*焦げ味スープ
シレアはカルクカンを
古いもののようで、雨ざらしで色あせた様子から年期が感じられた。
「カナン~。お客さんつれてきたよー!」
「カナンのおむこさん候補だよ~!」
「婿?」
一体なんの事を言っているのかとシレアは眉を寄せた。
「ちょっと!? なに言ってるのよ!」
双子たちの声に、奥の方から慌てて女性が飛び出してきた。彼女たちの姉だろうか、顔を真っ赤にして双子を追いかける。
「やめろ」
シレアは、やはり起伏のない声で後ろに隠れた双子に発する。カナンと呼ばれた二十代に入ったばかりだと思われる女性は、そうだお客さんだと我に返った。
「いらっしゃいま──せ!?」
その整った面持ちに息を呑む。
街には劇団もいて、何度か観覧したこともある。みんな化粧をして煌びやかに着飾っていたけれど、目の前にいる青年は旅人だろうか、それらしく汚れた衣服にも関わらず顔立ちのためか、まとう雰囲気まで浮世離れしているように思えた。
「すまないが数日、宿を頼めるか」
見下ろされる瞳に言葉が出ない。
それはまるで、
こんな人が本当にいるんだ──カナンは時間も忘れて立ちつくした。
「聞こえたか?」
「ハッ!? はい!? ごめんなさい!」
見とれていたことと、客を立ちっぱなしにしていた恥ずかしさで頬を染めて中に促した。
一階は食堂、二階が寝床という一般の宿屋の形式だ。宿屋によっては食堂兼、飲み屋にもなっている。
「あっ、座ってください。宿帳持ってきます!」
背中までの栗毛を後ろで一つに束ね、青いスカートに白いエプロン。目の色は双子と同じ空の色。さすが姉妹、顔つきも似ている。
待っているあいだ、食堂を見回していたシレアは怪訝な表情を浮かべた。
「宿は彼女だけで回しているのか」
その問いかけに、双子は無言でうつむいたままだ。
「両親は一年前に死にました」
宿帳を手に戻ってきたカナンは声を低くする。
長いあいだ病を患っていた母が他界すると、看病をしていた心労からか続けて父もその後を追うように、あっという間に亡くなった。
身寄りのないカナンたちは、両親が残したこの宿屋を継ぐことを決意した。
「一人で切り盛りしているのか」
「あたしたちもお手伝いしてるもん!」
「これが手伝いだと言いたいのか」
スリからの一連の行動を思い起こす。
「ちゃんとお客さんつれてきた」
しれっと言い放つ少女にシレアは呆れて溜息を吐き出した。あの方法で、果たして何人が宿に泊まってくれるだろうか。
「父さんたちがいた頃は常連さんがいたんですけど」
カナンは苦笑いを浮かべる。手伝いをしていたとはいえ、それが主人となれば今までとはまるで勝手が違う。
「本当、毎日こんなことをやっていた父さんたちは凄いなって」
慣れないことで段取りが悪く、客は少しずつ遠のいていった。今は、近隣の人々の助けでようやく続けているという現状だ。
「あ、ごめんなさい」
気を取り直すように笑みを見せ、宿帳を手渡す。
「
椅子に腰掛けたシレアは、呆れながら羽ペンを手にして名前を書き記す。
「え?」
「文字の読み書きが出来ない者もいる」
「あ!? わたしったら」
そういえば「言うから書いてくれ」といった人がよくいたと思い出し、あれはそういうことだったのかとみるみる顔が青ざめていく。
全ての者が文字を学べるとは限らない──家庭の事情や環境、住んでいる場所、貧しい者には学びの機会はなかなか得られない。
この世界では、文学に触れる事の出来る者はそう多くはない。カナンは生活には困らない程度の読み書きが出来るため、それをすっかり忘れていた。
ある意味、恵まれている。
シレアは運良く読み書きを学べる場を得られたというだけで、そうでなければ魔法も覚えられなかっただろう。
「失敗は次に活かせばいい」
「ごめんなさい」
私に謝られてもと、すっかりしょげているカナンを見やる。
「落ち込んでいるところ悪いんだがね」
「はい?」
「何か焦がしているぞ」
「ああっ!? お鍋!?」
慌てて走っていくカナンの叫び声が聞こえてシレアは眉を寄せた。
「今夜のごはん、だいじょうぶかなぁ」
「食べられればいいのよ」
双子の言葉に、いつも何かしらの失敗をしているのかと眉間のしわを深くする。
「お部屋に案内するね」
セシエがシレアの手を取り階段に促す。木造の建物は歩くたびにどこかが軽くきしみ、その古さを漂わせる。
案内された部屋の前で立ち止まり、さして頑丈とも思えない扉を開く。眼前の壁には格子窓があり、外は夕闇が迫っていた。
さらに見回すと、小さなデスクが部屋の中心に置いてあり、向かって左の壁際には整えられたベッド、その傍らにナイトテーブルと平均的な宿の一室だ。
荷物を床に置き、シレアは二人に銅のコインを一枚ずつ手渡した。
「わーい、おこづかい!」
喜ぶ二人を一瞥し、とりあえず軽くなりたくて旅の装備を外していく。
「何を見ている」
ふと、ドアの隙間からじっと見つめる双子に怪訝な表情を浮かべた。
「ホントに男の人かと思って」
「確かめるか?」
シレアは無表情に胸ぐらを掴んでぐいとはだけてみる。
「キャー! ヘンタイ!」
「へんたいー!」
楽しそうにはしゃいで階下に降りていく双子を見送り、シレアは扉を閉めた。
彼は「女と見まごう容姿」という訳ではないが、中性的な面持ちをしている。細身ではあるものの、流れ戦士であり
外見だけは、儚くもか弱い人間に見えているのかもしれない。しかし、彼は旅人らしく歩んできたものをその体に傷として刻んできた。
旅を始めて五年以上が経過している。そのなかに、決して楽な道程はなかった。
それでも旅を続けているのは、心揺さぶられる風景や思ってもいない出来事に遭遇する驚きがあり、それらはいつでもシレアを楽しませてくれる。
集落にいては決して味わえないものがある、危険を冒してでも世界を回りたいと思える。それが、彼の旅を続ける理由なのかもしれない。
──旅の装備を外したシレアは、夕飯のため階段の食堂に向かった。部屋を出てすぐ、焦げた臭いが未だ鼻を突くことに顔をしかめる。
階段を降りると宿泊客だろうか、十人弱ほどの人間がそれぞれまとまって腰を掛けていた。あの双子に連れてこられた人たちだろうか。
男女の二人組と男の三人組、そして手持ちハープを持った若い男性が夕飯が運ばれてくるのを待っている。
一同は動く影に視界を移し、同じ客かと確認するとまた各々の会話に戻る。
男女の二人組はどちらも戦士だろうか、男は斧を持ち女は細身の剣を装備していた。
男の三人組のうち、一人は
そしてハープを手にしている青年、彼は
時には、昔から受け継がれている伝説を語る事もある。街での仕事はもっぱら、酒場でその歌声を披露することだ。
そんな彼らが興味を持つのは当然、現れた細身の流れ戦士である。腰に携えられた剣が彼を流れ戦士だと物語っているが、それが彼らには違和感として映っている。
柔らかな物腰は剣がなければおおよそ、シレアを戦士と思う者はいないだろう。当の本人は慣れているのか、その視線を意に介さない。
この場において、シレアの力を見た目で判断する者はいない。それぞれに場数を踏み、経験を重ねてきた者たちだからだ。
相手への過小評価は避けるべきだという教訓が身に染みている。
──そうして、ようやく出てきた食事に一同は眉を寄せた。
「焦がしている」
「焦がしているな」
言葉にはしないものの、互いに見合ってスプーンがなかなか進まない。野菜などを煮た鶏のスープなのだが、焦げた野菜が見事に出汁となって異様な風味を醸し出している。
「カナン~、苦いよ~」
「セシエ、もんく言わないの」
そう言ったソシエの目にはうっすらと涙がにじんでいる。
「ご、ごめんなさい」
一生懸命に焦げた部分を取り除いたけれど、スープにとけ込んだ苦みを消すことは出来なかった。作り直すにも時間がなく謝るしかない。
「食べられない訳じゃない」
表情を変えずスープを口に運んでいるシレアに「もしや味覚音痴なのか」と疑いたくなるほど、客たちは目を丸くしていた。
「次に活かせばいい」
「は、はい」
「そうよ。気にしないで」
女性客の言葉にカナンはなんとなくホッとした。
「気にしてもらわにゃ、次に活かせんだろ」
「それもそうだ」
「じゃあ気にしないで気にしながら次に活かして」
「なんだそりゃ」
食堂は一気に和やかな雰囲気に包まれる。
「では、何か歌いましょう。これはサービスです」
吟遊詩人は柔らかに微笑むと、繊細な装飾の施されたハープを手にした。白木で作られた楽器には、それに見合う美麗な彫刻がなされている。
「そいつは有り難い」
ガタイの良い戦士はそれに口元を緩めた。吟遊詩人はそう多くない。滅多に出会えない彼らの歌が聴けるとあれば喜びもするだろう。
この吟遊詩人はまだ若いながらも、その落ち着いた様子に確かな腕があると窺える。
調律を済ませ、奏でられる美しいハープの音色が少し高めの声を引き立たせ、食堂に
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