「いや、そういうのは良いけど……」
フィルは慌てて手を振った。仕草がおかしかったのか、レティシアはまたくすくすと笑った。大きく空いた胸元で、ペンダントがふらふらと揺れる。フィルはもう一度部屋の中央に目を遣った。ライトの魔法に照らされて男女が踊っている。ターンの度にドレスやアクセサリが瞬く。
「踊りたい?」
「え?」
「ずっとあちらを見ているから……」
レティシアは少し不満そうに言った。
「いや、そういうわけじゃ……」
「もう……」
レティシアはいよいよ不機嫌になった。棘のある口調で続ける。
「私と踊って下さらないの?」
「えっと、無理だよ。こんなダンス見たことすら初めてだ」
フィルは正直にそう言った。
「あら。村では踊らなかったの? 一度も?」
「祭りがあれば踊るけどさ。こんな優雅なダンスじゃないよ」
「ふうん……」レティシアは興味深そうにフィルの顔を覗き込んだ。「どんなダンスなの?」
「広場の真ん中に大きなかがり火を作るんだ。それから輪になって手を繋いで踊る。みんな好き勝手にぐるぐる回って……」
「……ウィニフレッドさんとも踊ったの?」
「もちろん。ウィニフだってフォクツだっていたよ。村の全員が集まって大騒ぎするんだ。年に一度のお祭りだからね」
「それは楽しそうね。一度、見てみたいわ」
「それは難しいだろうね」
フィルがそう言うと、レティシアは訝しげに言った。
「どうして?」
「祭りを見ているだけなんて出来るもんか。誰かに引っ張られて参加させられるよ。朝まで休んでる暇なんてない。酔っ払ってぶっ倒れでもしない限りね」
「……まあ」レティシアは目を丸くした。「本当に楽しそう」
「こんな上品な感じじゃないよ?」
「ええ」
レティシアは一つ頷いて、手を後ろに組んだ。
「ともかく、今日は壁の花ということね」
「誰か他の人と踊ってきたら?」
「良いの。今日の主役はハテム。私なんか隅っこで目立たないようにしていれば良いの」
レティシアの言い方が妙に自虐的だったのでフィルは少し気になった。しかしどう反応すれば良いのか判らず、結局何も言わなかった。
「今度、ダンスも教えてあげるわ。壁の染みにも」
「いや、それは遠慮するけど」
フィルが苦笑混じりに断った直後、突然室内が真っ暗になった。何の前触れもない、一瞬の出来事だった。
「きゃっ!」
室内の其処此処から悲鳴や動揺した声が響く。フィルの腕を誰かが掴む。引っ張られてバランスを崩したが、なんとか転ばずに踏みとどまる。
フィルは室内に目を凝らした。天井についていたマジックアイテムはまったく光を放っていないらしく何も見えなかった。窓の外からも光が入ってこない。人がたくさんいるのは気配で判るが何が起こったのかはまるで把握出来なかった。
闇を切り裂く高い音がした。ガラスが割れる音のようだった。それに呼応するように、また女性の叫び声が上がる。
「万物の根源たる光よ……」
突然耳元で囁かれてフィルはひどく驚いた。しかしそれが聞き慣れた声による魔術の詠唱だとすぐに気が付いた。
レティシアがライトの魔法を発動する。天井を中心に室内に光が満ちた。急に明るくなったため視界が真っ白になる。フィルは思わず腕で目を覆った。魔術を唱えたレティシアにしても同様の様で動こうとはしない。
「ぐあっ!」
部屋の中央の辺りから男性の叫び声がした。眩しさを堪えながらフィルはそちらを見る。真っ白な視界に徐々に輪郭が描かれていく。現れた光景にフィルは息を呑んだ。
銀髪の男性の胸からナイフが生えていた。その正面には黒い覆面をした小柄な男が立っていた。先程までのパーティーにはいなかった人物だった。
「お父様!」
レティシアが叫ぶ。それに反応するように、男はナイフを引き抜き閃かせた。彼の仕草から他に目標がいるのが見て取れた。レティシアが弾かれたように走り出す。エムレが床に倒れた。部屋のあちこちから叫び声が上がる。
それを見てフィルは慌てて詠唱を開始した。今日は杖を持っていない。発動体を使わずに魔術を使うのは至難の業だ。導師クラスの実力が必要とされる。しかしフィルは何度かこっそり試したことがあった。
男がナイフを振り上げる。その前にいるのはハテムだった。彼は恐怖に囚われているのか逃げ出そうともしない。その髪と同じ色の刃が振り下ろされる。
「エナジィ・ボルト!」
フィルは男の背中に向かって魔法を撃った。狙いは違わず命中し、男が小さく呻きバランスを崩す。しかしナイフは止まらない。室内に赤い飛沫が舞った。
「ハテム!」
レティシアがドレスを翻してハテムに飛びつく。さらに刃を振るおうとする男にフィルは続けざまに魔術を放った。エナジィ・ボルトが連続して男を射貫く。衝撃を受けて彼はナイフを取り落とした。その隙を突いて近くにいたロイクが強烈な蹴りを叩き込んだ。鈍い音と呻き声を残し、男はその場に倒れ込んだ。
やっと駆け付けた衛兵が男を取り囲む。もはや男は反抗しようとしなかった。大人しくされるがままになっている。すぐに縄を掛けられて引っ立てられていった。
「お父様!」
レティシアが悲痛な声を上げて、エムレの身体に縋り付く。ハテムがその横に呆然と立っている。怪我を負っているものの、彼には大事はないようだった。連続した魔術の消耗で重い身体を引き摺るようにして、フィルもレティシアに近づいた。
「お父様! 目を開けて下さい!」
一目でレティシアの父親が絶命しているのが判った。恐らく心臓を貫いたのだろう。胸には穴が空いていて、鮮やかな赤に染まっている。床には血溜まりが出来ていて、強烈な匂いだけで吐き気を催しそうだった。縋り付いたレティシアの悲痛な叫びが胸を打つ。
その淡い水色のドレスが、裾から段々と深紅に染まっていく。それがフィルが意識を失う前に見た、最後の光景だった。
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