第12話 穏やかな狂気

 目がさめるとそこは見覚えのない天井が広がっていた。

 古めかしい木目が走り、吊るされた丸い蛍光灯にはオレンジ色の小さな光が灯っている。

 ゆらりゆらりと揺れる紐が何だか懐かしく、リズムよく刻まれる台所の音は心地良い。


「……私は……一体……?」


 体を起こすとそこが古いアパートの一室だということがわかった。

 年季の入ったタンスに机、壁には私の制服が吊るされており見覚えのない鞄が私の鞄と共に置かれている。


「確か……私は……」


 ズキズキと痛む頭に手を当て記憶を探る。

 下校途中にピンクのバカに襲われて逃げて……、河川敷でアカネに会ったーー、


「…………!!!」


 慌てて周囲を見回し、ドキドキと脈打つ心臓の音に緊張を煽られる。


 ……い……いまさら……か……、いまさらだよね……?


 どうにかなるのならもう既にどうにかされてるだろう。何もおかしいところはないあたり、とりあえずは助かったらしい。ただ心臓はうるさく鳴り止まない。

 壁に吊るされた制服は破けてしまっているようだ。でも体の方はどうってこともなかった。

 思いっきり後ろからやられたと思ったけど……、どうなってんだ……?

 多少なり体は丈夫になると聞かされていたけど、そういう次元の話じゃなかった気がする。

 微かに残る記憶ではズっぷりやられてーー、


「ううっ…‥!」


 思い出して想像するだけでも身の毛がよだつ!


「ていうか……ほんとここどこ……」


 恐る恐る布団から抜け出してみる。部屋の感じからするとそう年の離れている子の部屋ではなさそうだが、あのアカネの自宅だとも思えない。間違っても桃井リンが助けてくれたとも思えないし、だったらここはーー?

 なるべく音を立てないように擦り寄って移動し、光の溢れて来ていた襖に手をかけようとして「わっ……!?」突然それが開いた。


「きゃっ……!」


 私が引っくり返り、それに驚いたのか相手も尻餅をつく。


「は……?」


 突然明るくなった世界に目が慣れ始め、そこにいたのは見覚えのない女の子だった。

 おとなしそうな雰囲気に長い髪を三つ編みにして、不安そうな目でこちらを見つめている。

 かけている眼鏡は倒れた衝撃で斜めになってしまっていた。


「わ……わ……おはようございますっ……」

「あ、う……うん……おはよ……」


 今にも泣き出しそうな声で震えながら告げられ、事情が飲み込めないながらも私も呟く。

 正直こっちの方が驚いてるんだけど完全に向こうの方が怖がっていた。


「え、えっとー……あんたが助けてくれたの……?」


 怖がらせないように慎重に、なるべく当たり障りのない風に話しかける。


「う……うん……、迷惑だった……?」

「や……ありがと、助かったよ……」


 巫女……だよな……? たぶん……。てことは傷が治ってるのはこの子の力……?


「あのさ、わたし、どれぐらい寝てた……?」

「えっと……二日間ぐらい……?」

「二日かぁー……」


 どこかが痛いわけでもないけど頭を押さえて呻く。

 電源が生きてるかはわからないけど、携帯には親からの着信がたんまり入っていそうだ。

 表づら的にはいい母親を演じてるからな、あの人ーー。


「あの……大丈夫……?」

「あっああ、ごめん……、なんでもない」


 笑って誤魔化す。こんな時にもなってそんなことの心配をしてる自分が情けない。下手すればこの子だって私を殺そうとしているのかもしれないのにーー。でも、目を丸くして驚く姿は騙そうとしているようには見えず、また、敵意があるようにも感じられない。実際どうこうするするもりがあったとしたら布団になんて寝かせちゃくれてないだろうし、とりあえずは味方…‥なのかな……?


「とにかく、助けてくれてありがとね」

「う……、うん……」


 信用しても良い。でも長居は不要だ。


「悪いね、世話んなった」


 言って立ち上がると制服を手に取る。

 着せてもらってるパジャマはこの子のものだろうか。悪いことしたな……。


「あっ、あのっ……」


 私が着替えている間、恥ずかしそうに視線を逸らしながらもごもご何か言っていたが言葉にはならず、制服の破れはパーカーを羽織ればそんなに気にならない程度だったのほっとする。

 スカートが無事でよかった。シャツは買い直せばなんとかなるだろう。


「ええっと……、ほんとありがとね。そんじゃ私はこれで」


 世話になっておいてなんだけど、仮にも命のやり取りをしている相手とずっと一緒にはいられない。せわしなく部屋を出ようとすると、ーーおなかの虫がなった。


「あ……あー……、えへへ……?」


 なんとなく気まずくて笑ってごまかす。そりゃそーだ、二日間眠ってたんならお腹が減って当然だった。するとクスクスと笑い声が聞こえてきた。


「ちょうどご飯ができたんです。夕飯にしましょうか?」

「……や、でも……」

「いいからいいからっ、そろそろ目がさめるかと思って二人分作ったんですよ?」


 悪気はないようで私を食卓へと誘ってくる。


「んぅー……」


 早く出て行かないといけないと頭ではわかっているけれど食欲には勝てなかった。

 なにより漂ってくるご飯の匂いがなんとも空腹に効く。


「わかったっ、ごちになりますっ」

「はいっ」


 嬉しそうに台所に消えていく姿を眺めてとても、優しい子なんだな、と思った。

 クラス委員とかに向いてそう。


「そちらに座っててください」


 促され、居間に座るとなんとも懐かしい感じのちゃぶ台が鎮座していた。なんだか全体的に昭和の香りがする、時代から取り残されたような作りだ。


「一年前まではおばあちゃんが住んでいたんですけど、施設に移ることになって譲り受けたんです……」

「あ、そう……」


 興味津々で見回していたのがバレたのか説明してくれる。

 床は畳でカーテンは閉められている。外の様子は分からないけど、時計の針は既に8時を回っていた。朝ってことはないかだろう。料理を運びつつ、空いた手でテレビのスイッチを入れた。一人暮らしだと癖になってるのかもしれない。報道番組が映し出され、キャスターがなにやら政治についてのニュースを読み上げる。

 静かだった部屋に多少なり音が生まれ、そのことで私の緊張も幾分か和らぐのを感じる。


「ほらほら、座ってください?」

「ああ……うん……?」


 見た目とは裏腹に案外積極的な彼女に勧められ、座布団に座る。

 食卓には様々な日本料理が並んでいた。


「ーーいただきます」

「い、いただきます……」


 姿勢良く手を合わせる姿に習って私も箸を持ち手を合わせた。

 到底私には真似ができないような料理ばかりだ。手が込んでいると言うわけではないけれど品数が多く、手間が掛かりそうだった。


「料理……好きなの?」

「へ……?」

「いや、すごいなーって……」


 私にとって料理といえばお湯を注ぐとかお湯であっためるとか、とにかくそう言うことだ。

 年は変わらないように見えるのによくもまぁ……。


「好きっていうか……癖付いちゃってまして」

「そーなんだ……」


 呆然とお箸で一品つまんでみると味付けは濃くなく、とても美味しい。


「……負けたわ」

「はい?」


 もともと勝負にもなってなかったんだけど。


「……あのさ、わたし水島キョーコ。……あんたは?」

「……緑川サナエです」

「サナエ……」

「はい」


 食事の合間に話を振ってみる。落ち着いてはいるけれど緊張しているのが手に取るようにわかった。自分の部屋なのに何だか可哀想だ。


「……どうして助けてくれたの?」

「悪い人に……見えなかったから……」

「そっかな……」


 沈黙が生まれるたびにアナウンサーの面白みのない声が響く。

 何もないよりかは良いんだろうけど、それでもちょっと気まずい。

 お互いに地雷を踏みたくなくて、慎重に言葉を探った結果、


「……私をどうこうするつもりはないんだよね……?」


 思いっきり踏み抜いてみることにした。


「……!」


 案の定、その肩はびくっと震え、味噌汁を取ろうとしていた手が止まる。

 意図的に外されていた視線は恐る恐ると私を捉え、一度うつむき、お箸をテーブルに戻すと小さく肩を丸めた。手を膝の上に乗せて全身で緊張している。


「実はあの日、携帯に知らないアドレスからメールが届いたんです……あなたを助けてくれって、だから……その……」

「……? メール?」

「ええ……、書かれてた場所に行ったら貴方が倒れてて、それで……」


 アカネだろうか? どうやって調べたかはわからないけど、たぶん傷を癒す力を持ってるこの子に連絡を取った……? 私を、助けるために……?


「そっか……、ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」

「へんって……! それなら私だって……!!」

「……?」


 自分だって部外者じゃない、そう言いたかったんだろうか。

 それ以上言葉は出てこなかったけど殺し合いをしてるってことを認めるのが怖かったんだと思う。そりゃそうだ、それを認めたら「今目の前にいる私」が自分の命を狙ってる事になる。

 地雷を踏みぬくにも勇気は必要だ。


「友達に……なってくれませんか……?」

「へ……?」


 でもそれが彼女なりの勇気だったのかもしれない。


「わたしとっ……! 私とお友達になってくれませんか……?!

 私とッ……、お友達になってください……!!」


 友達ならば殺し合うことはない。

 話し合い、理解し合うことだってできるはずだ。

 そんな風に考えたんだろう、小動物を思わせるその子の言葉は痛々しく、直視できないものだった。そして脳裏にあの微笑みを思い出させる。



 ーーあなたとは、お友達になりたかったのに。



「ーーーー」


 あの夕暮れの中、アカネは寂しげに微笑んだ。

 私に向かって、何もかもを諦めたあの目で。


「……だめ……ですか……?」

「ぁっ……、ああっ、ごめんっ……!」

「いっ、いえっ……」


 あまりにも沈黙が長くなり不安に思ったのか震えながらもサナエが聞いてくる。

 申し訳ない、命の恩人を前に別のことを考えてただなんて。

 そもそも、あの時、アカネは何を思っていたのか。どうしてあんな悲しそうな顔をしたのかなんて、今となっては確かめる術はない。だったら、とりあえずは棚上げだ。


「一応確認しておくけど、あんたは“巫女”なんだよね?」

「う……うん……、そういうことになってるみたい……。……戦いたくなんてないけど……」


 見るからに気弱そうだし、争いは避けるタイプなんだろう。それは見ていても嫌という程伝わる。なら、たぶん友達になれる。戦わずに済む。

 あのピンクの馬鹿とは違い、ちゃんと話が通じそうだ。


「いいよ。友達になろ?」


 それに、こういう子は嫌いじゃなかった。

 学校ではあまり見かけないタイプだけど、話してて悪いはしない。なら、手を取り合うのは悪くないだろう。そもそも助けてもらって断る理由もない。

 私がそう言った途端に固く閉ざされていた顔は笑顔へと変わり「ほんとですか!?」と目を輝かせた。


「あー、うん。私なんかでよければ、だけど……、正直私も戦いたくなんてないしさ? 仲良く出来るんならそれはそれで嬉しいし」

「よかったです……! お、おかわりいります!?」

「う、ううん? それは遠慮しとく……、まだ残ってるし」

「そ、そうですよねっ……」


 一人舞い上がった事が恥ずかしかったのかまた小さくなる。そんな様を見て思わず思わず笑ってしまった。嫌なことばかり続いていたけど、友達が増えたのはなんだか嬉しいことだ。こんなゲーム、関係なければもっと良かったんだろうけど。


「じゃあ、あのっ! お話があるんですけど!」


 嬉しそうに笑う姿に頷く。


「なに?」


 たぶん一人でできないことも二人ならなんとかなる。あのピンクの馬鹿の事だってーー、


「桃井リンさん、どうやって殺しますか?!」


 一瞬、思考が停止した。


「ぇ……?」

「あの大空アカネって人も……! 二人なら殺れると思うんです!」


 楽しそうに語る姿に愕然とする。しかし、それでも彼女は嬉しそうにその口を止めない。


「特にあの桃井さん! 放っておいたら大変なことになります! だから明日にでも街に出て片付けましょう。桃井リンさんと大空アカネさん!」

「そ、そうだね……?」

「が、がんばろーねっ、キョーコさんっ?」


 私が言葉を失うなか、握りこぶしを作って気合いを入れるサナエに、もしかすると私はとんでもない子と手を結んでしまったのかもしれない。そう思った。

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