第10話 踊る鮮血

 血が足りてないのもあるだろうが、それ以上に精神的に参っているようだ。


「たら……しかない……、なら……すしかない……」


 ぶつぶつと呪詛の言葉でも零しながら刀を揺らす様はまさに亡霊か何かだ。


「ハァ……」


 呆れた。こんなことになってまで挑んでくる姿勢には感服だ。


「ジュンちゃん……」


 後ろから制服の裾を握るミユの震えが伝わって来る。


 ーーあー……、めんどくせぇなぁ……。


 誰かを守って戦うなんて経験は今までにない。

 一対一、もしくは大勢に囲まれた状態で自分一人が「どう切り抜け、打ち倒すか」という戦術に特化したものであの『オバケ』がヤケを起こしたとして、後ろのミユを守りきれる自信はなかった。


「危なくなったら逃げるなりしろよ……? お前に加勢してもらおうとは思ってねーからさ」

「うっ、うん!」


 そこまで潔く頷かれるとむしろありがたい。

 完全に信用したわけじゃない。そんなことはないと思いたいが、後ろからズッポリ刺されるのは御免だった。取り敢えずミユが変な気を起こしたとしてもなんとかなるとは思うから、意識を生徒会長の方に向ける。


「……くふ……くふふ……?」


 虚ろな目、やる気の感じられない口元ーー。


「なー、あれこれどーの言うつもりはねーんだけどよ。向いてないぞ。やめとけよ」

「ははっ」


 忠告すらも無視し嗤って、そいつは駆け出す。斜めに日本刀を下げたまま距離を詰め、大きく振り上げると斜めに振り下ろし、宙を切った。


「ーーだからよぉ……むいてねーって」


 躱したまま足を払い、バランスの崩れたところに肘を打ち込む。

 体を回転させた勢いと、向かってきた力がそのままぶつかり華奢な体はくの字に曲がって悲鳴が押し出される。

 柔い、脆いーー、殺し合いなんて到底不可能な体だ。

 到底訪れはしない追撃を警戒しつつ距離を取り直して癖で構える。


「…………はぁ」


 しかしケホケホとむせる姿に呆れ、ため息とともに腕を下げた。


「……こーいうこと言うのもガラじゃねーんだけど、駄な争いは避けてーんだよ。まだ午後も授業あんし、陸上部の大会だってちけー。騒ぎ起こして練習時間削られんのはヤなんだよ」


 両手を挙げ、お手上げポーズ。本来ならあり得ないだろうが、別に真剣な殺し合いってわけでもねぇ。


「話し合いで解決できねーか? 運よく、そこにそれを望んでるバカがいるからよ」


 虚ろな視線がミユを捉えた。

 少し離れ、心配そうにこちらを見つめる姿に敵意は微塵もない。


「……な?」


 一歩、ゆっくりと近づく。

 場合によっては無理矢理にでも無力化する必要がある。

 昨日のように眠らせるのではなく、ヘラの力を使ってでも強制的に退場させる必要がある。

 できれば、そんな手荒な手段までは取りたくはない。


「……どうだ?」


 足を進め、なるべく敵対心を抱かせないようにしながら様子を伺う。

 しかし、「話し合い……?」うわごとのように呟いた言葉は風に乗り、耳に届いた。

 表情を隠していた前髪の隙間から、苦渋に滲んだ瞳がこちらを射抜く。


「そんなことっ……とっくに試したに決まってるじゃないの!!」

「っーー、」


 何かくる、そう確信して踏み出した足を軸に後ろに跳ぶ。


「ーー芽吹けッ、ペルセポネ!!」


 くるりと回転させられた刃を屋上のコンクリートに突き立て、叫ぶとその切れ目から幾つもの根が張り巡らされていった。


「ちっ……、バカがっ……、」


 ぐんぐんと伸び続ける太い木の根は首を振るって足首を掴もうする。


「やめろッ」


 首をもたげた根を刈り取り、さらに下がると根の数は一気に数を増していた。あたり一面に広がったそれらは徐々に体を大きく擡げ、互いに絡み合うと幾つもの「太い根でできた怪物」を作り上げていく。

 そいつらが体を動かすたびに根でできた体はミシミシと音を立て、生徒会長を守るかのように蠢く。


「意見がぶつかった時は話し合いで解決しましょう……。昔から私はそうしてきました」


 刀を抜き、その反動でふらふらと揺れながらも生徒会長はつぶやく。


「だから今回も……、私の願いと皆さんの願いが食い違っているのなら……話し合って、どうすべきか決めるべきだと思ったんですーー、なのに……なのにあの子はッ……!!」


 感情に合わせるかのように一斉に動き始めた木の化け物が襲い来る。

 囲まれないように常に場所を移動しつつ、根を弾く。

 走り、躱し、打って突き刺す。

 集団戦のノウハウは体に染み込んでいて、行き詰まらないように気をつけながら相手との距離を測った。この木の化け物を相手にし続けたところでどうしようもない。結局はあのバカを止めないことには終わりは見えない。


 ーーめんどくせぇなぁ……。


 そうこうしているうちに距離はだんだん離れて行き、一歩で飛び込める範疇ではなくなりつつある。切り捨てた根は地面で萎れて消えるものの、次から次へと新しい奴が生まれてきてキリがなかった。


「ッ……、」


 一瞬、木々の隙間からその姿が見えた瞬間に腕を振り上げ、手に持っていた刀を投げつけた。わずかな隙間をすり抜けるようにして突き抜けたそれは、しかし、寸前の所で割って入った木の根に弾かれてしまう。


「ーーどうして……、殺しあわなきゃいけないんでしょうねぇ……?」


 投げやりな瞳は振り下ろされた木の根に掻き消される。

 此方の出来た隙を見逃すわけもなく、化け物の腕が振り下ろされていた。

 何本もの根で織られたそれは鞭のようにしなり、受ければ肉をえぐられ、骨を砕かれること歴然だった。だから両手を挙げ、素手でそれを受け止める勢いで叫ぶ。


「目覚めろッ、ヘラ!!」


 甘く、気怠い感触ーー、いい加減で、役にも立たない神様。

 がきんっ、と木に刃が食い込む音ーー。

 手の中には別々の形をした小さなナイフが収まり、それらが木の根を押し返している。


「いい加減っ……少しは手伝えってーのッ!!」


 弾き、手に持っていたナイフを投げつけると更に宙から取り出すように“次のナイフ”を取り出す。


「あなたっ……そんなのって……!」


 隙を与えさせぬように位置を変え、隙間を縫うようにしてナイフを投げ続ける。

 鋭く、僅かにできた道を貫き、全力で投擲するーー。


「ぬぁあああああ!!!!」


 次々と刺さり続けるナイフは根の壁に遮られ、勢いを殺される。

 だけどやめない。

 だけどとめない。

 そうやって投げ続けられるナイフを見て、攻撃が届かないことに気がつき、徐々に余裕の浮かび始めた笑みを見逃さないッーー、


「いまだッ! ミユ!!!」

「ーーーーっ……?!」


 言って、生徒会長が振り返った。

 焦り、緊張にひきつる一瞬ーー。向かってくるナイフに意識を取られ、安堵した次の瞬間に放り込まれた危機的情報。それに全身は敏感に反応し、否応なしに私の視線の先、自分の死角となっている後ろ側へと振り向かれる。


「 ばーっか 」


 すぐ傍に跳び込みながら笑う。

 無論、そこには誰もいない。

 ひと一人分だけ空いた屋上の空間には青空が広がっているだけだ。

 大きく靡いた黒髪がこちらに振り返り、反射に振り回された意識が驚愕へと染まるーー。


「だから向いてねーって言ってんだよ」


 宙を舞った勢いをそのまま足に乗せた。右足を蹴り抜き、その首筋を捉える。


「眠ってろ」


 打ち抜き、伝わる確かな感触。意識を刈り取った、確かな手応え。

 一瞬、ミユが息を飲むのがわかった。

 着地と同時に生徒会長は膝から崩れ落ち、それに呼応して根もしおれるように床に伏す。


「ふー……」


 あちこちに突き刺さったナイフが光となって消えていく様は何処か幻想的で綺麗だ。

 なんとなく、すぐそばに落ちていた最初に投げた小刀を手に取る。

 神様の力。殺しあうために与えられた武器ーー。

 それはあまりにも美しく、神話の世界を思わせる。

 でもそれが人の命を奪うために使われるのだとすれば、憎くもなる。

 例え、自分の身を守るために使っていても、だ。


「さてと……なぁ、ミユ?」


 これで話が終わりじゃない。

 問題はここからだ。

 争いを止めるというのであればコイツを説得する必要がある。

 願望を打ち砕き、「到底叶わない夢だったんだ」と諦めさせる必要が有る。

 そのためには場所を移動し、人目につかない所に連れて行こうーー。

 そう、提案しようとした矢先だった。


「……は……?」


 張り巡らされた根が、大きくうねり、首をもたげていた。

 足首を掴まれた感触に、不気味に笑う口元を見た。


「ーーてめぇッ……」


 焦りと苛立ちは同時にこみ上げてきて、しかし体が動き始める前にそれらが襲い掛かった。

 ほぼ同時に。一番最初に数本の根が互いに絡みついて人型の化け物になったように。


 “今度は屋上のすべての根が”私を包み込むように一瞬にして捻りあげられた。


「がッ……」


 そして、全身から感覚が吹き飛んだ。


 自分の体が「そこにある」という感触がなくなった。


 視界が暗闇に染まり、音も、匂いも、何も感じなくなる。

 引き潰され、ミンチにされたという漠然としか理解。

 それだけがただ頭の中に浮かんでそれ以上思考は働かない。

 指先一本動かすことができず、ただエラーを吐き続けるように停滞する意識。


「ーーーー?」


 眠気のようなものがじわじわと込み上げてきて、食らいついていた意識も引き込まれた。

 呆然と「死」というものを理解した気がした。

 一瞬の油断が命取りだった。甘いのは自分だった。

 最早どうすることもできず、どうにも抗えない。

 しくった。ただ、それだけだった。もう、どうすることもできない。

 そんな中、遠くで、私の名前を呼ぶ声がした。


「ジュンちゃん!!」


 滅多に呼ばれることのない、“下の名前で”呼ぶ声がした。


「……ゅ……」


 僅かに戻ってきた現実の感触と、痛みを通り越して何も感じない身体。

 虚ろな意識の向こう側で、こちらに向かって腕を構えるあの子の姿が見えた。

 ……なにしてんだ、あいつ……逃げろよ……。

 言葉は出ない。ただ、眠りに落ちていく身体の中で悪態をついた。


「ハーデスッ……」


 悲鳴にも似た、しかし、それ以上に憤怒に染まった声が辺りに響く、そしてーー、



 ーー雷鳴が、辺りを引き裂いた。

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