第25話 とある少年の儚い夢

 休憩時間で騒々しかった教室が、扉が開いたことでタイプの違うざわめきに変わった。

 扉を開けたのはこの学校で一番のイケメンであり、女子の憧れ――。

 そして野郎の敵、二年生の神楽坂葵だ。

「きゃー!」という不快なざわめきは女子の黄色い声。


 そんなモテモテの神楽坂先輩が迎えにきたのは、金色の髪の美少女、鳥井田黄衣ちゃんだ。

 美男美女の二人は、仲良く話をしながら出て行った。


「……はあ。きいちゃんと神楽坂先輩、仲直りしたみたいだな」


 がっくりと肩を落とす。

 ほんの短い間だったけれど、きいちゃんの隣にいたのはオレだったのに……。


「儚い夢だったな」

「うるせえ」

「しっかし、きいちゃんという最後の砦まで陥落してしまうとはなあ。神楽坂葵、恐るべし」


 この学校の可愛い女の子は、みんな神楽坂先輩に惚れている。

 だが、きいちゃんだけは神楽坂先輩と取り始めた。

 神楽坂先輩が女好きなクソ野郎だということを、きいちゃんだけは理解したのだと男連中は湧いた。

 ついにあのイケメン悪魔に惑わされない女神が現れたと歓喜したのだが、結局はきいちゃんも神楽坂先輩が好きだったようだ。


「でもさ、神楽坂先輩がきいちゃんを本命にして、他の砦はすべて開放しただろう? それは朗報じゃん! 鳥井田さんという女神は自分の身を投げ打って、他の女の子達を俺達の元に帰してくれたんだと思っておこうぜ」

「なんだよその考え方、気持ち悪いな……」


 他の砦なんてどうでもいい。オレはきいちゃんが良かったんだ!

 でも……。


『俺は本気だ。お前に黄衣は渡さない』


 神楽坂に耳打ちされたことを思い出すと、体が恐怖で身震いした。

 あれを聞いたときは、正直勝てないと思った。

 ライバルなのに「か、か、格好いい……」とうっとりしそうになった。

 完全敗北だ。


 あー……きいちゃん……。本当に好きだったなあ。


 彼女の周りだけは、空気が違う。

 女子の輪の中にいても、埋もれることのない輝きを放っている。

 他の女子に言うと「お前が言う!』とボコボコに殴られそうだけれど……周りは完全にモブ。

 そして、彼女は間違いなくヒロインだ。

 やっぱり、ヒロインは神楽坂先輩という主人公ヒーローとくっつくものなのか。


「所詮お前はモブなんだよ。モブとヒロインはゴールインしないものさ。『モブな俺がヒロインのあの子と!?』なんて、それはモブの仮面を被ったただの主人公なんだ。だがお前はただのモブだ。正真正銘のモブだ。だからお前が失恋するのは、当然の結果なのさ」

「お前だってただのメガネモブだろう!」


 センチメンタルな気分に浸っているオレに、無粋な茶々を入れてくるのは長い付き合いの友人だ。

 こいつもオレと同じタイプの人間だ。

 オレ達は視界に入っていても認識されない、透明な空気のような存在だ。


「おいおい、ただの無印モブの君と、メガネモブの僕を一緒にしないでくれたまえ」

「どこが違うんだよ。一緒だろ」


 こいつのしゃべり方や動作は何をリスペクトしているのか知らないが、一々白々しくて癇に障る。


「何をいう。『メガネ』という枕詞がつくことで、僕のアイデンティティを全て表現できている。『モブ』と聞いても、誰のことか分からないが、『メガネモブ』と言うと、このクラスでは僕のことだと分かる。この差は歴然だ」


 こいつは、何を誇らしげに言っているだ……。

 自分で言っていて、虚しくならなのだろうか。


「メガネは枕詞でもないし、メガネがお前の全てなのかよ。ってか、クラス全員がメガネだったら、お前のアイデンティティは消えるわけだ?」

「はっはっは! そんなクラスあるわけないだろう。あるなら拝んで見たいものだね!」

「……お前と話しているとやっぱ苛々するよ」


 これ以上余計なストレスは受けたくない。

 眼鏡が全ての可哀想な友人から視線を外し、机に突っ伏した。


「伊藤君」


 誰かに名前を呼ばれたので、頭を横に向けた。

 倒れた視界にスカートが見えた。

 視線だけを上に向けると、それはクラスメイトの金木さん――学級委員をしている女子だった。

 銀縁眼鏡をかけていて、頭が良さそうな雰囲気を醸し出している。

 実際にそうで、クラスではトップの成績だ。

 見た目は眼鏡だし、長い黒髪を二つに分けて三つ編みにしているという地味な感じである。


「これ、先生から預かってきたの」


 上半身を慌てて起こし、お礼を言いつつ一枚のプリントを受け取った。

 どうやら提出したプリントに不備があったようで、訂正箇所に付箋が貼ってあった。

 後で直そうとプリントを折っていると、視界の端で主人公とヒロインが廊下を一緒に歩いているのが見えた。


「はあ、きいちゃん……」


 神様は残酷だ。

 夢を見せてくれたと思いきや、一瞬で絶望に早変わりだ。

 あんなに手広く女子と交遊していた神楽坂葵が、きいちゃん一本に絞るという最悪の結果になるなんて……誰が予想しただろう。

 主人公の本気に、モブが勝てる分けが無い。


 全ての男子を敵に回す覚悟で抜け駆けをしたときは、案の定黙殺させそうになったが、今は彼らから憐れむような生暖かい視線を頂いている。


「伊藤君も、やっぱり鳥井田さんみたいな可愛い子が好きなの?」

「んー……相手にされないけどね」


 オレの心の悲鳴が金木さんに届いてしまっていたようだ。

 本音がダダ漏れでも、恥ずかしさすら沸かない。

 もう乾いた笑いしか出てこない。


「でも、よく話していたでしょう?」

「少しの間だけだったけど……」


 葵坂葵から逃げていたところを助けたあの日——。

 勢いで告白しようとしたけれど、相手にされず置いて行かれた。

 一緒に映画には行けたけど、あまり意識して貰っていないことが悲しいほど伝わってきた。

 まだ今でも『英君』と呼んでくれていることだけが救いだ。

 オレの学校生活で一番の財産だろう。

 他の男子は、彼女に下の名前で呼ばれることなんてないので、かなり羨ましがられる。

 オレ最大の自慢だ。

 でも……所詮、そこまでなんだよなあ。

 彼女の『特別な存在』になんかなれっこない。


「オレみたいなのは釣り合わないよなあ、何の取り柄もないしね……」


 はー……自分で言ってめりゃめちゃ凹む……。

 神様、モブから主人公に進化できる方法を教えてください。


『みんなの主人公』じゃなくていいんだ、そんな贅沢は言わない。

 一人の女の子にとっての主人公になれたら、それでいいんだ。


「そんなことないよ!」


 金木さんが急に大きな声を出し、友人と二人目を丸くした。

 どうしたのだろう。

 目が合うと、気まずそうに視線を逸らされた。


「伊藤君にも、良いところはいっぱいあると思うの。この前も……掃除を断れない私の代わりに、言ってくれたし」


 ジーッと見ていると、口籠もりながら、今の言葉の理由を話してくれた。


 『この前』?

 パッとは思い浮かばず記憶を掘り返す。

 あー……『掃除』か、あったな。


 あれは確か……金木さんが教室清掃当番だった日のこと。

 机の上を片して帰宅するべく席を立ったところ、掃除道具入れの前で何か揉めているのが目に入った。

 揉め事に関わるつもりは無なかったので、通り過ぎながらだが野次馬根性で耳を傾けていると、会話が聞こえてきた。


『ねえ、お願い! 私達今日は早く帰りたいの!』

『でも、流石に一人じゃ……』


 掃除道具入れ前での会話だし、すぐに察することが出来た。

 当番のメンバーである他の女子三人が金木さん一人に押しつけ、遊びに行こうとしていたのだ。


『それはないんじゃない?』


 関わるつもりは無かったのに思わず足を止め、声を出してしまった。

 四人でやればすぐ終わることなのに、一人に任せて自分達は遊びに行こうだなんてあんまりだ。


『はあ?』


 だが、三人の女子の冷たい視線を浴びて、声を出してしまったことを後悔した。

 一瞬で三人に囲まれ、格好つけるなと文句を言われ……あっけなく敗北。

 女子の口撃力に、オレなんかが敵うはずがないのだ。


「結局、三人とも遊びに行っちゃったけどな……」

「安定のがっかり感、天晴れ!」

「うるさいよ」


 お前の苛々を煽る能力もぶれないな。

 視線で抗議すると、更に苛々を掻き立てる笑みを返してきやがった。

 そろそろ殴るぞ、眼鏡割るぞ。

 

「でもその後、手伝ってくれたでしょ?」

「それはまあ……」


 力になれなかったから手伝いくらいはしようと、一緒に掃除をした。

 逆に言うとそれしか出来なかった。

 ……オレ、残念。


「私、凄く嬉しかった。伊藤君は優しいし、そういう男の子って……素敵だと思うの」


 そう言うと、金木さんは自分の席に戻って行った。

 その様子を、オレは黙って見守った。

 す、素敵……!?


 俯きながら座る彼女の横顔を見ていると、束ねた髪の間から見える耳が赤く染まっていた。

 それが分かった瞬間、自分の耳も熱を持ったのが分かった。


「……無印モブのくせに、生意気な」

「う、うっせー」


 もう一度ちらりと金木さんの横顔を盗み見た。

 色白で綺麗な肌だ。

 あの銀縁眼鏡をとってコンタクトにして、髪を解いたら凄く可愛くなりそうだ。

 あれ、金木さんってこんなに可愛かったっけ……?


 気づけばあんなに落ち込んでいたのに、今はなんともない。

 きいちゃんが教室に戻ってきていたことにも気が付かなかった。

 ヒロインに気づかないなんて、オレはおかしくなったのか?


『ヒロイン』、か。

 ヒロインってなんだろう。

 人目を引く、外見が良い子?

 物語になりそうな行動をする、躍動感のある日常を過ごしている子?


 もう一度金木さんを見た。


 はっきりとは分からないけど……何かを掴んだような、分かった気がする。


「やっぱりオレも、主人公なんだよ。お前もメガネモブなんかじゃない」

「なんだ? 急に悟りを開くとは。ちょっと褒められたくらいで、賢者にでもなったつもりか? 調子に乗るなよ。これだからモブは……」

「はいはい」


 神様、さっきの『主人公になりたい』っていうのは取り消します。

 必要ないみたいです。

 モブで主人公なオレの毎日は、オレなりの躍動があって面白いです。

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攻略対象者な私はギャルゲー主人公から逃げたいわけで! 花果唯 @ohana

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