第15話

 茉白にフラれてしまった翌朝——。


「今日は曇りかあ」


 目覚まし時計はいつもと同じ時間に鳴ったはずなのに外が暗い――。

 まだ早い時間なのかと勘違いしてしまったくらい。

 残念ながら、すっきりとしない目覚めだ。

 だらだらとベッドからおり、のそのそと着替える。

 うう……だるい……。


 朝食はキッチンでボーッとしながら食パンをかじった。

 わあ……屑をいっぱい落としている。


 テレビ画面には週間天気予報が映っていて、今日は雨のマークになっていた。

 まだ降ってはいないが、傘を持っていった方が良さそうだ。

『さわやかな朝』ではないが、今の私のテンションに合っていてちょうどいいかもしれない。

 心なしか、ちゃんと巻いたはずのゆるふわカールも萎れて見えた。


 昨夜はぐっすりと眠れなかった。

 寝たり起きたりを繰り返していて、なんだか頭が痛い。

 これも全部神楽坂葵のせいだ。

 どうせ今日もいるのだろう。

 登校するために靴を履きながらまた思う。


 傘を手に取り、玄関の扉を開けると――。


「黄衣、おはよう」


 ほら、やっぱりいた。

 いつの通りの穏やかな笑顔があってよかった。


 …………ん?


「黄衣?」


 まって、私よ……『良かった』って、何~!?


「はい~~!?」

「…………っ!?」


 一人脳内大混乱中の私を見て、先輩がビクッと肩を震わせたが構っていられない。

 どういうことなの、私!

 思わず自分で突っ込んでしまった。


 駄目だ……ちゃんと眠っていないからか、頭がおかしくなっている。

 シャキッとしなきゃ……。


 そう思ったところで先輩の足に目が留まり、思い出した。

 昨日は足を捻挫していた――。


「先輩、足の調子はどうですか? まだ痛みますか?」

「あ、うん。大丈夫。心配してくれてありがとう」

「そうですか。心配などしていませんが……良かったです」


 わざと興味がない様子で呟き、先輩の横を通り過ぎた。


「一人で行きたいのだ!」という自己主張を込めて早足で歩き始めたのだが、先輩は何故か嬉しそうな表情を浮かべながら私の横に並んだ。

 私の意図が伝わらないことも、このニヤけた顔も腹が立つ。


 それにしても……少し足を庇って歩きづらそうなのに、必死についてくる。


 ……少しゆっくり歩こう。


「黄衣、ありがとう」

「何のことでしょう」


 別に隣の奴が、歩くのが大変そうだと気を使っているわけではない。

 ……そういう気分なだけだ。


「はあ」


 なんだかこの『当然一緒に登校』な感じが嫌だなあ。

 昨日の茉白との会話も思い出して、ついため息をついてしまった。


「ねえ、黄衣。お願いがあるんだ」

「お断りします」

「歩くのはなんともないんだけど、逃げる君を走って追いかけられそうにないんだ。だから、逃げるのは休みにしてくれないか? 今日は、君と過ごすことが多かった金曜日だしね。一緒にいたいんだ」

「…………」


 まず人の話を聞けよ、と言いたい。

 一々突っ込むのも疲れたから言わないけど……。


 一緒に過ごすことが多かった金曜日、ね……。

『好感度が上がる日だからだろう』と、思わず言いそうになったが飲み込んだ。

 考えたくない、これ以上暗い気分になりたくない。


「そうだ。放課後はどこか行かないか? どこか行きたいところはある? 前に行ったカフェなんかどうだろう。それともケーキ屋さん?」

「絶対に行きません。どこにも行きません」

「授業が終わったら、迎えに行くよ」

「だから……私の声が聞こえていますか? 耳は正常に機能していますかー? 行きませんからー!」

「迎えに行くよ」

「…………っ」


 多くの女の子が見惚れてきたこの笑顔は、今はただの脅迫でしかない。

 私の教室は完全にアウェーになってしまっているから、迎えに来たこいつを無視すれば、私の好感度がまた下がってしまうじゃないか!

 これ以上一日中追いかけ回され無視をする日々が続いたら、いつか女子に刺されそうだ。

 リアルにそれくらいの危機感がある。

 刺されても大丈夫なように、胸に雑誌でも忍ばせておこうかな……。

 そんなことを真剣に考えてしまうが、もっと確実な危機回避策を取りたい。


「他の休憩時間はそっとしておいてくれるなら、放課後だけはおつきあいします」

「黄衣! する、約束するよ!」

「絶対に約束をまもってくださいね? ……今日だけですからね」


 昨日、階段落下を庇って貰ったお礼、ということで我慢だ。

 放課後は外に行くだろうし、学校での平穏は守られたと思うことにしよう……うん。

 それ以外に他意はないのだ。






「平和だなあ」


 天気予報は今のところ外れていて、空は暗いけれど雨は降っていない。

 ギリギリ傘の出番はなさそうだ。

 窓から曇り空を眺めつつ、背伸びをして体を解した。

 午前の授業が終わり、休憩時間が長い『昼休憩』になった。

 約束通り、あいつはまだ一度も現れていない。

 久しぶりに学校で穏やかな時間を過ごせている……と思っていたら――。


「……うわあ」


 気を抜いていると、思いがけないところで先輩と遭遇してしまった。


 寝不足が原因なのか頭がぼうっとするので、食後に仮眠をとろうと訪れた裏庭——。

 ここには塗装が少し剥げた、鉄製のベンチが置いてある。

 綺麗なベンチではないが、軽く横になるにはちょうどいい。

 ベンチの近くに大きな木があり、適度な木陰が出来る上人は殆ど来ないので穴場だ。


 天気が微妙な今日は誰もいないと思っていたのに……先客がいた。


「うわあ……なんで……」


 それが先輩だったのだ。


 こんなところで何をしているのだろう……。

 姿を隠し、こっそりと様子を覗いてみると、熱心に本を読んでいるのが見えた。

 どんな本を読んでいるのか気になり、目を凝らしたが良く見えない。

 恐らく雑誌だと思うが……。


「『好みを理解してくれている』ということは、ポイントが高い。お店選びやプレゼント選びは重要——」


 何かぶつぶつ呟きながら、真剣な様子で目を通している。

 そんな難しい内容の雑誌なのか?


「プレゼント……うーん、注意しなければならないのは、貰った時の気分によって重たく感じられたり、軽く感じられたり……タイミングも重要か。以前の黄衣たんだったら、可愛いらしい……ポップな女の子らしいものが好きだったけど、今の黄衣たんは綺麗系で、お洒落な物の方が好きそうだなあ」


 聞こえてきた呟きに中に、私に関することがあったような。

 黄衣たん、言うな。

 ……というか、私へのプレゼントを何にするか考えているように聞こえたのだが気のせいか?


 わざわざこんなところに隠れて、何をやっているの!?

 何故か私が恥ずかしくなってきた。顔が熱くなる。


 違う、これは照れているわけじゃ、喜んでいるわけじゃない。

 また『黄衣たん』なんて、恥ずかしい呼び方をされているからであって……!


「紫織に憧れているみたいだったし……紫織のオススメを聞いてみようかなあ。アクセサリーは、もう好きじゃないのかな……受け取って貰えなかったしなあ。今日もどこに行こうかなあ。難しい……ああ、もうどうすればいいんじゃあああ!」


 『じゃ』!?

 え……実は転生していて、中身はおじいちゃん、とか!?

 若い体になって、ハッスルしているのだろうか。

 それならば許せる気がしてくる。

 デイケアだと思えば、一日くらいデートしてやることもやぶさかではないぞ。

 

 ……などと冗談を言っている場合ではなく――。

 以前、一人で呟いているときもそうだったけど、普段の神楽坂葵とは印象が違う。

 こちらが『本当の神楽坂葵』なのだろうか。

 そう思った瞬間ハッとした。


 『私も先輩を見ていなかったのではないか』


 先輩が本当の私を見ていなかったように、私も本当の神楽坂葵を見ていなかった……?


「そんな……」


 そう思った瞬間、胸を抉られたような衝撃が走った。

 頭の中も真っ白だ。

 私……は自分を棚に上げて、奴を非難していたってこと!?


「司法試験より難しいんじゃないか……!?」


 ……人が真面目に反省しているというのに……。

 力が抜けるような台詞が聞こえてきた。

 仮眠は諦めて戻ろう。


「攻略情報がないとこんなに苦労するなんて……今まで随分楽していたんだな」


 まだ何か呟いているが、どうせくだらないことだろう。

 放課後、逃げたくなってきたかも……。


「?」


 先輩が占領しているベンチの向こうに人影が見えた。

 誰かが生け垣に身を隠し、あいつに視線を送っている。


 あのプラチナのように輝く銀髪は……茉白だ。

 表情はよく見えないが、先輩をジーッと見つめていることは分かる。

 声を掛けるつもりはないようだ。

 先輩も茉白の存在に気がついていない……。


「茉白は先輩の様子を、いつもこうして探っているのかな……」


 放課後、先輩と私は約束をしてしまったわけだが、茉白はどう思うのだろう。

 私が抜け駆けしていると思うだろうか。


 茉白と友達になりたいという思いは今のところ一方通行、片想いだ。

 朝廊下で出会ったときに声を掛けたが無視をされてしまった。

 放課後までに話をしたいが……。

 今は茉白に声を掛けると、先輩にも見つかりそうなので無理だ。

 遠回りをして近づこうかと考えているうちに、茉白は去ってしまった。残念。

 残りの休憩時間に、捕まえることが出来たらいいのだけれど……。

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