◆第一章-始まりの旅-

*我が友

 一同は食事を終え、吟遊詩人の歌に聴き入っていた。

「あ、あの。お口直しに今日仕入れた果物をごちそうします」

 カナンはそう言って、木の器に切って盛られた黄色い果物を各々のテーブルに乗せていく。

「お、いいね」

「ありがとう」

 皮ごと食べられる甘酸っぱい果物は、苦さの残る口の中を洗い流すように心まで満たしていく。

 客人たちは、しばらくそれらを堪能して部屋に戻るため立ち上がった。

「ごちそうさん」

「次は期待してるわ」

「はい。おやすみなさい」

 客に応えながらテーブルの上を掃除していたカナンの前に、シレアの手が伸ばされた。

「代金だ」

「え?」

 宿代は前金ですでにもらっているのにと首をかしげる。

「あれは別料金で用意していたものだろう」

「あっ」

 見抜かれていた。サービスで果物を配れるほどには宿は繁盛していない。

「いいんです。皆さんにご迷惑かけたから」

「そうか」

「あのっ!?」

「それはお前のものだ」

 それきり、シレアは振り返らずに部屋に戻っていく。カナンはテーブルに置かれた銅貨五枚を手に取り、感謝して握りしめた。


 ──次の朝、シレアがうまやの横にある水場で顔を洗っていると、双子が嬉しそうにそれを眺めていた。

「なんだ」

「シレアってきれい」

「きれいー」

 セシエに続きソシエも答えて、朝陽にきらめくシルヴァブロンドの髪をうっとりと見つめた。

 言われ慣れた事なのかシレアは素知らぬ顔で厩に向かい、カルクカンの首を優しくさする。

「それ、キレイな色のおうまさんね」

 セシエはクマのネックレスをいじりながら、青みがかった緑のカルクカンに少し躊躇いながら近寄った。

 不思議そうに見つめる少女を一瞥し、シレアは牧草を手にしてカルクカンの口に持っていく。

 美味しそうに草をむ様子は、亀というより鶏やダチョウに似ている。前足があるであろう箇所には、遠い昔には鳥だった事を示す翼の名残りがわずかに残されていた。

[クルルゥ]

 カルクカンは喉を鳴らしてシレアに顔をすり寄せる。

「私の大切な友だ」

「お名前はなんていうの?」

 首をかたむけ赤いリボンを揺らしてソシエが問いかけた。

「ソーズワースという」

「かっこいいお名前ね」

「こいつを捕まえるのは苦労した」

「聞きたい!」

「あたしも!」

 シレアは双子にせがまれて側にあった丸太に腰を落とすと、続いて双子も両脇に腰掛けた。

「そうだな、あれはまだ肌寒い季節だったと思う」

 解りやすい言葉をと思案しながらゆっくりと口を開いた。


 ──カルクカンが主に生息しているのは、コルレアス大陸である。その大陸は人間が住んでいるエナスケア大陸の隣に位置している。

 大陸の間には大きな海が横切っていて、その海流はとても激しく安易に渡れるものでもなかった。

 大陸間の行き来は、空か魔法での移動が安全だ。

 とはいえ、空を飛ぶモンスターは特別な調教が必要なため安くはなく、魔法移動もこちらと向こうに魔法円が必要であり、魔法使いウィザードの手助けが不可欠となる。

 大抵の者は危険な海路を選択するしかない。

 当時、シレアは馬ではなくカルクカンを手に入れる事を考えていたが、どうしたものかと思案した。

 彼の住む集落には移動の魔法円がなく、飛竜なども当然いない。西の辺境から大きな街までは遠く、高い山脈は海沿いにずらりと切り立っていて港など造れない地形となっている。

 カルクカンは入手も難しく、売り物として調教出来る調教師アニマルテイマーもさほど多くはない。故に、希少で高価な動物だ。

 しかしエナスケア大陸にも唯一、カルクカンが生息している場所があった。

 大陸の西、リンドブルム山脈を越えた所にある山に囲まれた草原に、わずかながら生息が確認されている。

 遙か昔にコルレアス大陸から渡ってきたものだろう。そのためか、若干だがコルレアスとは異なった部分が見られる。

 皮膚は硬く脚力も強い。やや小柄である事を除けば、これほど旅の助けになる乗り物はいないだろう。

 問題はリンドブルム山脈を越えられるかどうかだ。鋭く切り立った岩山は、足を踏み入れる者たちを容赦なく谷底に突き落とす。

 そしてその頂上には常に雪が降り積もり、旅人を凍えさせようと待ちかまえていた。危険な動物やモンスターも多く棲み、誰しもが安直に山を越えようなどとは思わない。

 ──そんな山脈の入り口に十七歳になったシレアは立っていた。

 そびえ立つ岩山を見上げ一度、深く息を吸い込んで意を決して足を進める。いつもより厚めの服を選び、バックパックには保存食を詰め込んできた。

 シレアが住んでいる集落はこの山脈にほど近い西の辺境にある。よって、ここまでの道程はさして辛くはなかった。

 屈強な戦士や魔法に長けた魔法使いウィザードでさえ、ほとんど踏み入れないというリンドブルム山脈──行きは辛いが、帰りはカルクカンがいる。

 向こうで捕まえて乗れる程度まで調教し戻ろうというのだ。シレアは寒さにも強いといわれるカルクカンに期待を膨らませる。

 子どもの頃に見たカルクカンが忘れられず、彼は「旅をするならこいつだ」と決めていた。

 彼の育った村は十七歳になると成人として認められる。外の世界に思いをはせ、旅に出る者も少なくはなかった。

 シレアもその中の一人で、彼は成人の義を終えるとすぐさま旅の準備を始めた。長い旅の友としてまずはカルクカンを手に入れるため、仲間たちや長老の忠告も聞かずここまで来た。

 もとより危険なことは解っている、ここで死ぬなら私はそれまでなのだと覚悟も決めてきた。

 シレアが旅に出るという事に悲しむ女は多かった。そういったものにまるで関心のないシレアには、彼女たちの存在すら見えているのか謎ではある。

 例え、何があっても死ぬつもりなど毛頭無い。どんな出来事に遭遇しようとも絶対に諦めるものか。そんな気概で山に踏み込む。


 ──まだ中腹にもさしかからない岩山は、その牙を隠したままに旅人を受け入れる。草木はまばらで、これからの険しい道のりを示すように寂しげな風がシレアの頬をかすめていく。

 そうして、しばらく登った所で異様な気配が漂い始めた。

 ゆっくりと立ち止まり、どこから来るのかと辺りの気配を探る。シレアはふと、低くくぐもった唸り声をその耳に微かに捉えた。

 この声は──

「ギャラルか!」

 向かってくる大きな黒い影を咄嗟に避ける。

 灰色の毛を逆立たせ、その猛獣はシレアを威嚇した。虎を思わせる風貌と鋭く長い牙、強靱な顎はシレアの小さな頭をひと呑みにしてしまえるほど大きく裂けた口をしている。

 ギャラルという名の獣は、牙から逃れた獲物をじっと見つめて「次は逃がさない」と言わんばかりに大きく吠えた。

「──っ」

 すかさず腰の剣を抜き、いかにも頑丈そうな毛皮を見つめた。その見た目から、動きは素早いと推察できる。

 この獣を倒すに効果的なのは強力な魔法だろう。しかれど、魔法をぶつけるのは難しい。強い魔法ほど集中に時間を要するのだから。

「仕方ない」

 言ってシレアは口の中で何かを唱え始めた。

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