*暗き森の鼓動

 明け方に出発し、太陽が真上近くに昇る頃には周囲を木々が覆い尽くしていた。

 目の前にうっそうと生い茂る草木を見つめる。森の奥に目をこらすと、思っていた以上に深い森だという事が窺えた。

 魔物の棲む森と言われるだけあって、地面から突き出た樹木はどれも異様に曲がりくねり、みきを支えている根はまるで荒波のようにうねっている。

 そのままの名前で拍子抜けしそうだが、他に形容できる言葉が無かったのだろう。それが返ってこの森の不気味さを引き立たせていた。

 ソーズワースの緊張を和らげるように首をさする。カルクカンはその強靱な二本の脚でしっかりと大地を踏みしめ、恐れる風でもなくシレアを乗せて踏み出す。

 枝を広げる木々の隙間から漏れる陽の光は、あたかも得体の知れない存在を映し出すようにまばらに差し込み、鳥の声は凶暴な獣の気配に怯えるように甲高く鳴り響く。

 青年は慎重に気配を探りながら奥へと向かった。

「本当に広い森だ」

 歩きにくさと警戒しながらでは、休憩を交えているとはいえ大した距離は進めない。 陽はすでに傾きかけているというのに、一向いっこうに先が見えてこない。

「今日はここまでか」

 カルクカンから降り、森に入って二度目の夜を過ごす。火をおこし、腰を掛けて夜食の用意を始めた。

 森に入ったときからまとわりつく視線に眉を寄せる。これは、例の忠告をしてきた影のものだ。何が目的なのか、それを知りたい。

 残りの干物をげんなりと見やり、数枚を焼いていく。そうして焼けた干物を細かくちぎり、火に掛けていた鍋に投入する。街で手に入れた香辛料を加え、そこらで摘んだ野草も入れて軽くかき混ぜた。

 月のない夜には満天の星を仰ぎ見ることが出来る。しかし、森に入れば美しい瞬きを目にすることはなく、シレアはやや残念そうに溜息を漏らす。

 たき火の炎が時折、小さく弾けて木々の姿をゆらゆらと黒く作り出していた。

 相変わらず、どこからか注がれる視線──敵意は感じないものの、あまり気持ちの良いものではない。

 視線は遠く、おそらく別の場所から意識を飛ばしてこちらを窺っているのだろう。

「まあいいさ」

 仕掛けるつもりならとっくにやっているだろう。気にせず多めに薪をくべ、眠りに就いた。


 ──朝、鳥の声を聞きながら出発の準備を始める。魔物の棲む森と言われているが、実際には澄んだ大気が流れる場所だと感じた。

 森に入ってから、まだ一度もモンスターや邪悪な存在には遭遇していない。

「ここは聖なる領域なのか」

 森の全域がそうでないにしても、そんな聖地が何故、魔物の棲む森などと言われるようになったのか不思議に思いながらもカルクカンにまたがる。

 しばらく進むと少し拓けた場所に出た。

 そこには、一軒の古びた家がぽつんと身を潜めるように建っている。シレアは怪訝な表情を浮かべ、警戒しながら建物に近づく。

 あちこちに苔が生え、壁には陽を求めるようにツタが屋根に向かって伸びている。側にある小川は水量は少ないものの、小魚の姿が見えた。

 ゆっくり扉を開き足を踏み入れる。部屋の隅にはほこりが溜まってはいるが、一枚板の薄汚れたテーブルには細かなゴミすらも落ちていない。

 暖炉には火は灯されておらず冷えてはいるけれど、長らく使われていない訳ではなさそうだ。古い家だが人が住んでいた形跡がある。

「これは──」

 首をかしげるシレアの耳に微かに人の声が響いた。聞き取れないほどの早口に、素早く剣を抜きながらシレアも口の中で何かをつぶやく。

 振り返ると同時にオレンジのかたまりが視界に入り、右肩に暖かさを感じた瞬間、それは弾かれるように飛び退いた。

「どわぁっ!?」

 弾かれた塊は落ちた先で何かにぶつかったのか、そこから叫びが上がり小さな爆発を広げて消える。

 散った炎と煙が消えた場所に近づくとそこには、地面につっぷしてうめき声をか細く上げている人間がいた。

「く──くくっ」

 その人間は苦しそうに起き上がり、何度か深呼吸をしてシレアにきりりと目を吊り上げた。

「なんてことをするんじゃい! 火弾ファイアボール程度の魔法だったから良かったが、むやみに魔法反射マジックリフレクションなどかけるものではない! 危ないじゃろうが!」

 左手に持つトネリコの杖を振り回して捲し立てた。その男はぱっと見、五十代ほどと見受けられる。

 シレアよりもやや背の低い男の言葉を黙って聞いていたシレアだが、

「魔法を撃ってきたのは誰だ」

「む……」

 それに銀色の瞳を泳がせ、「おぬしの力を試したのじゃ!」と言い放った。

「ならば返されても文句は言えない」

「ぐっ」

 男は声を詰まらせ、シレアから視線を外して素知らぬふりをする。どう考えてもたった今、考えた理由に呆れて肩をすくめた。

「ここはあんたの家か」

「そうじゃ」

 なるほど、人が棲み着いたせいで魔物の森と言われるようになったのかと納得した。噂の原因がわかったところで男に向き直る。

「どういった理由であんな忠告をした」

「なんの事じゃ?」

「とぼけるとはいい度胸だ」

 じっと見下ろす青年から再びゆっくりと視線を外す。

 風貌は老齢な男性らしく、優雅にも見える。しかし、長らく森に住んでいた事が窺える薄汚れた服と白髪混じりの背中まである栗毛に、どこかしら鋭さのある瞳には少しの違和感があった。

 そのとき、

「どうした?」

 剣の柄を握り、険しい表情を見せたシレアに眉を寄せる。

「家の中に」

 男にそう促すと、ただならぬ気配に身構えた。

 近づく足音と低い唸り声──想像している獣ならば厄介だ。ズシンと地を踏みしめて現れた獣たちに男は目を見開いた。

「バシラオじゃと!? 馬鹿な!?」

 熊を思わせる顔つきに大きな体、虎のような文様を浮かび上がらせた三体の獣は獲物を前にして唾液をしたたらせる。

 大きく鋭い爪を持つ前足で地面をかき、鼻息荒く威嚇いかくした。

「ここは聖なる領域じゃぞ。バシラオなどが踏み入るような場所ではない」

「実際に目の前にいる」

 冷静に応えて刺激しないように剣を抜く。そして小さく口笛を吹くとカルクカンはシレアの言葉を理解したように男の横に立った。

「なんじゃ? 乗れというのか」

 シレアが「そうだ」と目で応える。バシラオがいくら速くても、木々が生い茂る森では小回りの利くカルクカンには追いつけない。

 男はシレアと獣を交互に一瞥し、青年の隣に並んだ。

「なんだ?」

「ここで逃げては我ら一族の名がすたる」

 杖を構えた男にシレアは小さな笑みを浮かべた。

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