*記憶の渦

 ──シレアたちはシャグレナ大陸の中央より、やや北方に解放された。

 見渡す限り荒れ野が続くばかりで視界すら肌寒く、走る風は甲高い音を立てながら背の短い草をなでつけていく。

「寒い!? なんでこんなに寒いの!?」

「シャグレナ大陸は他の大陸と違い、特殊なマナの流れじゃからなあ」

 叫んだヤオーツェに苦笑いを返した。

 この世界のあらゆる場所に流れ、充満しているエネルギー「マナ」は、全ての存在に影響を与えている。

「本来は縦横無尽に流れている大地のマナが、この大陸に限っては少ないと聞いた」

 エルフの言葉に古の民は頷き、さらに続ける。

「大地のマナは本流から支流が幾重にも分かれ、地中を駆けめぐっておる。しかし、この大陸は本流自体も細く、そこから伸びる支流も数が少ないんじゃよ。その分、他の大陸とは異なる特異な植物があるそうじゃ」

「そのせいで背の高い草木はあんまり生えてないのか。俺たちにもちょっときついかな」

 マノサクスは小さく溜息を漏らした。

 彼らはマナの濃いウェサシスカで生まれ育っているため、大気が薄いのと同等に多少の息苦しさを感じているようだ。

 翼は羽毛によって温かいが、体はその寒さに着込んでいる。このなかで気温に振り回されそうにないのはアレサくらいだろうか。

 よく言えば気温の変化に強く、悪く言えば鈍い。

「なんでこんな所に住んでるんだよ!」

「特別な大地には特別なことがある。そういうことなんじゃろう」

 声を張り上げるヤオーツェをなだめるように発した。

「ミシヒシが動かないよ~」

 しかしヤオーツェはスワンプドラゴンの首をさすりながら、か細い声を上げる。彼自身も寒さで動きにくそうだ。

 後ろに乗っていたシレアは口の中で何かをつぶやき、そっとミシヒシの背に手を当てた。すると、縮こまって動かなかったスワンプドラゴンが徐々にその体を動かし始める。

「えっ? なにしたの?」

「周囲に暖かな空気を集めた」

「そんな魔法があるんだ」

「補助魔法だがね。あとで教えよう」

「ありがとう!」

「さて、行くぞ。ゆっくりもしていられん」

 ユラウスの声に、一行は再び北に向かって馬の脚を進めた。

 寒々とした大地は景色を変えることもなく、遠方に見える山を飾る雪は溶けることも無いのだろう。鋭く尖った形状がまたことさらに寒さを誘う。

「気分が滅入るな」

「見晴らしが良い」

「前向きな発言だよね」

 常に明るいマノサクスに呆れつつアレサは手綱を握る。

 気にかかるのはシレアの態度だ。今まで彼が躊躇うことなどなかった。しかし、錬金術師に会うとなったとき、彼は表情には出さなかったが明らかに戸惑っていた。

 シレアは何故、何を思い、足を止めたのだろうか。



 ──数日ほどして、荒れた大地にぽつんと佇む一軒の家を視界に捉える。大した造りではないが、厳しい大地でそれなりの頑丈さと断熱性には優れているのかもしれない。

 ミシヒシから降りたシレアは土台に目を留める。そこには、何やら見慣れない植物が建物を守るようにびっしりと生えていた。

 ユラウスもアレサも長く生きているが、初めて見る植物だった。それはツタなのか柱に幾重にも絡みつき、赤いとげで威嚇するように毒々しい。

 葉には青白い筋が走っていて、自然界にはいそうにない見た目をしていた。

「錬金術から生まれたものか?」

 アレサは眉を寄せ、玄関に向かう一同のあとを追った。

 扉の前で立ち止まると、ユラウスはゆっくり建物を見上げて不思議な文様の描かれたドアを叩く。

「どなたか、おられるか?」

 されど返事は返ってこず、肩をすくめてシレアと顔を見合わせた。

 ノブを軽く握り引いてみると、扉はきしみをあげて開く。

「不用心じゃな」

 再び見合い、気配を探りつつ足を踏み入れた。

 室内は温かく、窓から差し込む陽射しのおかげで廊下は明るい。しかし、掃除はしていないのかほこりっぽく、何に使うのかわからないものがあちこち乱雑に積まれていた。

 廊下を進み、少し隙間の空いた扉の前に立ち止まる。どこか異質な空気が立ちこめる建物内に、意識は自然と周囲を警戒していた。

 かたかたと窓を叩く風を聞きながら扉をくぐる。そこは薄暗く、やはり掃除されていないことが窺えた。

 ここは書斎だろうか、棚には多くの書物が並べられ、奥にあるテーブルの上には何枚もの紙が散らばっていた。

「不在のようじゃな」

「待ちますか」

 そうこうしているうちに、玄関の扉が開く音がした。定期的に聞こえていた足音は部屋のトアが開いている事をいぶかしげに感じたのか、書斎にたどり着く前にぴたりと止まる。

 再び鳴った足音が部屋の前に到着すると、ずらりと並んだ面々に少し驚きながらも、その人物は目深にかぶったフードを脱いで薄く笑んだ。

「これはこれは」

 客人とは珍しい。

 ユラウスたちを一瞥してまわり、敵意がないことを確認して燭台の蝋燭に火を灯す。明るくなった室内は普段、人を寄せ付けていないせいか、積もった埃が舞い上がりアレサは軽く手を振って不快感を示した。

「勝手に入って失礼した。おぬしが錬金術師のマイナイか?」

 最年長であるユラウスがまず口を開く。彼が古の民だと気がついたのか、男の瞳が多少の好奇心を見せた。

 しかしすぐ、その表情を隠す。

「何か用か」

 薄汚れた灰色の髪は、過酷な土地で生き抜いている証のように湿り気を無くし、オレンジの瞳は心の奥底にある何かを引き留めているように輝いている。

 四十代も、とうに終わりに近づこうとしている男はマントを脱いで壁のフックに吊した。

「マイナイ殿で相違ないか」

「それがどうしたね」

 再びの問いかけに、男はぶっきらぼうに答えて椅子に腰掛ける。歓迎されていないのは彼の態度を見れば明瞭だ。

 どうしたものかと仲間たちは互いに見合ったが、ユラウスはめげずに問いかけた。

「少々、訪ねたいことがあるのじゃが」

「なにが知りたい」

 あからさまに嫌悪を示していたマイナイだったがふと、視界に捉えた青年に目を留めて体を強ばらせる。

「まさか……。いや、そんなはずはない」

 思い出した一瞬に首を振る。その表情に、ユラウスは男を見据えた。

「彼をご存じかな?」

「いいや、別人だろう」

 やはり、なにかを知っている。そう確信し、最後の言葉を吐き出した。

「彼は、名をシレアという」

 それを聞いたマイナイは目を見開き、椅子が倒れてしまうほど勢いよく立ち上がった。

「生きていたのか!? 本当に!?」

 足音を響かせて青年の両肩を掴むと、視線をやや上げてシレアの瞳をじっと見つめる。しばらく彼の瞳を見つめていたが、ふいに口の端を吊り上げた。

「そうか、そうか。生きていたとは──。それで、何用か?」

 先ほどの不機嫌な態度から一変し、マイナイはある種の笑みを貼り付けた。

 それは、どこか狂喜じみているようにも感じられ、アレサたちには違和感として見て取れた。

「すまない、彼は自分が何者なのかを知らないのだ。もし、知っているなら──」

「ああ、知っているとも。それで後悔しないというのなら、教えてやろうじゃないか」

 思っていたよりも快い返事に一同はほっとしたが、後悔しないならばという言葉は少なからずもひっかかる。

「シレアよ、己が何者なのかを知る前に、私の事も忘れていよう。仕方なし、我々の前からお前が姿を消したのは三歳のときだったのだから」

 マイナイの言葉と声に、シレアの視界は急速に歪み薄暗くなっていく。

 目の前の風景は勢いよく中心に集まり、それと共に幼少の記憶が霧の立ちこめるなかに浮かび上がる。

 歪みはさらに勢いを増し、知らない建物、知らない人々の姿が脳を圧迫するように折り重なっていった。

 それがどういった記憶なのかを計り知る暇もなくふいにそれらはかき消え、元の場所に戻ってくる。

「皆も座られよ」

 それぞれに腰掛けるように促し、マイナイも椅子を戻して腰を落とした。

「さて、何から話せばよいかな」

 男はこのときを待ちわびていたように笑みを浮かべ、優雅にデスクの上で手を組んだ。

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