第17話 狂言

「桃井さんっ……?」

「そっかぁー、そーなんだ。へぇー……? うんうんっ? 何度もループしてぇー? うんっ、あるあるっ、そーいうお話リンだいっすきぃーっ」


 こんな風に嗤う姿は記憶にない。いつだって狂ったように襲ってきていた彼女だけど、根本にあったのは「殺めてしまった姉への喪失感」で自分に空いた穴を自覚することができず、埋まりもしない穴を埋めようと必死にもがいていた。

 けれど、いまの彼女はただただ「異常」だった。


「止める必要なんてないよぉー……。


 だって、その分だけ『スズを殺せる』ってことじゃんっ☆」

 微笑み、斧を地面に叩き下ろして私に告げる。



「 リンが生き残っても、おんなじこと繰り返させるよ? 」



 ーー稲妻が、街を切り裂いて行った。


「……貴方はそんな人じゃありません……、スズさんとだってちゃんと話せば分かり合えるはずです……」

「分かり合えるとか合えないとかー? そーいう話は良いんだよ。……だって考え方なんて人それぞれだし、みんながわかるわかるぅーってなれば世界へーわじゃんっ? ありえないんだってぇーっそれはっ」


 楽しげに語る瞳には、いつの間にか光が戻り、その輪郭はハッキリとしたものへと変わっている。


「安心しなよ、アカネっち? 殺しても殺しても生き返らせてあげるからさっ?☆」


 私自身、彼女のことをよく理解しているわけではなかった。

 事実、彼女の願いを今まで知らなかったのだからーー。

 桃井さんは自分の願いを自覚していなかった。そして「疎ましい姉を始末する」という手段だけを強く願い、実現させてしまっていた。

 それはもう、呪いとなって彼女を縛り付けている。


「……ならば……、その鎖を断ち切ってさしあげます……」


 私の願いは叶わない。そのことを知っているからこそ、「皆さんが分かり合える」なんていう世界を望むことは放棄した。それでも、もし叶うのであればと願ってしまうのは祈りの残滓か、亡霊かーー。


「私も……ここで倒れるわけにはいきませんから」


 言って、地に置き捨てられた剣を引き戻し、手に握る。

 私の願いが叶わないのだとすれば、“叶えられる願い”だけでも叶えてみせるとそう誓った。その為なら、犠牲は厭わないと、心に決めた。


「きっと、今夜邪魔は入りません」


 その為に、距離をとったのだから。


「一人で挑むのは初めてですから、どうなるかはわかりませんが……まぁ、手の内は読めてますからね」


 蘇るのは夕日の公園。

 彼女と語らった、あの日の景色。

 額を流れる雨は冷たく、剣を打つ雫は子守唄のようにあたりに響く。

 巻き込まれ、命を奪われた少女。それに祈る後ろ姿ーー。


「ーーっこさん……」


 折れそうになる心を支えてくれたのは、微かな思い出だった。

 繰り返され、血で塗りつぶされてきた記憶だとしてもそこで確かに私は親友を得た。

 彼女を、もう殺させるわけにはいかない、救ってみせるーー。


「ちゃんと、今回“も”殺してさしあげますわね?」


 言葉は残像となり、それが合図となる。

 3人は無関係な操り人形。命を奪うことは元より、傷つけることだって躊躇われる。

 狙うなら、それは桃井さん一人だけ。他の子達は無視して突き進むーー。

 ……けどそれは、可能な場合のみと決めていた。


「悠長なことは言っていられないから」


 救える命には限りがある。

 あの公園での一件だって、少女の命を救おうと思えば救えたはずなのだ。

 でもそうできなかったのは私の甘え。


 ーー少しでも、彼女と語らいたかったという淫らな願望ーー。


 だから、懺悔は済ませてある。


「ッ……」


 振り上げた腕に力を込めた。覚悟を決める。

 何を犠牲にしたって救うのだと己に言い聞かせる。

 虚ろな瞳、僅かに覗く少女の怯えーー。


「ごめんなさい」


 振り下ろした先で、絶命していく少女の姿は、決して忘れまいと視線だけは外さずにいた。


「はぁああああああ!!!!」


 そして二人、三人と踏み込むたびに何の関係もない少女を切り捨て、自らの身を穢していく。血を被り、恨みを買いながらも前に進む。

 命を奪うことでしか何かを救えないのだとしたら、私はーー、私はッ……!


「その業も背負いますッ……!!」


 剣を振り抜き、目の前に迫った桃井さんに対して告げると彼女は笑みで答えた。


「背負いなよっーー、勝手にさッ?!」


 猫のように身をしならせながら斧を振り回し、私の剣を受け止める。

 不快な音とともに一瞬押し返され、だけど足元に磁場を作って滑るのを堪えるーー。


「ぁッ……ぁああああああ!!!」


 肩が外れそうだった。手が痺れて砕けてしまいそうにもなる。

 だけどここで退いたらきっといつかまた、あの子のところにこの子は現れるから。

 自分から遠ざけ、この場で死する運命だったことを回避したのに、それじゃ意味はないからッ……!


「ここでッ……死んでください!!!」


 腕を下まで振り抜く。今度は自分の力で吹き飛ばした体はビルに壁に叩きつけられる。即座に姿勢を戻し、角度を変えて突っ込もうとする。

 だけどリンさんは奥歯を噛み締めて笑い、もう「殆ど死んでいる」子達を私に向かって差し向ける。血を流し、命を零しながら立ち上がる彼女たち。疾走し迫るそれに私は雷撃で応える。

 幾分か動きが鈍っていた彼女たちを貫くのは容易で、ただの人間の体ではその一撃に耐えることはできない。

 肉の、焼け焦げる臭いと、血の蒸発する音。

 もう助かりはしないからせめてもの償いだと、即死させるつもりで落とし貫いた。


「ーーーー?」


 弾ける雨音に振り返った先には彼女の姿はなく、突然消えた雨粒に見上げた先で、雷鳴を受けて舞う影を見た。


「 打砕きッ、粉砕せよ! アレス!!」


 らしくない怒号と共に彼女の小さな体が舞い落ちてくる。

 異様な色に輝く斧は余りにも大きく、避けたところで地面ごと吹き飛ばされてしまいそうな悪寒さえする。

 だから私は、



「 打ち貫き、滅ぼせーー 」



 構え、睨んでその姿を心に刻む。



「 ゼウスッ!! 」



 もう二度と、彼女に会うことは無いのだから。


「ッ……!!!」


 磁場の反発と、磁気の引力を相乗させ一直線に光の速度で桃井さんにぶつかる。

 振り下ろした剣先は斧に食らいつき、弾けそうになる衝撃をそのまま反動に変え滑らせるように身を翻らせて前に。懐に転がり込んで肘をその柔らかい胸元に叩き込んだ。

 貫き、打ち砕く感触。ゴリッと、背中に斧の柄を突きつけられる苦痛ーー。


「 あなたのことは、忘れませんから 」


 白く染まる視界の中、歪んだ笑みに本来彼女がいつも浮かべていたであろう無邪気な笑みが、耳を立てた猫のような笑顔が重なる。どんな時でも笑顔を絶やさないのは彼女がアイドルだからか……。そのプロ意識には感服する。

 結局最後まで、彼女の歌って踊る姿を生で見たことがなかった。そう思うと少しだけ後悔が込み上げてきて胸の内が苦しくしくなる。彼女にとっては私は初対面だったかも知れないけど、私にとっては幾多の思い出が刻まれているのだ。



 でも、それを二度と失わないためにも。

 失うのは、これで最後にするためにも。



「貫け、ゼウスーー」



 神のいかづちが、世界を切り裂いた。

 それは、私と彼女を引き裂く、神の力だったーー。



 世界を切り裂くような雷が、辺り一面を白く塗りつぶした。

 


「…………」


 雨は、次第に力をなくし始めていた。

 制服はびっしょりと濡れ、私は張り付く前髪を剥がす。

 雲の切れ間から差し込み始めた日差しには心が安らいだ。


 過去との決別。現在いまへの叛逆の時ーー。


 一歩踏み出した先の水たまりは弾け、写り込んでいた憂鬱な面影をかき消す。

 終わったんだと、肩の力が抜けた。自然と顎は上を向き、太陽の日差しを求めるようにして視線を動かした。


「ぇ……?」


 しかし、水たまりは私の顔を捉えて離さない。

 後ろに聞こえた足音に振り返る、血だらけの桃井さんを抱える人の姿があった。

 それは私がよく知っていて、そして誰よりも私が守りたいと思った人だった。


「キョーコ……さん……?」



 水島キョーコ、その人だった。


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