第91話 里帰り その6

「いや、すごく美味しそうだよ!いただきまーす」


 準備をしていた双子のお許しが出たので、早速彼女は数あるお菓子の中で一番気になっていたケーキっぽいお菓子に手を伸ばす。一口サイズのそれをポイッと口に入れると、すぐに初めて感じる炭酸飲料のような刺激的な味覚が広がっていく。

 昼食の料理は人間界に寄せていたようだったけど、お菓子は魔界のものをほぼそのまま使っているのだろう。複数回噛んだだけですうっと喉の奥に消えていくそのお菓子の感想を、いつきは満足げな顔で口にする。


「うん、美味しい!すごいね!初めて食べる味だけど、何て言うか刺激的で」


「魔界の食べ物が好みに合って何よりです」


 最初に食べたそのお菓子があまりに美味しかったので、その後もぽいぽいと彼女は目の前にあるお菓子を手当たり次第に口にする。そのどれもが最初に食べたお菓子と同じくらい刺激的で、美味しくて食べるのに夢中になってしまっていた。


「うん、すごい、手が止まらないよ。ゴメンね、みんなも食べたいでしょ?」


「いえ、私達は食べ慣れていますから。どうぞ遠慮なくお食べください」


 いつきの気遣いにローズは笑顔で答える。自分達のおもてなしが好評なので機嫌が良さそうだった。ぱくぱくとお菓子を食べた後は水分が欲しくなるのは当然で、今度はお茶を注いでくれたカップに手を伸ばす。

 そのお茶も見た目こそ紅茶っぽい雰囲気だったものの、魔界のお茶らしくここでしか味わえないものだった。ひとくち口に含んだ彼女は口の中でその液体を遊ばせて、その初めて体験する味を存分に堪能する。


「このお茶も美味しいね、優しい味がするよ」


「ふふ……喜んでくださって何よりです」


 お菓子もお茶も褒められて、準備した妹達はとても喜んでいた。アフタヌーンティーを楽しみながら、この雰囲気に満足したいつきは、横であまり居心地の良くなさそうな態度を取っているこの家の長男に苦言を呈す。


「しかしべるのも何でこんないい生活を捨てちゃったのかねぇ。いいじゃん、天国じゃんここ」


「いつきには分かんないんだよ」


「もうこのまま戻ればいいじゃん。私だったらこの家の子になりたいなぁ」


 いつきのその言葉を聞いた妹2人は目を輝かせながら共感する。


「そうですわ!そうしましょうお兄様!」


「是非是非!」


 強烈な家に戻ってきて欲しい圧を受けたヴェルノは、その反作用で大声で自分の考えを爆発させる。


「だからっ!前にも言ったけどまだ戻れないよ。僕はまだこの家には……」


「何故ですの?」


「どうしてですの?」


 この主張に納得いかない妹達の質問ダブル口撃に彼は一瞬口ごもり、小声で本音を吐露した。


「僕はまだこの家に相応しい力を得ていないんだ……不釣り合いなんだよ」


「でもお兄様はお兄様です」


「この家に相応しいのはお兄様しかいません!」


 ローズもリップもヴェルノが何を言おうと必死にフォローする。この状況にほとほと困ってしまった彼は、隣の席に座っている相棒に助けを求めた。


「ちょっといつき、どうにか……」


 ヴェルノがいつきの方に顔を向けると、彼女は机に突っ伏して眠ってしまっている。さっきまであんなに元気にくっちゃべっていたのに。同じ光景を見た妹達は、口に前足を当てて驚いた風な顔を見せた。


「あら?眠ってしまいましたわね?」


「気持ち良さそうに寝息を立てていらっしゃいますわ」


 その少しわざとらしい反応に、彼は妹達がおやつの準備をしている時に何かやらかしたのではないかと勘ぐった。


「ちょ、まさかお前達……」


「いえ、私達は何もしていませんわよ?」


「そうです、おもてなしをして差し上げただけですわ」


 ローズもリップもヴェルノの勘ぐりに対して無罪を主張する。彼女達の性格を幼い頃から知っている彼は、出来ればその言葉を信じたかった。

 もしそれが真実なのだとしたなら、残されたもうひとつの可能性を考えるしかない。


「まさか、魔界の食べ物が合わなかったとか?」


 ヴェルノのその推理を聞いたローズは、深く考えすぎだと真顔で自説を口にする。


「て言うか、単に食欲が満たされて眠ってしまっただけなのでは?」


「ならいいんだけど」


 言われてみれば、眠っているいつきはとても幸せそうな顔をしている。食事の後に眠くなる事はよくある事でもあるし、彼女ならここで眠ってしまっても何も不自然な事ではなかった。

 とは言え、招かれた先で勝手に爆睡するとか失礼にもほどがあるんだけど……。


 いつきが眠ってしまった事で援護射撃の望めない中、妹達のお兄様奪還作戦は再開された。まずは双子の姉のローズが口火を切る。


「そもそも、何故お兄様はこんな人間と一緒に暮らしているんですの?」


「いつきは僕を助けてくれたんだ。理由なんてそれだけで十分だろ?」


「でも、この人はお兄様を対等に扱っているとは思えません」


 いつきが寝てしまったのもあって、その言葉には本音が強く滲み出ていた。人間と魔界の羽猫の共同生活なんて幸せなものじゃないと決めつけたその言葉に、ヴェルノはとても気を悪くする。


「対等だよ。いつきは僕と友達のように接してくれている。差別とかされてない。そんな扱いをされたら僕だってすぐに離れる。分かるだろ?」


 その口調で大好きな兄を怒らせてしまったと気付いたローズはすぐに前言を撤回する。


「ごめんなさい、お兄様の気持ちはよく分かりました」


「そっか、良かった」


 彼女の言葉を聞いて自分の主張が理解されたと解釈した彼はその怒りの矛先を収めた。言いすぎてシュンと小さくなった姉に代わって、今度は妹が自分の気持ちを切実に訴える。


「でも私達の気持ちも分かって欲しいんですの!」


「あ、ああ……」


 その純粋な想いにヴェルノも一定の理解を示した。ただ、だからと言って自分の気持ちに嘘はつけない訳で、彼はその後、何も言葉を返せなかった。

 沈黙する兄に対して、妹達は揃って自分達の抱いている想いをそれぞれが競うように口にする。


「私達はお兄様が人間界に行ってからと言うもの、心配で、ただ心配で……」


「夜も眠れない日々が続いていましたのよ!」


「分かってる、それは分かってる……つもりだけど」


 妹達の深くて重い愛に、ヴェルノは無難で曖昧な返事を返すのが精一杯だった。その返事を聞いたローズが淋しそうにつぶやく。


「お兄様はまた人間界に戻るのですね、この家ではなく……」


 妹の悲痛な叫びを聞いたヴェルノは、彼女達を少しでも安心させようと胸の奥に秘めていた自分で決めた条件を改めて口に出した。


「僕がこの家に相応しい力を手に入れたなら。自分に納得出来たなら……その時は……」


「分かりましたわ。ではそれまで私達は待っています」


 ローズはその兄の出した条件を素直に受け入れる。一緒に奪還作戦を展開してきた妹は姉のこの裏切りとも呼べる決断に動揺する。


「お姉様?」


「リップ、聞き分けてください。お兄様が出した答えを尊重しましょう。戻ってくると約束してくださったのですから」


 ローズのこの心のこもった説得にリップは静かにうなずく。ただ、それで100%納得したかと言えばそうでもなかったみたいで、兄に向かってその話を受け入れる代わりの交換条件のように自分の願望を訴えた。


「ではせめて、今回みたいにたまには帰ってきてくださいね!」


「……分かった、そうするよ」

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