第18話 とある夜

「ちょっとキョーコさーんっ!? 勝手に寝ちゃダメですよぉっ!」

「もーぅ限界だってばぁ……、一人でしなさいよぉ……」

「一人で大富豪とか頭おかしいでしょぉ!?」

「いや、二人でもおかしいけどな」


 ずっと部屋の隅で白熱していた二人を見かねて、ジュンさんがタオルを投げ込んだ。


「ふぁー……、お前らバカじゃねーの」

「バカとはなにぉぅ!?」

「こいつと一緒にしないでくれるぅ!?」

「あー、はいはい」


 キョーコさんとリンさん、なんだかんだで気があうんですねー? だなんて、素直な気持ちで見れないのは多分嫉妬だろう。そんな感情に気がついてからますます真っすぐ彼女を見ることができなくなっている気がする。


「……アカネさん?」

「あっ、ごめんなさい……? なんだったかしら……」

「いえ……」


 俯いてしまうサナエさんの視線を追って、確か化粧品の話をしていたんだと思い出す。

 そうだ、肌荒れに効くのがあるから幾つかテストしてみないかって話になってーー、


「知人の会社ですから、安く手に入ると思いますよ? 頂いたのがありますから、いま取ってきますね」

「あ、はっ、はいっ……!」


 いつもはただ広いだけで、ひとりぼっちなことを嫌という程突きつけられる広い部屋も、彼女たちが来ればこれほどまで明るく、暖かくなる。むしろ少し狭いぐらいだ。

 そのことが、何処かこそばゆい。


 ーーでも……、どうして彼女たちと知り合ったのかを私は覚えていない。


 両親が他界して、お爺様のところに厄介になり始めてからの私はずっと孤独だった。

 奪われてしまった二人のことを嘆きつつ、こんな世界を憎んでいた。

 なのに、いつの間にかその穴を埋めるようにあの子達がいて、この世界を満たしていた。

 元あったものを上書きするかのように、そこに配置されていた。


「サナエさんのことだって……」


 廊下に出ると部屋の話し声は小さくなる。面と向かって言える話題でもないのだけれど、彼女のことは常に気になっていた。よくない人たちに捕まっていると聞いている。

 正義感の強い彼女のことだから、きっと誰かの身代わりになっているんだろう。

 そのことを私はよく思っていないのに止めようともしない。いや、止められないでいる。

 まるで何かに遮られるように。

 おかしなことはそれだけじゃない。他にも幾つか、本当に些細なのだけれど「違和感」みたいなものを感じていた。ある点で思考が無理やり切り替えられるようなーー……、「それ以上考えられないようにコントロールされているような」奇妙な感覚。どういえばいいのかわからないのだけれど……。


「あら……?」


 少し前に部屋から姿を消していたミユさんの姿を廊下の先で見つけた、突き当りの窓際で誰かと電話をしているようにも見える。


 ……携帯電話、持ってないって言ってたけど買ったのかしら……。


 電話の邪魔をしてはいけないとそっとしておくつもりだったのだけど、聞こえてきた会話に足が止まる。


「まだ終わってないってどういうことッ……?」

「……?」


 盗み聞きしようと思ったわけじゃない。

 ただ普段からは想像できない程の剣幕に階段に差し掛かっていた足を引き戻していた。


「これでみんな幸せになれるんじゃなかったの……!」


 厳しい目で誰かを叱咤しているようにも見える。でもよく見ればその手には電話も何も持っていない。宙を舞う何かを追うように視線は動いていた。


 ……霊能力者……ってやつなのかしら……。


 立ち聞きしている後ろめたさから自然と物陰に隠れる形になる。

 相手の声は聞き取れないからどうしても断片的な話になるのだけど、それはどうやら私たちについて言い合っているようだった。


「じゃあ……なに、また殺し合うの? まだゲームは続いてるの?」


 次第に声から温度が奪い取られていく。どこまでも冷淡な口調へと変わっていった。


「っ……私一人だけ生き残るなんてできるわけないじゃん!」


 突然叫び、その声は廊下に反響した。部屋の皆さんに聞こえたかと思ったけれど、扉の向こう側からは変わらず笑い声が聞こえてくるばかりだ。その温度差に彼女の異常さが際立つ。


「……わかったよ……ハーデス……、わかった……」


 それっきりミユさんは言葉を噤んだ。その瞳が何を見つめているのかはわからないけれど月明かりに浮かび上がる姿はとても綺麗で、それでいて少し触れれば壊れそうな程に不安定だった。


「……ミユさん?」


 放っておくこともできず、ゆっくりと息を吐くと恐る恐る側に話しかけてみる。

 少しだけ上ずった声に勘ぐられるかと思ったけれど、振り返った彼女はただ悲しそうに眼を細めるばかりだった。


「アカネさん……」


 もともと白い肌は月によって青白く染め上げられ、仄かに浮かべた笑みは瞬きのうちにも消えてしまいそうに思える。


「どうか……しましたか……?」

「ううんっ……? なんでもないっ」


 その言葉は明らかに嘘で、浮かべられた笑みは作り物だった。


「悩み事があるならおっしゃってくださいな?」

「うん……ありがと」


 迷い、躊躇し、考えるように視線は窓の外へと移った。

 三階から見下ろす中庭は手入れが行き届いていて祖父の自慢だ。明治に建てられ、改築こそ何度か行われているとはいえ歴史の刻まれた壁は触ると何処か暖かい。


「アカネさんは幸せ?」

「それ、向こうのお部屋でも皆さんに聞いておられましたよね? どうかしたんですか?」

「悩み事っ、みんなが幸せになるにはどうすればいいのかなって?」

「ふぅむ……」


 ーーみなさんは幸せですか。と談笑している時に彼女は尋ねた。


 その場の空気でなんとなく皆さんは「幸せかどうかはわからないけれど楽しい」と口々に答え、私も「それなりに」と答えた。

 事実、幸せかと聞かれれば幸せなんだとは思う。

 それ相応の不幸はあったとはいえ、友に恵まれ、悩みはあっても苦悩に膝を抱えることはない。だから不幸ではない。幸せなんだ。

 ただそれは不幸でないだけで、幸せなのかという問いには正確に答えられていないのではないだろうか。


「そうですね……幸せってなんなのかしら……?」


 改めて考えてみると難しいのかもしれない。もし願い事があったとしてそれが叶ったところで幸せかどうかはわからない。不幸の上に成り立つ幸福であるのだとすれば、それは本当の意味での幸せなんだろうか。

 耳をすませば楽しげに笑い会うキョーコさんや桃井さんの声が聞こえてくる。夜は基本的に静かだ。月の光が静かに音を奏でているようにも思えた。


「満たされても……、満たされなくても、人は不幸にも幸福にもなれる。幸せだと感じる中でも、不幸な人だっておりますわね?」


 考えるだけ、無駄な話なのかもしれない。

 私たちは何かしら「不幸だ」と感じる要素を抱えて笑って生きている。でもそうやって「笑って生きていられること」が、もしかすると「幸せ」なのかもしれない。


「よくわかりませんけどね……? みなさんにお会いできて、わたくしは良かったと思っておりますよ?」


 例えそれが、誰かに仕組まれた物だったとしても。


「……揺るぎませんね、アカネさんは。……ジュンちゃんの言った通りだ」

「え?」

「強い人だなって話してたんです。私もジュンちゃんも結構いい加減だから。あー……、ううん、これはジュンちゃんに悪いかな……? 私と違って自分を持ってる、そんな感じっ」


 ニコニコと笑う様子はよく知っているミユさんで、でもそれは少しだけ大人びて見えた。


「ミユさんだって、弟さんたちの面倒見て大人だなーって思いますよ? 毎日大変なのに頑張ってる。それとは違いますの?」

「私は頑固なだけだよ。いい加減で頑固だから、頭ん中凝り固まっちゃってかっちかちっ」


 大げさにジャスチャーを交えて笑いつつ愛らしい。けれどやはり何処か無理をしている。

 さっきの話の内容が関係してるんだろうけどーー、


「……なにか、隠し事があるなら話してくださいね?」


 どうするか悩んだ末に、切り出すことにした。


「力になれることなら、なんでもしますから」

「アカネさん……」

「だって私たち、お友達でしょう?」


 両親が死んでから、初めてできた友人だと思っていた。

 お家柄、同世代の子たちとはうまく馴染めず、その境遇と立場から他にやることが沢山あった。だからこそ、どういう経緯があるにしても、この絆を守りたいと私は思う。大切な人を、こうしてまた得ることができたのだから。


「おーいっ、あっかねー? なにしてんのさー」


 噂をすれば影は差す。部屋からキョーコさんが怪訝そうに覗いていた。


「いえっ、すぐ戻りますわ?」


 言って、ミユさんの顔を伺う。何かしら届いていればいいのだけど、その表情を見る限り私では力不足なのは明白だ。


「ミユさんも大切な人のために頑張ればいいんだと思います。そしてそうやって、皆さんが同じようにすればきっと、少しずつ色んな事が良い方向に転がっていくと思いますよ?」


 少し説教じみた物言いだったかな、とその場を離れてから思った。

 良い方向に、少しずつ……ですか……。

 そうなればいいと思いながら、世界は相変わらず憎しみに満ちている。

 私の声が彼女に届かなかったように、人々は理解しあえずに殺し合い、あの様な惨劇を生み続けるのだろう。


「…………」


 倒壊する二つのビル。舞い落ちる、黒い点。

 脳裏に焼きついた記憶と、二度とあんな思いを繰り返したくないという願い。

 ミユさんの心に何かしら残せていれば良いのだけれどーー。

 そんな祈りを抱くことしか、私にはできなかった。



 そうして、彼女は私たちを殺した。

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