第14話 キュートなティータイム

「きゃっ!?」

「サナエッ! こっち!!」


 吹き飛ばされたのは窓ガラスだけにとどまらず、力任せに壁は引き裂かれ、店内へと吹き飛ばされてくる。咄嗟に備え付けのテーブルを蹴り飛ばし、横倒しにして壁にしてサナエを引っ込み入れたのと、ガラスの破片が周囲を切り裂いたのはほぼ同時だった。店内を悲鳴が切り裂き、一瞬の静寂のうちにゆっくりと音が戻ってくる。


「ったく、もうっ……嫌な予感ばっかアタんだからッ……」


 私の悪態を知ってかしらずか。当の本人は優雅に着地し、ガラスを踏み砕いては高らかに笑った。


「じゃっじゃじゃーん、りんりんぅっ、ごとぅっじょぉーっ!」


 地面に倒れた店員や客を尻目に、ピンクのバカは手に持った大きな斧をくるりと回転させていた。けたたましく鳴り始めた火災報知機が火の手の上がったことを告げ、それは爆発音と共に大きな火の海に変わった。


「……ッ」


 小さく悪態をつきながらも身は隠す。手に持っていたメニューを頭の上に被せてなるべく見えないように背を低くした。隣を見るとサナエも驚きながら私に習っている。

 しかしあのバカに対する怒りだけはしっかりと湧いてきていた。巫女も何も関係ない。手当たり次第に関係ない奴らを巻き込むだなんて狂ってる……!

 こんなこと、長く続ければ警察だって動くのに何考えてんだ……!

 それが桃井リンとなれば尚更だろう。今売れっ子のアイドル、桃井リン。外での騒ぎはここまで届いているが、巨大なハイビジョンには彼女の歌う新曲のプロモーションビデオが流れて続けている。誰もがその姿を見て、彼女の名前に気がつくだろう。


「でもまー、頭のネジふっとんでんなら……しゃーねぇよなぁ……?」

「……?」


 声の方向を見ると、私たちと同じようにメニューを両手に持ち、扇子のように広げて身を防いでいた姿が目にはいった。


「おっひさー? ジューンちゃぁーっん?」

「ジュンちゃん!」


 向こう側に座っている子が慌てて止めようとするが、ジュンと呼ばれたあの子はやる気らしい。メニューを放り投げると空中からナイフを取り出した。


「話し合いてーんなら先ずは椅子に座らせてからだ。それは彼奴ん時でわかっただろ」

「……でも……」


 心配そうに視線を落とした友人の頭を鷲掴みし、わしゃわしゃとかき混ぜて笑う。


「心配すんな、俺は負けねぇ」


 僅かに刀身を引き抜き、光を輝かせた向こうに見えたのは確かな自信。

 打ち負かされることなど万が一にもないという、己への信頼だった。


「さーさー、馬鹿野郎。遊んでやるからには楽しませろよ」


 それに対して桃井の回答は微笑みで。

 つり上がった笑みは一線となって空間を切り裂いた。

 大きく振り動かされ、店内を削り飛ばしながら叩きつけられた巨大な斧。

 そして、それを受け止め迎え撃った日本刀の鞘ーー、は、ボキリと音を立てて崩れた。


「ははっ」


 小さく息を零し、卵の殻のようにひび割れた鞘を振り抜いて刀身を翻し、空いた体へ打ち付ける。線と線、鉄と火花が店内を破壊しながら動いていく。

 既にお互いの頭には店の中にいる人々の事は眼中にないのか、その余波が周囲に飛び火することには無頓着だ。


「ここで止めに入る理由は無いけどっ……」


 見て見ぬ振りもできない。でも戦いの次元が違いすぎてあそこに入れる気がしなかった。

 幾ら自分の体が神様の力で強くなっているとはいえ、あの二人の動きについていけるとも思えないーー。今の所、桃井は私たちの存在に気づいてない。気づいてないなら見て見ぬ振りをしてやり過ごすことも可能だ。


「サナエ」


 言って逃げ出そうとする。外の通じる階段は潰れてしまっているから窓から飛び出すことにはなるけど、桃井も追っては来ないだろう。


 ……けど、それでいいの……?


 ぎゅっと胸下を掴むとシャツの下で心臓が煩く鼓動を奏でていた。

 見て見ぬ振りは出来る。関係ないと言い切れる。神様の暇つぶしに、私たちの戦いに、彼らは関係がない。関係がないし、助ける必要も何処にもない。そこで命の危険に晒されている人がいたからって、自分の命を晒してまで助けたいとも思えないーー。だって、たぶん他人ひとは私のためにそこまでのことをしてはくれないから。他人ひとはそこまで優しくはないから。わかってるッ。わかってるけど……!


 言い訳ばかりごちゃごちゃ並べて心底嫌になる。

 子供のわがままみたいなものだ。神様に願った、人を信じたいという情けない祈り。

 誰にも裏切られることがないよう、他人ひとは信じるに値するのだということを証明してほしい。馬鹿みたいな話。誰かのことを信じられないから信じていいのだと言って欲しいだなんて。


 ーー私の願いは叶わない。


 頭の中であの言葉が繰り返される。そうだ、叶わない。叶えることはできない。

 だって、私は「いまも見殺しにしようとしている」。

 助けたいと思いつつも、他人ひとは悪であるとしか思えてないから。

 助けたところで、それで自分が救われるとは思えないからーー。


「ッ……」


 手のひらを返されること、信じた人に裏切られることを私は酷く怖がって、この一歩を踏み出すのを躊躇している。


「らぁああああ!!!」


 怒号は次々と生み出される武器を相手に向かって投げつけるものだ。


「きゃははっ」


 宙を舞う笑い声はそれらを砕き、無に帰すものだ。


「キョーコさん……?」


 こべりついた神様の声と、二人の争う様子がギリギリと心を締め付ける。


「やめろぉおお!!」


 耐えきれず、弾かれるようにして体が飛び出した。

 ポセイドンの力を体現させ、上がった火の手を力任せに消す。


「あぁああああ!!!」


 頭の中で公園での出来事がフラッシュバックした。 

 アカネと桃井の戦いを止めようとし、後ろから殺されかけた記憶が蘇る。


「ッ……!!」


 忘れていた痛みが脳裏に蘇り、それは体を縛る鎖となって私の動きを鈍らせる。

 しかし、止まらない。

 だけど、止まれない。

 自分の中の何かを断ち切るようにして声をあげ、力任せに振り抜いた槍はジュンと呼ばれた少女の横腹を抉って吹き飛ばす。最も、それは宙から生み出された小刀で受け止められたようだけど、それでも引き剥がすことはできた。


「くぅっ……!!」


 戦いたくない、怖いッ、逃げ出したい……!!

 そんな感情に争うように歯を食いしばり、悲鳴をあげつつやりを振るった。


「ほぃっ」


 桃井はそれを軽々と交わし、笑う。


「あっれれぇー? 貴方も混ぜて欲しいのー?」

「黙れバカ!! 誰があんたなんかッと?!」


 押しつぶされるような圧迫感。思わず跳びのくと自分が立っていた床がぶち抜かれた。

 深々と突き刺さった斧は到底あの細腕で振り回せる代物には全く見えない。


「ちっ……」


 冷や汗が額を伝い、背中にも変な汗が噴き出していた。

 こんな化け物たちに自分がどうこうできるとは思えないし、どうすればいいのかもわからない。


 ……でも、ただ見ているだけはできなかった。


「テメェ……、何しやがる……」


 後ろからかけられた言葉は感謝でも謝罪でもなく、明確な敵意を込めた苛立ちだった。


「何しやがるじゃないでしょ!?」


 街中で荷物がぶつかってケンカを売られた時のような理不尽さを覚える。


「舐めてんなら忠告しといてやる。悪いことはいわねぇからさっさとどっか行け。見逃してやっから」


 二人の狂犬、嬉々として戦い続ける馬鹿二人ーー。


「見逃してやるって! あんたたちがどっか行けばいいじゃん?! ここ、ご飯食べるところで戦うところじゃないでしょうよ!?」


 見当外れなことを言ってるのはわかってる。それでも桃井からは意識を剥がさない。

 この前みたいにどーっんてやられるのだけは勘弁だ。


「あのですねぇ、キョーコさん。リン達にそぉいうこと関係ありますー? 神様がどーのこーのって話になってるのに、何いい子ぶっちゃってんですか」

「あんたもうっさいなぁもうっ……!!」


 いい加減神経すり減りそうでこっちは参ってるってのになんでこいつはこんなに……!!


「良いですか、キョーコさん。神様がいるってことは私たちは全員おもちゃなんですよ。あの人たちのおもちゃ。人形デス。操られるがまま、言われるがままに動くことのできないにんぎょーです」

「はぁ……?!」


 逆撫でするように笑い、桃井はゆっくりと空いた手を持ち上げた。

 するとそれに呼応するように床に倒れていた人々がふらふらと立ち上がる。


「なら、にんぎょーは人形らしく、楽しまなきゃ損じゃないですかっ★」


 アレスーー、と小さく零された名前に命じされ、人々の手の中に様々な武器が握られた。

 剣、槍、盾、ボウガン。

 頭から血を流し、片腕はひしゃげているのにもかかわらず彼らは虚ろな狂気を以って、私たちを取り囲む。


「さっ、第二幕の幕開けですよー? みなさーん? 一緒に、あーっそびーっましょっ?」


 地響きのような足音っていうのはこれのことを言うんだなってぼんやり思った。

 一斉に走り出した人々は次々と私たちに向かって武器を振り下ろし、その度に悲痛な表情と対面する。


「くっそ……!」


 意識があるのかはわからない。記憶が残るのかもわからない。そもそも、解放されたからといって命を取り留められる保証もない。けど、彼らは今も尚苦しんでおり、痛みに顔が歪んでいく。自分の意思とは関係なく動かされる体に振り回されるようにして、徐々に、徐々にーー。……そんな彼らに反撃するなんてことは到底できなかった。


「あのバカッ……!」


 それはジュンという子も同じらしく、防戦一方で攻撃をかわし続けていた。

 飛び、跳ね、躱して弾く。

 身体能力の成せる技なんだろうが、できる限り武器を取り落とさせて無力化していく。

 しかし彼らは次々と襲いかかり。そんなことをしても無駄にしか見えなかった。


「桃井ィ!!」


 人垣の向こうで笑う姿に怒鳴った。

 槍を投げつけようとするけれど、その間に私たちを案内してくれた店員さんが割り込む。


「っ……?!」


 私の腕が一瞬止まり、それを桃井は見逃さなかった。


「 甘いなぁ 」


 ほんの僅かなチャンスを見逃さず、次の瞬間には意識が前にブレた。

 押し出される感触、背中を蹴り飛ばされ前のめりに倒れ込む瞬間、私は「またかよ」と小さく悪態をこぼした。


「ッ……ぁ……」


 床に組み伏せらせ、視線だけを上に向けてその足を睨む。

 赤に近いピンクのローファ、ウサギのマークの付いた可愛らしい靴下。


「……ほんっと……意味わかんない」


 やっぱり見過ごせばよかったんだ。隠れて、機会をうかがって抜け出せばよかった。

 私には関係ないことだと目をつぶって、他人ひとのことなど気にかけるべきじゃなかったんだ。


 ーー私の願いは絶対に叶わない。


 神様にそう突きつけられたように、私が祈ったことは現実のものにはならない。

 誰もが優しい世界なんて、生み出されるわけがないーー。

 諦め、目を瞑る。

 もう疲れた、もう、私はよくやった。

 ……そうだろ?


 そんな風に言い訳をして、手から槍を離して、抵抗していた首からも力を抜いてーー、


「でもそうやって諦めていたら、絶対に何も変えられませんっ……」


 サナエの声を聞いた。

 その声は私たちよりももっと後ろ、さっき隠れていたテーブルの側から発せられていた。


「どうしようもないんだってっ……、どうすることもできないんだっ……て諦めてたら、きっと何も変えられません……、だからっ……」


 ぱしゅんっと空気切り裂く音に次いで、私を押し付けていた腕から力が抜ける。


「わっ……?」

「アポロンは遠矢の神であり治癒を司ります。治癒は時として毒となるーー」


 ばたりと倒れ伏す男性の肩には一本の矢。そしてそれは気化し、煙となって周囲の人々から力を奪っていく。


「……桃井……リンさんっ……、わたしはっ……貴方を認めませんッ……分かり合えるとも思いません……!! だからーー、」


 次の矢を弓に添え、こちらを見据えるサナエは強張っている。必死に足を踏ん張り、自分の力にすら負けてしまいそうなその意思を懸命に押しとどめている。


「サナエ……」

「あなたをッ……倒します!!」


 呆然とする私を他所に、ジュンの連れていた女の子がつぶやいた。「やっぱりそうなるんだね」と。その意味を理解する間も無く桃井は疾走し、それに呼応するかのようにしてジュンが跳び出す。

 斧の隙間を塗って打ち込まれる居合抜きーー、


「けはっ?!☆」


 確かに身を切り裂いたそれを受けても尚体は突き進み、大きな斧を持った腕を振るった。


「サナエ!!」

「ッ……!」


 が、その一撃はサナエの僅か手前を抉り、床を捲り上がらせる。

 慌てて距離をとったサナエを追いかける真似はせず、傷口を押さえて桃井はふらふらと微笑んだ。


「諦めなかったからって……何か変わるんデス? 諦めずに報われることって、この世界にあるんデスか?」


 頬をなぞるような甘い声、既に腕に力が入らないのか持ち上げ用とする斧はビクともしない。しかし、桃井の瞳には先ほどとは違った「確かな光」が浮かんでいた。


「努力したって叶わない、何を願ったってどーしようもない……。ならさぁ……? 楽しまなきゃ損じゃん……?」


 ガタガタと震える手が弓を引く、目の前の恐怖を取り除かんとサナエが終わりを告げようとしていた。


「楽しみなよぉ……サナエっちぃーー?」

「ーーーー…………!!!!」


 撃ち放たれた矢は宙を切り裂き、その細い体も貫く筈だった。

 至近距離からの一撃を彼女は防ぐ術はなく、甘んじてその一撃を受け入れる筈だった。

 しかし、


「っ……アっ……」



 ーーそんなこと、私が許さないっ……!



「きょーこ……さん……?」


 サナエが何が起きたのか分からず目を丸くする。

 私だってそうだ、自分が何をしてるのか全然わからない。

 素手で掴んだその刃は皮膚を切り裂き、肉を絶った。

 ぼたぼたと腕を伝って血が溢れてくるし、制服はあっという間に赤く染まる。

 すごく痛い、マジで痛い。


「ッ……ぁ……、はははっ……逝ったいなァ」


 だけど、桃井は無事だ。

 だけど、桃井は生きてる。


「そりゃ倒しちゃった方が楽だし、その方がいいんだろうケドさ……? それってなんの解決にもなんないじゃん……? 諦めてんのとなんにもかわんないでしょーよ……?」


 気がついた時には体が動いていた。突き動かされるような衝動と、どうしようもない後悔がこみ上げてきていた。きっとそれはあの日、公園で戦っていたアカネと桃井の間に割って入った時に感じたものと同じ感情で……、どうあったって、捨て置けない気持ちだった。


「私らってさ……神様に否定された訳じゃん……? 神様に叶わないって突きつけられたじゃん……。でもその通りになるなんてわかんないでしょ……?」


 例え神様の決めたルールだとしても、その決まりに抗う事だって出来るはずだ。

 だって私たちは、


「戦わない事だって出来るはずでしょ……!?」


 サナエの手から弓が落ちた。力なく膝から崩れ落ちた彼女の意思と共に握っていた矢も消滅する。後に残ったのは僅かばかりの甘い匂いと、「治癒の神アポロン」の齎す癒しの力だった。……そうだ、何も神様の言う通りにする必要なんてない。神様の言うことを信じる必要なんてないーー。


「そもそもさぁ……? こんな悪趣味な暇つぶしを思いつくような神様ならこっちから願い下げだっつーの。そうでしょ、桃井リン?」


 何処かで、わかってくれると信じていた。

 分かり合えないなんてことはあり得ないんだと、思っていた。

 こんなふざけたゲームに巻き込まれて皆んな迷惑してるって。出来ることなら戦いたくないんだって……。


「…………?」


 だけど、やっぱりそんなのは私の身勝手な思い込みで、神様の言う通り「私の願いは叶わない」ってことを思い知らされる。


「えへへ……」


 その表情を、なんと呼ぶのかを私は知らない。

 呆然とし、愕然として、空虚な瞳で宙を見つめては今も泣き出しそうになっている。

 それでいて必死に唇を噛んで頬を引きつらせ、笑おうとしていた。


「スズ……」

「……桃井……?」


 まるでそれは夜の暗闇に食い尽くされた月のようでーー、

 まるでそれは魂を抜かれた人形のようだった。


「ッーーーー!!!」


 そんな桃井に一瞬の光が戻り、次の瞬間にはその細腕が大斧を持って振り下ろされていた。


「ぁ」


 私はそんな事態についていけずーー、


「     」


 目の前で床を、否、ビルそのものを打ち砕いた衝撃に身を守った。

 床を打ち砕かれ、崩壊していく建物の中、寂しそうにその場を去っていく後姿に私は何も声をかけることができなかった。


「ぼけっとすんな!! いくぞ!?」


 ジュンの声が辺りに響く。

 サナエと……、一緒に来ていた女の子とーー。

 ぼけっとしていた私を抱きかかえ、翔び去る。



 その日の事故の生存者は、私達の他には誰もいなかった。

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