現代口承人《アーバンフォークロアー》

Win-CL

第1話 水面下

「人面犬ン?」


 昼日中、町中の小さなバー《ムラサキカガミ》のラウンジに、少年の怪訝な声が響いた。まだスタッフたちが出勤する時間まで当分あるため、店内には人影が数えるほどしかない。


「そうなのよ、人面犬。なんだか最近は、その噂が流行っているらしくてね……」

「なんでまた、そんな古いネタが……」


 少年と会話をしているのは、カウンターの内側でコップを磨いているママさんである。バーのママと十八歳ぐらいの見た目をした少年、他人から見れば親子としか形容のできない二人なのだが、少年はテーブルに足を投げ出し無礼極まりない態度をとっていた。

 ――にも拘らず、その場にいた誰もが少年に対してなにかいう訳でもなく。


 更には全く気にすることでもないといった様子で、背中合わせになるように置かれている別席から声が投げかけられた。


「実際に見たって人も結構いるらしいよー。一応、そこのファイルに目撃証言をリストにしたのが載ってるけど」


 それに従って少年がファイルを手に取り、中身を覗いていく。目撃した人の年齢、性別、目撃した場所、人面犬の特徴などなど。事細かに集められ整理された情報が並べられており、それは十数ページにもわたっていた。


「ふぅん……。どれも時間帯は遅いし、野良犬かなにかと見間違えたんだろ」


 少年はその分厚いファイルを流し読みするように捲っていき、最後には机の上に乱雑に放る。人面犬など都市伝説。ただの噂話であり、マジメに取り掛かることでもないと言わんばかりに。


「美少年ならまだしも……50代か60代ぐらいの、厳つい顔つきをしたオッサンらしいよ」

「いや、そんな情報は求めてねぇし。それに対してどんな反応をすればいいかも分かんねぇ」


 先程から少年へとかけられている声の主が、席の裏側から顔を出す。長く黒髪を伸ばした少女なのだが、夏にも関わらず、不自然なぐらい大きなマスクで顔の半分を隠していた。


 そして、その隣からも頭が一つ飛び出してくる。先程の少女よりも幼い――女の子、という表現の方がしっくりくるだろう。先の少女の黒髪とは対照的で光が透き通るような銀髪をした、大きな蒼い瞳をした幼女。


 銀の髪、蒼い瞳。日本ではない、外国の血が流れているのは確かだが、その口から出てきたのは紛れもない日本語だった。


「みんなで探そ……。見つけて飼お……?」

「嫌に決まってんだろ、んなの! 夜鳴きなんてしてみろ、本気で蹴り出すぞ」


 バーのママ。偉そうな態度を崩すことのない少年。マスクの少女に、銀髪の幼女。

 どこからどう見ても、共通点もなくアンバランスな四人。


 ただでさえ奇妙な絵面であるのに、四人が話しているのは都市伝説。

 街で噂になっている、人面犬についてである。


 人面犬。その名の通り、人の顔をした犬。

 ただそれだけなのだが、それ故に想像しやすく、噂も広まりやすい。


「最近はここらでも人死にが多くなったから、なおさらネタにしやすいんだろうねぇ」

「交通事故で死んだ人間が人面犬に、って話は当時からあったな」


 しかし、それだけではなく。最近では『自分を轢いた車を探しに、時速100キロで高速道路を走っている』だなんて、とんでもない尾ひれも付いているようだった。


「人……いっぱい死んだの?」

「ほら、トラックが建物にー、とかさ」


「あぁ……再開発のあおりだっけか」


 きっかけとなるのは1980年代後半、バブル絶頂期。

 一部の資産家の間では、細かい土地を買い占めてより高額な一つの大きな土地として売り出す、いわゆる“地上げ”が頻繁に行われていた。

 より大金を手に入れるため、金に糸目をつけないことも多々あるのだが、中には土地に思い入れのある住人もいる。そういった売買に応じない権利者に対しての最終手段として、暴力によって強制的に了承させるといったケースも少なくなかった。


 そして現在、1990年も終わろうかというころ。

 バブルが弾け、一旦は収まったかと思われた地上げ屋稼業だったが、それが今になって再び勢いを取り戻していたのだった。


「この辺りを取り仕切っている組長さんは、そういうことをするタイプじゃないと思ったんだけど……」

「その組長さんだけど……最近亡くなったとか。んで、若頭だった息子が新し組長になったんだって。問題になっている地上げ関係は全部、その息子が始めたことらしいよ」


「亡くなった? 病死か?」


 少女の説明を聞いていた少年が振り向いて尋ねるが、そこにマスク少女の姿は無く。いつの間にか同じテーブルの、向かい側の席に腰をかけていた。


 そして少年が放ったままのファイルを手に取り、後ろの方のページを開いて指さす。そこには、地上げに関わっているヤクザの情報が並んでおり、彼女の指先には現組長である男の顔写真があった。


「表向きはそうなっているけど。十中八九、この息子さんが何かしらやってるだろうねぇ。組内は前組長派と現組長派に分かれてるみたいだけど、決定的な証拠が無いから前組長派の人たちは手を出せないみたい」

「はぁン。親子で権力争いねぇ……。組の内部事情にゃ興味はないが――」


 少年はテーブルから足を下ろし、ため息を吐きながら写真を注意深く眺める。写真に写っている男は30代か40代ぐらいのいかにも金遣いの荒らそうな男だった。部下を引き連れてはいるものの、厳しさも備わっていないような表情から、組長と呼ばれるにはまだ若い、そんな印象を少年は受けていた。


「この街を、むやみやたらに荒らすのだけは頂けねぇなぁ」

「それじゃあ……どうするの……?」


 …………


「……重い。降りてくれ」


 いつの間にやら真後ろへと回っていた銀髪幼女が、身を乗り出して少年の背中へと体重をかけていた。『今は大事なお話中だからねぇ』と、カウンターから出てきたママさんが、幼女を抱え上げ元の席へと戻す。


 やれやれと息を吐く少年に、向かい側の少女はマスク越しに声をかける。


「で、どうする? 最終的な判断は任せるけど?」

「――証拠なんて簡単に引っ張り出せるだろう? 情報屋さんよ」


 その声音から、頬の動きから。

 少年にもはっきり、マスクの内側でニヤリと笑っているのが見てとれた。


「――任せてよ」

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