やさしい器とかなしい魂
のぺり
第6話
頭の中でドナーという言葉がブロック崩しみたいにバウンドしては、僕の思考を破壊していく。意識が遠のき、いつの間にか立ち止まっていた牧田に気付かず、もう少しで背中にぶつかってしまう所で、ようやく立ち止まった。
「ついたよ」
あれほど続いていた廊下は、プツリと断ち切られたようになくなって、代わりに壁が立塞がっていた。
「見てごらん」
牧田は窓の方に向かって指差す
「あれが君だよ」
ガラスの向こう側に今まで立ち並んでいた機械群の母体と思わしき物が、その巨大な図体を横たわらせていた。それに守られるようにして一つのベッドが置かれている。
「あそこで寝ているのが君だ」
「どういうことですか」
「大越アキト」
その響きに聞き覚えがあった。使用人の佐紀が僕に向けて言い放った名前。確かアキトと言っていなかったか。
「大越大蔵には一人息子がいてね、それが大越アキトだった」
牧田は穏やかな口調で話し始めた。
「大越氏は溺愛していたよ、なんせ一人息子だからね」
牧田は目を細めベッドに視線を注いでいる。
「だがある日その愛する息子が病に倒れてしまってね、そこでアキト君の主治医となったのが私だった。診察して私は絶望的な気持になったよ。アキト君は現代医学ではどうしようもない難病に冒されていたんだ」
牧田の視線に重ねてベッドを見てみると、母体から延びた何本もの触手のようなコードがベッドに繋がれていた。
「全身の筋肉がだんだんと衰えていく病気でね、今の所その発症のメカニズムも有効な治療法も解明されていない」
「何もしてあげられないんですか」
「もちろん私は医師としてなんとか治せないかあらゆる方法を尽くしてアキト君の治療にあたったよ、でもそのどれもが効果を示すものではなかった。医者としてこれほど無力感を感じたことはない。結局自分がしたことと言えば、ちょっとずつ進行していくアキト君の症状を経過観察でカルテに書き留める、そんなことぐらいだ」
不規則な息遣いで喋る牧田の声には強烈な憐憫が漏れ出している。
「怖かっただろうな」
「怖い?」
「君は想像できるかい、日常生活が少しずつ出来なくなっていく恐怖を、今日出来ていたことが明日目覚めた時には出来なくなっているんだ、突然からだ中に使用期限が印字され、その日が近づいてくるのを黙って待つだけの日々。明日は右手、一週間後には左足の期限が切れる、本人にしてみれば生きたままバラバラ殺人に遭うようなものだろうね」
「じゃあ、病気がこのまま進行していったら、進行を止められなかったら最後にはどうなってしまうんですか」
「それがこの病気の残酷なところだよ」
世界そのものを憎むような目つきで牧田は僕を見た。
「君が今何を想像しているかわかるよ、病気が限界まで進行したら死ぬんじゃないかってそう思っているんだろ」
「それは」
「私はねむしろそうなればどんなにいいだろうとさえ思っているよ」
「どういうことですか」
「この病気はね死なないんだ」
「死なない?」
「生きているという定義はどうあれ、この病気によって死に到ることはない。もちろん体のあらゆる運動機能、体内の内臓機能の多くが不能になるが生命維持に必要な脳機能や心臓などの心筋にはなぜか影響を及ぼさないんだ。何もできない、植物状態なのに意識ははっきりしている、つまりこれは自分の肉体という檻から一生出られないということだよ、アキト君にとって人生は懲役でしかない、それはまさに生き地獄じゃないか」
自分以外の人間をこれほど憐れんだことはない。気付けば僕は誰に向けるでもない怒りに拳を強く握りしめていた。
「アキト君にそんな思いは絶対にさせてはならない。だから私は考え方を変えることにしたんだ、アキト君に対する医学的アプローチを変えてみたら、途端に新しい世界が見え始めたんだ」
その言葉になぜか僕はドキリとした。
「そこで必要となってくるのが君なんだよ」
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