第16話 闇の衝突

 黒く、時折光に反射すると赤くも見える美しき長い髪を肩で切りそろえ、鋭い瞳は猫のように細い。


「いやはや、恐れ入った。まるで“本物”みたいだったよ。見ているこっちまで照れちまった」


 微かに香る血の匂い。

 身につけた衣装は体のラインを表す程に窮屈そうで、所々肌が見えている。


「貴様、誰の前に立っているか分からぬであるまいな」


 古くから伝わる、死神の装束だ。

 そして、それを私は“知っている”。


「さぁね、珍しい魔力の流れを感じたから警戒してたんだけどね。ーーそっちこそ、何様のつもりだい?」


 女は告げる。猫の目で殺意を隠すことなく私に“殺し”を挑んでくる。


「……聞きたいことは山ほどある。じゃが……、その前に躾が必要なようじゃなーー」


 一瞬でベットから跳び移り、ソファーの背を踏みながらそのナイフを女の首筋に当て滑らせる。


「この魔王の事を忘れるなど、言語道断」


 ズシャリ、と肉を絶ち、切り割いた感触が手のひらに伝わる。

 だが、それは血が噴き出すよりも先に影へと姿を変え四散してしまった。


「やはりそなたは……闇の血縁者のものだったか」


 剥製に触れ、笑みを浮かべる女を睨む。


「こんなところで何をしておる」

「それは私の台詞ーー、ーーだね」


 言葉の端はすぐ耳元で聞こえた。

 影となって移動した女は私の手首を掴み、後ろに捻りあげて肩を抑える。


「今時、あんな精神魔法を使うなんて一体あんたは何者? 何を目的だい?」

「私は魔王だーー、主らの主人じゃよッ!」


 ぐるりと肩を軸に回転し、そのまま蹴りで持って体勢を押し崩す。ーーが、すぐさま女は影へと実態を変え、私の後ろ側へと立ってしまう。


「魔王……? 大きく出たもんだ」

「世迷言を」


 素早く後ろに重心を移し、そのまま“体は捻らないで”後ろ手にナイフを払い、気配を手繰りながら右へ左へとその影を切りつける。

 実体と影を使い分け移動するのは基本中の基本だ。しかし、その動きにも限界がある。


「チッ……」


 間髪入れずに斬りつけ続け、実態と影との変化の隙間に刃が届き始める。

 ナイフを交わすだけならずっと影になっていればいい。

 しかしそれでは“私を”捉えることは出来ない。

 影の状態を維持するにも魔力は使うので、精霊の加護を受けられないこの街ではただの消耗戦だ。


「ええいっ、鬱陶しい!」


 実態に移った瞬間とナイフの動きにタイミングが合った。

 避けられぬと悟ったのか、それとも拉致があかないと根をあげたのかナイフの腕ごと掴まれた。


「それはこっちのセリフだ」


 と同時に腕を引き、足の力は抜いて女の腕を支点に一気に接近すると「子供の駄々に付き合っとる暇はない」膝を突き上げ、その顎を蹴り抜いた。


「ッ……!!?」


 影になることすら間に合わず、はね上った女の顔が苦痛に変わる。

 緩んだ腕を振り払い、手首に一太刀、返る刃で反対側の膝に一撃加える。

 鮮血が舞い、私はそれを宙で舐めた。


「どうじゃ? 少しは目は醒めたか?」


 魔族でありながらこの私に刃向かおうなどとどうかしておるーー。

 しかしそれはこの国において私の力が及んでいないという事実でもあった。

 魔族の王が聞いて呆れるな。いくら私が知らぬ辺境の地であったとしても、そこに支配が及んでいないのであれば何が魔族の王か。


「まぁね……本気にならなきゃダメってことはなんとなく分かったよ」


 魔力が練り上げられ、空中に浮かんだ影の中に手を突っ込むとそこから一本の槍が引き出される。


「そういえばこちらだけ武器を持っているというのは何とも卑怯だったの。スマンスマン」


 小さな短刀ではあるが、刃物であることには変わりない。

 ただ、今更武器を取ったところで何かが変わるとも思えんがーー、


「……なんじゃそれは」


 影の中から姿を現したのは歯車仕掛けの槍だった。

 普通のものよりも太く感じられるそれには歯車が組み込まれ、異様な形をしている。


「時代遅れの魔法に頼ってると痛い目を見るーーよッ」


 しかし、ただの突きだった。

 構えた所から槍を一気に突きだし、私の胸元を狙う。

 見えていて避けられないものじゃない。仕掛けがあるとしても所詮は槍、一直線に動くそれをーー、「っ……」突然真横に起動が切り替わり、薙ぎ払うかのように動くそれをナイフで跳ねあげつつ後ろに反って回る。

 そして着地するよりも先に跳ねあげた穂先は跳ね返るように戻ってきていた。


「くっ……チッ……」

「さっきとは真逆だねッ」


 突き出される槍は熱を持ち、異常な軌道で私を追ってくる。

 どうやら巨大化する蒸気歯車スチーム・ギアと言うわけではなくその動きをサポートするものらしい。

 刃が体を掠める旅に蒸気がかかって鬱陶しい。

 脚を捌き、身を捩って躱すが軌道の読めない動きに手こずる。

 槍は突然実態を失うことはないが見えていても“反応が後手に回る”のは厄介だ。

 先が見えていればそれを踏まえて動けるのだがーー、


「どうしたよっ、こいつの燃料が切れるのを待つかい?! その前に、あんたが切り裂かれそうだけどね!!」


 ならば、こちらも見えないようにするだけかーー。

 ばさっ、とマントを目くらましに広げ、槍がそれを貫いた隙をついて懐に飛び込む。


「なっ……」


 布の影から現れた私に目を丸くするがそのときにはもう既に遅い。

 ナイフの切り先を今度こそ喉仏へ、影へと変化したとしても槍を手放せば勝機ーーは……、……?

 女の口元が笑っていた。

 獲物の槍では超接近戦において不利だと悟っていながらそれはーー、それは、獲物が罠に掛かったときに見せる表情だ。


「かっ……」


 ガシュン、と胸元で鉄が繋がる音がした。

 前へと動いていた体が宙に固定され、“二つに分かれた槍の片方が伸び、私の体を貫いていた”。


「けはっ……」


 呼吸がうまくできない。心臓は外れてはいるが肺をーー……、


「惜しかったね、あと一歩」


 槍を戻し、私の体から引き抜くと返る刃で「がッ……!?!?」意識が飛びそうになった。

 地に足を着き、ふらふらとソファーまで後退する。

 手を着き、それでも支えられずに膝をついてしまう。


時代遅まほうれなんかに頼ってるからそうなるんだよ」


 女の手には二本の槍が握られていた。


 なるほど……、あれは分裂する類の物だったのか……。


 ただの義手義足としてではなく当然兵器としても蒸気歯車スチーム・ギアは運用されている……、そしてその種類は思っているよりも豊富……か……。

 時代遅れ《まほう》を使っていると言われても、仕方がないかのうーー……?

 習得するのに多忙な時間がかかり、そして使用するにしても精霊の力を借りなければ限度がある。

 その点、蒸気歯車スチーム・ギアは誰にでも使えて使用限度も遥かに上ーー……、……便利なものを考え出すもんじゃ……。

 ただの同類に対してならこれほど遅れは取らなかっただろう。しかしあの歯車仕掛けの槍によって一方的に覆されてしまった。


「ハァ……」


 貫かれた胸をかばうようにゆっくりを息をし、魔力を集中させる。

 これしきの傷は時間が経てばすぐに治るーー。

 だから限りある時代遅れの魔法は、


「有効に使わねばなッ……」

「ふはっ」


 一気に接近する私を嘲笑うかのように槍を振るう女。

 本来二槍の槍など同時に扱えるものではない、ましてや広いとは言え室内だ。動きに制限がかかり、小回りの効く短刀の方が分があるーー。だが、その常識を覆してくるのが蒸気歯車スチーム・ギアによる変則的な動きだった。

 槍自体が生きているかのように右へ左へと絡みつくように追ってくる。

 躱し、時には弾きそのときを狙っているのだがなかなかチャンスが掴めない。

 もはや装飾品の殆どは切り捨てられ、ゴミへと変わり始めている。

 豪華絢爛な部屋は見る影もない、「ん……んぅ……」と部屋の影で豚蛙国王が呻いた。

 舌打ちするのが早いか、気絶をさせに体が動くのが先か、真っ先に私は首筋へと手刀を叩き込もうとしーー、


「だーめだってば」


 そこに槍がねじ込まれた。


「ひゃぁ!!?」


 シーツを掴み槍を絡みとる。

 もう一本を踏み抑えて顎に頭突き、返しに頭突きし返され歯を食いしばりながらもナイフを振るった。


「なななな、なにがっ……!?」


 眼前で繰り広げられる戦いに愚王大馬鹿は戸惑い、少し冷静になった所で兵士を呼ぼうと叫ぶ。

 そんなことはさせまいと蹴り飛ばすが時すでに遅し、扉を打ち破るようにして数名の兵士が雪崩れ込んできた。


 ーーのと、その者たちの喉が切り裂かれるのはほぼ同時だった。


 奇遇にも息があった。

 入ってきた兵士たちを私と女はほぼ同時に斬り殺すと互いに扉を蹴り閉め、再び刃を交え合う。

 地を蹴り、宙を舞って天井を足場に距離を詰める。

 相手が殺す気で来ている以上、同じ魔の者としても手加減をするつもりはもはやなかった。

 どうせ殺したところでそう易々と死なないのが我々だ。それに魔王に刃向かった罪。心臓の一つや二つ、潰されても文句は言うまいーー。


「ほらほらどうしたよ! 魔王ってのは口先だけかいっ?」

「事情があるんじゃよ!」


 魔力が使えない。否、無駄遣いできない。

 私の体はある一定の年齢で成長が止められている。魔王になる際に受けた呪いのようなものだ。

 そのおかげで体内魔力が通常の者たちよりも遥かに劣るーー。


「チッ……」


 普段は精霊の加護を受け、その魔力を貸し受けることでどんな上位魔法を何発打ったところで響くことはないのだが、この体に蓄積されている魔力では精霊魔法どころか、その上位魔法が何発撃てるか分からない。

 元々がアウトレンジからの長距離魔法を中心としていたせいで、体を動かすのは苦手だ。


「こんなことなら黒騎士の言うことを聞いてちゃんと稽古しておくべきだったなッ……」


 このような事態を想定していなかった訳ではない。ただ、このような事態に陥る前に、いつも決着をつけていたし、陥ったとしても私の仲間がーー、「考え事して死んだんじゃ笑えないわよ?」「わかっておる!!」遊ぶように顔を近づけたそれに回し蹴りを打ち込むが、軌道を変えた槍が貫く。すんでの所で足を止め、それを軸に二発ーー、「めッ!!」


「っ……!!!」


 槍の上から強引に打ち込み、私自身床に倒れこむことになるがようやくの一撃といったところだ。

 追い打ちで床に転がっていたツボを投げつけるが、それは槍で弾かれてしまった。


「時代遅れ《まほう》は精神操作だけ? 攻撃呪文は持っていないのかしら」

「事情があると言っておるだろう……」


 睨み合い、相手の動きを探る。

 ここで魔力を使っても良いのだが、あまり使うと白豚こくおうに使う精神支配の分がなくなる恐れがある。

 できれば体術だけでどうにか片付けたい所だがーー、


 ……贅沢は言っておられんかもしれんな。


 練り上げた魔力を攻撃ように転用できるように幾つか魔法式を用意しておく。

 策を練るのは上等だが、それで敗れてしまっては元も子もない。


「国王ーー、ご安心を。私は貴方の味方です」


 出口に向かおうにも死体が転がっているため躊躇ってしまい、結果的にベットの上から動けずにいる国王ぶたに女が声を突き刺す。


「身の上の明かすことはできませんが、この逆賊は私は打ち取ります故にご安心を」

「お……、おおっ……そうかそうかっ……! そうであるか!」


 自分に害がないと分かったからか興奮気味に告げる国王だったかが、構ってなどいられない。

 地を蹴り、瞬時に右へ左へとフェイントを入れつつも前へ、天井へ飛んで後ろに回り込むーーと見せかけてシャンデリアの鎖を切り落とす。


「緩い!」


 中から落ちてくる真鍮のそれを避けるように女は後ろへ飛び、「なっ……?!」地面に転がったツボで足を滑らせる。


「まさかこれを狙ってッ…「いや偶然じゃ」


 それを私は受け止めた。


「まぁなんじゃ……運も実力の内と言うからの……?」


 ナイフの刃で以って。


「ちっ……」


 脇に突き刺したそれを捻りって傷口を抉ってやるよりも先に逃げられ、振り向きざまに槍が投擲される。

 空中で僅かにブレて軌道を変えつつ、私の顔を狙ったそれを交わすと影となり実態を失った女が過ぎていった槍を追いかけるようにするりと通り抜けーー、

「いい加減におとなしくなさいッ」その槍を空中で掴むと薙ぎはらった。

 躱す、「このッ」避ける、「うっとうしい!!」蹴り上げ、そしてーー、「それはこちらのセリフじゃ」冷静さを欠いた動きをさばくのは容易だった。今度は喉に、鋭く突き刺しーー、


「甘いっ!!」


 後ろから槍が勢いよく首筋めがけて飛んできた。

 顔を倒して躱すと女の手元で再び一本の太い槍となり、一瞬動きの遅れた私のナイフを受け止める。


「ーーこういう使い方もできるのよッ……勉強になるでしょう?」

「ああ、本当に」


 腕に力を込めるとナイフの先が槍に擦れる。


「勉強不足じゃ」


 そして、そのナイフが“影となって四散し”槍を擦り抜けたところで再び実態化するーー。


「……!!?」


 驚愕に目を見開き、影へと変化しようとすると同時に首を捻って逃れようとするが間に合うはずもない。

 今度こそナイフは喉を切り裂き、赤い鮮血が僅かの間をおいて吹き出す。


「かっ……あっ……?!」


 槍を落とし、傷口を押さえながらも蹌踉めく女。

 私はナイフを手の内でもてあそびつつ、嘲笑ってやる。


時代遅まほうれで悪かったな、未熟者め」


 なんてことない。

 最初から“魔力で形成したナイフ”を使っていただけだ。

 影となれるのは己の体だけ。魔力を通わせた衣服は付いてくるが、蒸気歯車スチーム・ギアの武器は影にすることはできないーー。そう女自身がわかっていたからこそ通用した手だった。


「不意打ちの連続で悪いが、お互い様じゃろうて」

「あ……」

「喋るな喋るな。死ぬぞ?」


 致命傷ではあるが魔力を集中させれば助からないこともないだろう。

 ふらふらと壁にもたれ掛かり、傷の治療に移った女は放って、残る国王やくたたずの元へと歩み寄る。


「ひっ、ひぃ……!?」


 自分を守ってくれると宣言したものやられたのだ、一度希望を抱いて落とされるほど残酷なことはなかろう。

 顔色は悪く、ピクピクとニヤけた顔で頬が痙攣している。

 残念だが彼を守る兵士は床で息絶えている。ここで叫べば応援が駆けつけるだろうが、その前にあの女のように首を掻き切られることが解っているらしい。愚王は愚王なりに懸命な判断をしていると言えるのかもな? 否、このような状況に追い込まれている時点で所詮は愚王だった、と笑う他ないのだが。


「さて、続きと行こうか。ーーなぁに、怖がることはない。主はただ生きてさえおれば良いのだ」


 ナイフについた血を舐め、多少の魔力を得る。

 左手の指先を突き出し、先ほどのように魔法式を展開、精神へ干渉しようとして、「せ……、戦争と言ったな……」愚王が口を開いた。


「なんだ、この後に及んで“民を巻き込むな”とでも言うつもりか?」


 冗談で言ったのだがどうやら微塵もそんなこと考えていなかったらしい、アホヅラがなんともムカつく。


「我が国は負ける……!! 相手はあのシークランスだぞ!! バカなのか貴様!!」


 そんなこと言われても知らんしな、そのシークなんとかは。あと、バカにバカと呼ばれる筋合いはないし、人種ひとしゅ同士が殺し合って国が滅びることに何の抵抗を感じようか。むしろ手間が省けるというものだ。


「煩いのぅ……、後生じゃと思って聞いておればなんともゲヒゲヒと。そんなに早死にしたいのか?」


 ナイフの刃先を頬に当ててやると「ひっ……」と急に静かになる。

 素直なのかバカなのか。いや、バカなのだが。


「女、後で貴様の企み聞かせてもらうからな」


 どうしてこの男を守ろうとしたのか。どうして魔の者であるお前が人種ひとしゅの味方をしているのか、聞きたいことは山ほど有る。傷口の再生には小一時間かかるであろうから、その間の話し相手にでもーー、と再び愚王ぶたの精神支配を再開しようとしたところで腕が宙を舞った。


「……!!!?」


 文字どおり、自分の左腕が目の前を舞っていた。

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