二身伝心!~俺と魔女の奇妙な関係~

神代かかお

第一章 ~魔女と呼ばれる少女~

第01話 -入学式よ何処行った-

 世界が赤く染まっていた。

 見渡す限り全てが赤の世界。所々にノイズが混じった歪に歪んだ赤色。

 あまりにも現実味のない光景に脳が拒絶を繰り返す。

 あか。アカ。赤――

 いや、違う。世界が赤いのではない。これは身体から漏れ出した液体が視界を濡らしてしまった結果だ。


イタイ――


 身体が軋む。痛覚を経由して脳が痛みを感知する。

 死を感じさせる痛みが身体全体を駆け巡る。


イキガクルシイ――


 身体が生きようと必死になる。けれど、思うように呼吸が出来ない。熱い吐息が途切れ途切れに喉を通りぬけていく。そのせいか喉が焼けたように熱い。

 叫びたいのに声が出ない。ヒューヒューと喉から発せられる音がとても耳障りだった。


カラダガ……ウゴカナイ――


 倒れ伏した身体から力が抜けていく。生きる糧が、個としての全てが抜け落ちるような感覚。

 手足が自分の物ではなくなっていく。身体全体が燃え盛る様に熱い。そして――同時にとても寒かった。


シニタクナイ――


 そう願うのは当然のことだった。人としての尊厳なんていらない。ただ、生きたいだけなんだ。

 残された時間なんてもうほとんどない。一人の人間の人生が終焉へと向かおうとしていた。


タスケテクレ――


 ――死。

 脳裏に浮かぶ言葉。

 嫌だ……こんなところで死にたくなかった。


 ――生きたい。

 止まりかけた思考の中で唯一浮かんだ望み。


 神様お願いだ。いや、神様じゃなくてもいい。天使でも悪魔でも――魔女でもいい。お願いだ……俺を助けてくれ!!



『その願い聞き入れようか』



 その時、確かに声が聴こえた。

 赤く染まってしまった世界に見える二つの足首。


 あぁ、俺は倒れ伏しているんだ。


『大丈夫。心配することはないさ。君の願いはこのボクが聞き入れた』


 少女のような、それでいて年不相応の話し方をする声。


『今はゆっくり眠るといいよ。君の命はボクが紡ごう。だってそれが――』



『君の願いでもあり、ボクの願いでもあるんだから――』



―――…


――



ジリリリリリリリリリリ――!!!


「う……」


 微睡に落ちた意識が浮上してくる。

 身体ががっちりと固定されたかのように動いてくれない。

 しかし、聞きなれた耳障りな音が一向に鳴り止まずにいた。

 必死に右手を動かす。止めるまで鳴らし続けてやるという挑発とも言えるその行為を止めるために意識を更に浮上させる。

 そして、ようやく自分の意志で動かすことが出来るようになった右手で俺は音を鳴らし続ける悪魔――目覚まし時計を止めようとした時、その音が勝手にピタリと止まってしまった。


 あれ?俺はまだ音の悪魔を退治出来ていないはずだ。なのに息の根が止まったかのように静かになってしまった。

 けど、その理由は単純だった。呆れた声で俺の身体を揺らしてくる人物がいたのだから。


「兄さん?ほらもう朝ですよ」


「んん……真白……?」


「はい、兄さんの妹の真白です。お母さんが痺れを切らす前に起きたほうがいいですよ?」


「あり、がとう。うぐぐぐ……」


 寝ぼけた頭を無理やりに覚醒させる。見知った天井。見知った部屋。そして見知った妹――


「おはようございます、兄さん。今日もいい天気ですよ」


 密室となっていた部屋を解放するかの様に真白がカーテンを開け放つ。

 外から目映いほどの日差しが入り込んできた。


「おはよう真白。着替えたらすぐ行くよ」


「はいっ。待ってますね」


 踵を返すように部屋から出ていく少女。名は真白。今年中学3年になった俺の妹だ。


「うぐぐぐ……。寝違えたのかな。身体がものすごく硬いな」


 だるい身体を無理やり駆使して立ち上がる。首、腰、そして手首を動かすと普段そこまで鳴らない骨の擦れる音が鳴り響く。ここ最近そこまで激しい運動はしていないのに筋肉痛とも違う疲労感が身体全体を包み込んでいたのだ。


 今日は高校生としての初めての日。入学式なんだ。ここでだらけてたら高校初日が台無しになってしまう。

 何でも最初が肝心なのだ。最初を失敗してしまうと挽回はとても難しい。

 まだ見ぬ友人よ、そして彼女になるかもしれない女の子達よ!俺は頑張るぞ!!

 両手で頬を叩く。じーんと響く痛みが脳を覚醒させる。


 痛み……?


 その時、俺の脳裏に赤く染まった世界が映し出された。


「あ…れ……?」


 力が抜けたかのように身体がよろけてしまう。机へと必死に右手を伸ばし身体を支えて何とか倒れずに済んだ。何なんだ今の……

 俺の記憶にはない光景。そして聴いたことのない声が頭に残った。


『君の願いでもあり、ボクの願いでもあるんだから――』


 俺の願い?そんなの決まってる。刻一刻と過ぎていく時間。遅刻しない為に行動することが俺の今の願いだよ!!


「っと、もう大丈夫か。急げ急げ!!」


 机に置いた手を離して自分の身体が万全であると判断した俺はクローゼットから初めて着る制服を取り出す。

 ってあれ、初めてだよな?ハンガーにかかったブレザーとズボンは新品の形跡がなく既に着た形跡があったのだ。

 買ってから試着したっけ?んん……?

 だが、その考えも下から聞こえる母親の怒声により掻き消されることになった。


「零二!!早くしなさい!!」


「ッ――!ごめん、すぐ行く!!」


 きっと気のせいだ。俺は急いで着替え終わると、昨日用意し終わっているはずの鞄を抱えて部屋を出るのだった。


  ◆◆◆◆


「おはよう、零二。アンタ今日は遅いわね」


「兄さん、早く早く。急いで食べないと遅刻しちゃいますよ」


 リビングに降りると母さんと真白が既に朝食が盛られた席に座っていた。

 父さんはいつも通り既に仕事へと行ってしまったようだ。


「ごめん、寝つきが悪かったみたい。それに夢見も……せっかくの入学式の日にこんなんじゃ駄目だよね」


 いつも通り空いている真白の隣の椅子を引いて座り込む。うちの食卓は朝はパン一択だ。焼き色のついた食パンを手に取ると真白がマーガリンを取ってくれる。

 けれど、俺は真白からマーガリンを受け取る前に母さんから言われた一言に身体が固まってしまうのだった。


「アンタまだ寝ぼけてるの?入学式は昨日終わったじゃない」


「……え?」


 俺は脊髄反射の如く朝のニュースが流れているテレビへと目を向ける。

 今日は4月6日じゃないのか?だって、俺は入学式に言った記憶がない。いや、そもそも合格発表日以降矢丘高校には行った覚えがないんだ。

 けれど、テレビに映る日付は俺の思った日付じゃなかったのだ。


 4月7日(火)


「兄さんどうしたんですか?昨日あんなにワクワクした表情で入学式に行ってたのに……。もしかして学校で何かあったんですか?」


「確かに零二、アンタ昨日の夜おかしかったね。表情も暗かったし、口調も片言だったし」


 二人が何を言っているのか分からなかった。

 入学式に俺は行った?夜おかしかった?学校で何かあったもなにも俺にはそんな記憶どこにもないんだぞ!?


「あ……と。ごめん、本当に寝ぼけてたみたいだ」


 けど、俺はその事を家族に言うことが出来なかった。だって、頭がおかしくなったと思われてしまいそうだったからだ。


「兄さん、本当に大丈夫ですか?話すことが出来ないほどの事……まさかイジメ!?イジメなんですね、兄さん!!許せません……兄さんをそんな目に遭わせるなんてっ!!」


「いや、ちょっとまって!?イジメじゃない、イジメじゃない!!高校初日にいじめられるほどお前の兄さんは弱くないぞ!!」


 真白の瞳が淀んでいたことに目聡く気付いた俺は肩を揺さぶり、必死に誤解だと訴える。


「……本当ですね?でも困ったことがあったらすぐに教えてくださいね。兄さんのいる所、どこにでも向かいますから」


「お、おう。その時は頼むよ」


 怖い。俺の事になると時々周りが見えなくなるのは治したほうがいいと本当に思う。


「はいはい、仲がいいのはいい事だけど早くしなさい。本当に遅刻するわよ」


「っと、マジでやばいじゃん!!」


 時計を見ると既に7時45分を余裕で回りきっていた。

 俺が通うことになっている……いや、通っている矢丘高校は家から歩いて30分はかかる。真白が通う中学は矢丘高校のほぼ真反対に位置するが歩いて15分の距離だ。

 真白はともかく、俺は本当に急いで食べないと遅刻してしまうところだった。

 昨日の記憶がないのに、更に今日遅刻だなんて洒落にならない!!


「んぐ。んぐ、んぐ……」


「わわ。兄さん落ち着いて下さい!ほら牛乳ですよ」


「ん。………ぷはっ。ありがとう真白」


「どういたしましてです。それじゃ、先に玄関にいますね。ごちそう様でした。あ、兄さん、お弁当そこに置いてあるので忘れずに持って行ってくださいね」


「あ、あぁ。分かった」


 そうか。今日は入学式じゃないんだ。午前だけで学校が終わるんじゃない。今日から高校生として本格スタートになる日なんだ。

 理由は全くもって不明だが昨日の記憶がないのはもう考えても仕方がないことだ。

 気持ちを切り替えて同様にごちそうさまと言うと、食器を片して俺は玄関へと走り出す。もちろん弁当は忘れずにだ。


「気をつけなさいよ。昨日近くで交通事故があったそうなんだから」


「交通事故……?それって……」


 その言葉に何かが引っ掛かる。こう胸の奥が痛む感じに……


「兄さーん。早くー」


「ッ……。今いく!!」


 っと、今はこんなこと考えてる場合じゃないんだ。急いで妹が待つ玄関へと走る。

 そして靴を履くと、口を揃えて、


「「いってきます」」


 俺達は一緒に通学したのだった。


『ふふっ。何気ない日常でも自分以外のを感じるのは新鮮だね』


「ん?」


「どうしたんですか兄さん?」


「いや、気のせい……かな」


 扉を開けた時、何か聴こえた気がしたんだけど……周囲を見回しても真白しかいない。気のせいか……?


―――…


――


「それじゃぁ、兄さん。気を付けて行ってくださいね」


「あぁ、真白もな」


 去年まで一緒に通学していた矢丘中学へと続く通学路。妹はこれまで通りその道へと、そして俺は今いる交差点から曲がって矢丘高校へと進む必要があった。

 真白と別れて俺は高校へと続く道へと歩き出す。

 歩く度に何故か胸が高鳴る。本当に何なんだろうか。


 歩きながら頭を駆け巡らせる。

 母さんと真白が言うには間違いなく俺は高校へと言ったのだと思う。けれど、そのことを俺は覚えていないんだ。

 何故覚えていないのだろう。何があった?いや、何かが起きた?何処でだ……?分からない……そう、何も分からなかった。

 俺が生まれ育った街。通学路が変わっても、どう歩けばいいか考えなくても分かる。

 俺は最短となる道を歩いていた。けど、やっぱり昨日ここを歩いたなんて記憶どこにもなかったのだ。


本当に?――


 ああ、本当だ。住宅路が続く風景があまり変わることのない道。けれど、ここ最近ここを歩いた記憶はなかった、はずだ。


なら何故自分を信じられない?――


 それはそうだろう。母親も妹も俺が高校へと行ったと言ったんだから。ポケットからスマホを取り出す。そこに写される日付は先程テレビで見たのと同じ7日を示していた。俺の認識と違う。明らかに俺の中から6日という存在が消え去っていたのだ。


昨日何かがあったというのかい?――


 ああ、そうだ。俺はそのことが知りたい。俺は昨日何があったのか知りたかったんだ。


大丈夫さ。君はもうすぐそのことに気付く。そのことを嫌でも知ることになるのだから――


「え?」


 俺は無意識に歩いていた歩調を意識的に止める。今俺は何を考えていた?それよりも誰と話していたんだ?周囲には俺に話しかけてくる人物は誰もいない。背筋が凍る感覚……得体の知れないナニカに胸を掴まれている気分だった。


 そこで俺は気づいた。目の前にとある交差点が見えていることに。

 そこは何の変哲もない交差点だ。今まで幾度となく通ったことのある場所。そこに一人の少女が立っていた。

 見たことのない少女。中学が違ったのだろう。けれど、俺はその少女から目を離すことが出来ないでいた。

 そして、相手もまた俺に気付く。


「あ――!!」


 少女は左右から車が来ていない事を確認すると小走りで走り寄ってきた。

 そして、一度大きく息を吐き出すと、胸に手を添えて俺の顔を凝視してきた。


 可愛い。俺が思った最初の感想だった。

 黒髪のセミウェットヘアを揺らしてくりっとした目を大きく見開いた女の子。彼女は驚きの表情で俺を見て、そして、


「うん、間違いない……あ、あの!!神谷零二君でいいですか?」


「は、はい?そうですけど……」


「やっぱり!よかったぁ……ここで待ってれば会えると思ってました!!えっと、昨日ワタシを助けてくれて有難うございました!ワタシがそこの交差点で車に轢かれそうになった時、ワタシの背中を押して助けてくれて……あの後ワタシも頭打っちゃって一瞬しか貴方の姿が見えなかったんですけど、その様子だと無事だったみたいで安心しました。ひどい事故だって聞いたんで心配したんですよ」


「え――……」


 相槌しか出来ない俺へと捲し立てるように話し出した少女は同時に横目で交差点の向こうへと視線を動かしていた。

 少女の視線に吊られて俺も同じく首を動かす。そこには塀が壊れた家屋があった。未だ修復が間に合っていない黄色の立ち入り禁止テープが張られた盛大に壊れた塀が視界に入ってくる。

 事故……?え、ここで……?母さんが出る直前言っていた交通事故っていうのはこのことなのか?

 けど、俺が目の前の少女を助けた?嘘だろ……

 目の前で不思議そうに首を傾げる少女。俺が助けたと疑っていない表情だった。


「本当に心配したんですよ。昨日入学式だったのにワタシも頭を打ったことで病院に運ばれちゃって……検査が終わった後はもう入学式は終わっちゃってて。それで、その時先生からワタシと同じクラスになった神谷君が事故にあって欠席していると聞かされて……」


「…………」


 心配そうに話す彼女の言葉が全く持って耳に入ってこなかった。

 俺が事故に合った?何時?昨日のこと?俺にはその記憶がない。

 記憶がない?違う。脳が、記憶が俺の自我を保つために忘れようとしたのではないのか。

 何かが狂っている継ぎ接ぎの世界が無理やり修正しようとしている感覚が身体全体を襲い出す。


 ズキッ――

 頭が痛い。俺は何かを忘れている。何をだ?そんなの少女からの言葉で分かっていた。ただ理解したくなかっただけ。

 交通事故。ぐちゃぐちゃに潰れた身体。血に塗れた世界。死に逝く自分。

 そうだ……俺は全て思い出した。いや、思い出したのではない。今朝夢だと思った内容を……赤く染まった世界の中で倒れ伏している自分。そして死に絶える中で願った一つの想いを――


「うっ………」


「だ、大丈夫ですか!?」


 咄嗟に口元を手で押さえる。そうしないと先ほど食べた朝食を戻してしまいそうだったからだ。


 俺は……ここで交通事故に合い、そして死んだ……のか?


『ようやく思い出したようだね』


 その時また俺の脳内に少女の声が聴こえてきた。昨日死の淵際に聴いた声。そして、家を出る瞬間に聴こえてきた声――


 それが俺が彼女の――魔女と呼ばれる少女に気付いた瞬間だった。

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