第一章 一『瞬』の輝き PART9
9.
皐月のアパートに向かいながら、リリーは署に連絡をし鑑識官を呼び出した。刃物が二つ使われた形跡があるかどうか調べてもらうためだ。鑑識官に用件を伝え電話を切ると、その直後に万作からの着信がきた。
「先輩、どうやらガイシャは人と会う約束をしていたみたいですよ」
「そう。誰かはわかった?」
「すいません、そこまでは。ただ、懐かしい人物に会うといっていたみたいです」
「それで上等よ、お疲れ様」
「これからその人物を探そうと思っているのですけど、先輩はどちらに?」
「あなたが探している人物の所にもう向かってるわ」
万作との電話を切る頃には皐月のアパートについていた。階段を一段ずつ飛ばし駆け上がる。まだ肌寒い季節だが、額には汗が滴ろうとしていた。
「夜遅くにすいません。いらっしゃいませんか」
インターフォンを鳴らすと、夏鳥皐月はすぐに出てきた。
「刑事さんじゃないですか、どうかされたんですか?」皐月は驚いた表情のままドアを開けている。
「すいません、どうしても気になることがありまして。よろしいですか?」
「もちろん、いいですよ」
やはり時間帯が悪い。皐月の声のトーンが昼間より低い。機嫌はあまりよくないようだ。
「夏鳥さんの職業は庭師ですよね、普段は鋏で仕事をなさるんですか?」
皐月の表情が若干歪んだようにみえた。
「鋏も使うといった感じですかね、それがなにか?」
「その鋏はどちらに?」
「それがですね。今、手元にないんですよ」
店主の予想が的中した。思わず体中の力が抜けそうになる。しかしここで諦めるわけにはいかない。
「お店に置いてあるのでしょうか、よかったら鋏を見せて頂きたいんです」
「なぜお見せしなければならないんですか。理由を教えて下さい」
「今回の事件の犯行に二つの刃物を使った可能性が出てきたんです」
ただの憶測だ、根拠はない。だがここで鋏のありかを聞かなければ後がない。
「そうだったんですか。まさか僕を疑ってるんです? 花屋だって鋏を使うのに」
皐月の言動に疑問を持つ。どうやら店主の注意が効いているようだ。体には力が入らないが頭は冴えている。
「夏鳥さんは花屋が犯人だと思っているんですか?」
皐月の顔に若干の曇りが生じる。
「確かに桃子ではないと思いたいですが、アリバイがないんでしょう?」
「確かにその通りです」
「桃子の可能性は否定できないですよね」
昼間では面会できるかどうか切実な顔していたのだが、今ではその面影はない。凍りついたような冷たい顔になっている。
皐月は頭を掻きながら答えた。
「仕事がちょうど落ち着いたんで、鋏は新しいのに変えようと思って捨てました」
やはり……。自分の無力さを呪うしかない。
「そうでしたか……」
彼女が落胆の表情を見せると、彼の口元が微かに上がったように見えた。「他に何かありますか?」
「すいません、もう一つだけ。桃子さんの自宅には行かれたことはありますか?」
「いえ、一度もありません」皐月はきっぱりといった。
「父親が秋風家の庭を手入れしていることは知っていますよね?」
「ええ、知っています」
「庭を見たいとは思わなかったのですか? 夏鳥さんほどのやる気があれば見に行っていたと思ったんですが」
皐月はうんざりだといわんばかりに苛立ちを表に出している。目つきが徐々に鋭くなっていく。
「正直、父の技術を素晴らしいと思ったことはありません。僕は僕のやり方でやっていこうと思ってます。だいたい刑事さんに庭の良し悪しがわかるんですか?」
痛い所を突かれいい返すことができない。
「すいません、失礼しました」
「いえいえ、お仕事ですもんね」勝ち誇った顔が浮かび扉がゆっくりと閉まっていく。「僕も明日から仕事なので、この辺で失礼させて貰ってもいいですか。早く真犯人見つかることを祈っています」
喰いつきたいが勝負できるカードはない。いわれるがままに退散する他ない。
リリーは再び頭を垂らし、皐月のアパートから退却した。
……これはまずい状況になった。
落胆を抱えながら署に向かう。頭の中では自分に対する不甲斐なさで一杯になっていた。
桃子はやはり皐月に巻き込まれたのではないか。だがこのまま捜査が進展しなければ彼女が犯人だといわれ続けることになるだろう。そうなれば彼女は精神的なダメージが蓄積され、身の潔白を諦めるかもしれない。
これが皐月の本当の狙いなら―――。
……今夜は眠れそうにない。
このまま朝日を拝むことになりそうだ。彼女は再び自責の念を感じつつ、捜査会議室でうな垂れる他なかった。
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