第4話 酒場

「何度言えばわかるんだいこの子は!」

「ごめんなさい……」

「良いから皮剥いといでッ」

「はい……」


「……なんじゃこれは……」


 彼女の家、はどうやら酒屋の上階にあったらしい。

 薄汚れた狭い路地を幾つも曲がり、突き当たりに面した一角に顔を洗う猫をプレートにあしらったその店はあった。

 彼方此方を修復、増築したようで継接ぎだらけの店の中は外と変わらず薄汚れていて、食事をとるには抵抗すら覚える。しかし、


「かみさん! こっちおかわりね!」

「馴れ馴れしく呼ぶんじゃないよ!」


 そんな店の中は同じように薄汚れた男どもでいっぱいだった。

 いや、彼らのせいで汚れているのかもしれないなこれは……。店の中を磨いたところですぐに汚れは移るだろう。


「それで、あんたは一体なんなんだい」


 小麦色の、エールかな、あれは……。

 小ぶりのジョッキに乱暴に注がれたそれを運びながら入り口で呆然と立ち尽くしている私に女は言った。


「あの小娘に食事を馳走してやるのでついて来いと言われたのだが」

「ったくあの子は勝手に……」


 その当の本人はジャガイモの山を押し付けられ、店の裏へと消えていってしまった。

 どうやら此の女性は彼女の飼い主らしい。

 奴隷と呼ぶには部屋(と言ってもあれは物置に等しいが)を与えられていたので小間使いかそれとも……、


「娘ということはなかろうな」

「何か言ったかい?」

「いや何も」


 あまりにも似ていない。

 女性は女性で整った顔つきをしていたが、髪の色や目の色が彼女とは別物だ。

 そこに同じ血が通っているとは到底思えないので実の娘というわけでもないのだろう。


「悪いけど、あんたまで食わせてやる余裕はないからね」

「ああ、そうじゃな。失礼した」


 なるほど、拾ったのか。娘を。

 先ほどの男たちの口ぶりだとこの国でも子供は売り買いされる存在らしい。

 ともすれば、そこから逃げ出し、どこかの家に拾われる子もいるというだけの話だ。


「あの子によろしく伝えておいてくれ」


 踵を返し、喧騒から離れる。

 なーに、食物など市場に行って盗めばいい。そのついでにそろそろ服も調達せねば流石に布切れ一枚というのは見すぼらしい。


「おいおい、それはないんじゃないか?」

「なに?」


 突然大きな手が降ってきたかと思えば、頭を押さえつけられた。

 路地裏でそのまま地面まで押し込まれたことが思い出されたが、どうやらそんなつもりは無いようでガシガシと髪を撫でられる。


「いーじゃねぇか、飯の一つや二つ。そこのテーブルに出す分を分けてやりゃいい」

「あんたまた勝手なこと言って」


 そしてどうやらその言葉は私ではなく女将と呼ばれるあの女性に向かって投げかけられたものらしい。


「そりゃねーよっ、おやっさん!」

「いーんだよ! 文句あるならけぇりやがれっ」


 豪快な口ぶりに周囲が笑いに包まれる。

 見上げれば頬に大きな傷をつけたガタイの良い男が笑みを浮かべている。


「お前さんも遠慮せずに食ってけ。なーに、皿でも洗ってくれりゃおじさんは何もいわねぇよ」

「あたしゃ言うけどね」


 ちげぇねぇと周囲から野次が飛び、女性が怒鳴る。


 ……なるほど、いい酒場のようだな、ここは。


「ほら、ボケっと突っ立ってないでカウンターに座りなよ。料理が冷めちまう」

「一皿まるまるはねーだろカミさん!!」

「私のおごりだよ! あんたらは黙って喰いな!」


 大勢を相手に喚きつつ、パタパタと走り回る姿は見事なものだった。

 手際が良く、無駄がない。

 ガサツに見える振る舞いにも合理性があり、城で支えてくれていたメイドたちとは似ても似つかないが同じようなものを感じた。


「ほれ、お許しが出たんだ。たんと食いな」

「……感謝する」

「あんたも! なに油売ってんだい! さっさと厨房に戻って仕事の続きだよ!」

「おーよ、ガキどもの分貸せがねぇとなぁっ」


 そういって奥に消えて行く背中に「これ以上ワシ達から巻き上げようってのか」「俺もガキにしてくれや」「養子になるぜパパ!」などと掛け声が飛び、後ろからどんっと私は背中を押された。


「おやっさんの料理はうめーぞー?」

「らしいな」


 トテトテと騒ぎの合間を縫うようにしてカウンターに辿り着くと、なるほど。少し高いらしい。


「ふむ」


 よじ登り、腰掛ける。するとそれを待っていたかのようなタイミングで女将は料理を出してきた。

 流石に皿は汚れていなかったが盛り付けは乱暴なものだ。肉、野菜、パンが所狭しと積み上げられ、本来珈琲などを注ぐはずのマグカップにスープが注がれていた。


「食べ終わったら自分で洗うんだよ。寝床までは用意しないからね」

「ああ……、そこまで厄介になるつもりはない」


 なんだかとても懐かしい匂いがした。

 ふんわりと立ち込めるのはコーンポタージュだろうか。

 甘い香りに誘われて口をつけると熱いものが喉を通って胃に広がり、その感覚に空腹だった事を思い知らされる。


「あんたさぁ……」

「……なんだ」


 それまで慌ただしく走り回っていた女将の足が止まっていた。

 彼女を呼ぶ客の声に「ちょっと待ってなッ」と乱暴に答え、カウンターに肘を置いて私を見つめる。

 まさか人相書きで私のことを知っているのか?

 だとすればもう少し恐ろしがってもいいはずだが……。


 この酒場の空気感は不思議と落ち着く。身を隠している以上、騒ぎを起こすのは本望ではないし、気に入った場所を壊すのは避けたい。そこで相手の出方を伺うことしていたのだが、彼女はただ見つめるばかりで何も言わなかった。そうしてようやく口を開いたかと思えば、「綺麗な髪してんのね」などと訳のわからぬ事を言ったかと思えばまた男たちの元へと戻って行ってしまっただった。


「髪……か……」


 生憎その自慢の黒髪は、煤まみれだ。

 先ほど路地に押し倒された時か……。それでなくともボロ布を着ているのだから汚れがついて当然だろう。

 湯浴みも3日間していないことになるとすれば仕方あるまい。食事が終わったら着る物と風呂だ。

 今後の予定を立て、ふとあの少女はどうなったのだろうと彼女の消えた方を伺ってみる。


「…………」


 なんて事はない。

 スープから立ち込める湯気の向こう側に、扉の隙間から木箱に腰掛けジャガイモを向きならもこちらを覗いている姿があった。

 女将さんに歯向かうことはしないが、案外ちゃっかりしているようだ。

 私と目があうと口の端を見せて笑った。取り合うつもりもないので肩をすくめて返しておく。


 ……なんだか不思議な空間だな、ここは。


 こってりとしっかり味の付いたスープにパンを浸しながら口へと運び、相変わらず騒がしい店内を背中で感じる。

 荒くれ者、無法者たちの憩いの場ーー、とでも言うべきなのだろうが見てくれがそのようであってもここの者たちは無作法なりに礼儀を心得ているらしい。

 街中で出会った輩と同じ身なりをしているのだが……、ひとえにここの店主たちの人柄が反映されていると言うわけではあるまい。染み渡るような濃い味付けでありながら、くどくはない。疲れた体を癒しつつも労わることを心得ている。

 多分、この店のことを皆が好きなのであろう。

 それがこの空間を形作っているに違いない。


「悪くないとは思うんだがな」


 人の世であってもこういった場所があることに安堵を覚える。

 殺戮を繰り返し、力に物を言わせ他者を虐げるだけではないのだと、一筋の希望すらも感じてしまう。

 しかし、それは所詮人の世だ。

 人と人が繋がり、その中で自分の居場所を守るために行っている防衛策に過ぎない。

 感じていた温かさを嚙み殺すように食事を口に運ぶ。

 この食事だってそうだ。

 命を繋ぎ止める為には他者の命を食らう他ない。


 けれど、人は限度を知らぬ。


 業が深すぎるのだ。この種は。

 いつか自然への感謝を忘れ、ただ「己の利益のみ」を追い求めるようになった。

 弱肉強食。強きものは弱きものを従え、支配する。

 その摂理は間違っていないが、胃袋には限界がある。狩る者たちにも作法があるーー。

 それが、人種ひとしゅにはない。限界を超えてもなお狩り続け、底なしの欲望から他者を踏み躙る。

 ぴしっ、と目の前の皿にヒビが入った。

 無意識のうちに漏れた魔力に自制をかける。


「なんだ、口に合わなかったのかい?」


 そのヒビを黙って見ていた私にエールを運びながらも女将は声をかけ、私はそれに「いや、馳走であった」とこころばかりの礼を言って席を立ち、店の中を撫でるように見回してから外へと向かった。


 もうここに用はない。

 それに、ここにいると毒されるようだ。


 敵に情けをかけるのはろくな結果を生まないことを私は身をもって知っている。

 見逃した子が、十数年後に軍を率いてやってくることが何度かあった。

 結果的に殺すのであれば早いに越したことはないのだ。恨みを買うのなら一族全てを葬る決意で。


「待ちな」


 案の定声をかけられ、やれやれと振り返ると布が顔に飛び込んできた。

 受け止めてみれば何てことはない、質素ではあるが小綺麗なシャツとスカートだった。


「そんななりで出歩くもんじゃないよ。さっさと着替えて、皿はあっちだ」

「悪いが、……ふぅむ……」


 断る暇もなく、女将はまた店の中を動き回っていた。

 言葉も服もカウンターの向こう側から片手間に投げてきたものらしい。

 夫婦で営んでいるとなれば当然か。

 従う義理もないが致し方あるまい。多少ばかりの恩義であればこそ、ちゃんと返すべきなのだろう。……少し言い訳がましいかも知れぬが。

 どれだけ年を重ねても自分の弱さは目につくものだ。

 飽き飽きとしながらも着替えを皿を持ち、厨房らしき方へと入っていくと例の親父とやらが鍋を両手に振るっていた。

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