女王陛下のマキナクラフト

才川夏生

マキナと幽霊の五線譜


 釘を打つ音に紛れて、何かが弾むような音がする。


 マキナは金槌を振るう手を止めて周囲を見渡した。森、畑、あぜ道、遠くにヤギ、そんな風景をぐるりと一周した視線が戻ってきた手元には、たった今修理したばかりの椅子がある。つい先日、泥酔した師匠がつまみと間違えて脚をかじったのだ。

 年季の入った台所用椅子は、色違いの真新しい脚を得てどことなくほっとしたように見える。

 背もたれに指をひっかけて肩に担ぐと、マキナは音の出所を探して歩きだした。


 探して、と言っても大体の目星はついている。この辺鄙な村アンダートンで何かおかしなことが起こるとすれば、「魔女の館」に元凶があると決まっているからだ。そしてまさしくここは「魔女の館」の裏庭であり、マキナも一応、館の住人なのであった。魔女ではないし、ほんのひと月前から居候し始めたばかりの新入りだけれど。

 例の音は絶え間なく、館内のどこかから聞こえてくる。木槌で何かを叩く音を、もっと薄く研ぎ澄まして幾重にもかさねたような。聞き覚えがあるのにはっきりと思い出せないもやもやを抱えながら、広すぎてまだ全体を把握しきれていない廊下を歩き、耳が招かれるまま一階の奥にある部屋の扉を押し開けた。

 開いた瞬間に、それまでくぐもっていた音が透明度を増してマキナの体を取り巻いた。くるくると渦を巻きながら溢れ出したように見えた。狭い部屋に閉じ込められていた鬱憤を晴らすみたいに、マキナの耳元を颯爽と飛び跳ねていく。

 館の他の部屋と同様、綺麗な内装のわりにどこか殺風景な印象のある部屋だ。その中央に、黒い四つ足のがあり、見知った人物がの前に座って熱心に腕を動かしていた。


「リーゼ」


 考えなしに声をかけたものだから、もちろん音はそこで止まってしまった。急に訪れた静けさの中、振り返ったリーゼがマキナに微笑みかける。

 古風で品のいい形の黒いブラウスに、黒のスカート。はじめ喪に服しているのかと思ったそれは、彼女の日常着なのだと知った。窓から射す光が金色の髪で跳ねて、逃げ後れた音の粒がまだそこに遊んでいるようだった。


「マキナさん、どうしました? あっ、お腹空きました?」

「いや、さっき朝飯食ったばっかり……」

「椅子の修理……は、終わったんですね。ありがとうございます」

「別に、これくらい」


 真正面から礼を言われてつい、愛想の悪い態度を返してしまう。もじもじと居心地の悪さに身をよじるマキナに構わず、リーゼは一本だけ脚が赤く色違いになった椅子を見て「よかったね」と声をかけていた。九死に一生を得たこの椅子は何と答えているのだろう。

 マキナは魔女ではないので、椅子の言葉を聞くことができない。



 黒い四つ足のはピアノと呼ぶのだと、リーゼが教えてくれた。


「そういえば酒場で見たことあるな」

「置いてある所も多いですね。演奏を聴きながらご飯を食べて、時々お客さんが飛び入りで弾いたり」


 確かにそんな光景を見た覚えがあった。日銭稼ぎの仕事で給仕をしながらだったので、喧噪に紛れてちゃんと聴いたことはなかったけれど。


「こんな音がするんだ……」


 さっきのリーゼを真似て、白い部分に恐る恐る指を置いてみる。

 澄んだ音がひとつ、指が沈むのと同じ強さで飛び出した。


「弾いてみます?」


 いたずらっぽく笑ったリーゼが、広げて置いてあった本をぱらぱらとめくる。

 行儀よく五本ずつ並んだ横線と、そこに連なる黒い丸、丸、まる。


「これは……うん、そうか、魔法か……魔法だな?」

「魔法ではございませんとも」


 これがド、これがレ、ミ、ファ……と右手で黒丸をひとつずつなぞりながら、左手の指を器用に動かして音を出す。その様子に見蕩れていると、はいどうぞ、と立ち上がったリーゼの代わりにピアノの前の椅子へ座らされた。


「親指はここに。手のひらは卵を割らないように包む感じで……」


 料理は機械いじりの次に得意だ。それならわかる、と頷こうとしたマキナの首が、ぎりりと不自然な動きで固まった。


「……………………」


 背後から腕を伸ばして手を重ねているため、お互いの体は自然と密着することになる。

 ……いい匂いがする。リーゼが熱心に手入れしている庭と同じ、胸がすくようなハーブと甘い花の匂い。加えて背中と腕が、温かく柔らかな感触に包まれる。金色の髪がさらさらと滑り落ちて、あまり日当りのよくないこの部屋に太陽の小川が生まれたみたいだった。

 意識した途端に鼓動が速くなって、息もろくに吸えなくなる。なんだか泣きそうになるのは羞恥と焦りか、それとも安堵の気持ちからなのか、自分でもよくわからなかった。


「い、いい、やっぱ、あたしはやめとく」


 大工仕事して手が汚れてるし、と半ば強引に椅子から立ち上がる。リーゼはちょっと残念そうな顔をしたけれど、それ以上無理強いすることはなかった。


「あ、あたしはいいからさ……リーゼに弾いてほしい。なんか、さっきみたいなやつ」


 咄嗟に口をついて出たお願いに自分でもびっくりした。瞠目したリーゼがひとりで狼狽えるマキナをじっと見つめてくる。

 そのまま、なんとなく一方的に気まずい一拍の後。

「マキナさんはピアノが好きなんですね」嬉しそうに顏をほころばせると、なんだか張り切った様子で本をめくりだした。

 好き……好き、なのかな? でもピアノの音につられてふらふらとこの部屋まで来たのだし、こうしてリーゼの演奏を待つ今も、ちょっとわくわくしてきている。


「さて、これなる曲は、お恥ずかしながら私作曲のものであります」

「えっ!」


 作曲って、すごい、すごいことなんじゃないか。芝居がかった口調は照れ隠しなのだろう、咳払いするリーゼの頬が少し紅潮している。集中の邪魔をしないように気をつけながら、修理した椅子の背もたれを前にして寄りかかるように座った。


『連作集・アンダートン村小景』


 そう走り書きされた楽譜(と呼ぶのだと、後でリーゼに教えてもらった)から、リーゼの指が音を紡ぎだす。複雑な動きをする手元を一瞥もせず、黒い丸の連なりをピアノに伝えて震わせる。躍動する光の粒となってマキナの全身を打つ。

 なるほど。あの五本線と黒い丸は、ピアノの白い歯と黒い歯をどのタイミングで押せばいいか指示しているものらしい。改めてよく見ると足下にもペダルがあって、指同様せわしなく動いている。人形めいて整ったリーゼの容貌も相まって、ひとつの完成された機械のようだ。器用なもんだとマキナはすっかり感心しきっていた。

 そうやってつぶさに演奏を観察するマキナの脳裏に、やがて、今目にしているものとは別の風景が浮かび上がってきた。

 飛び交うおしゃべりと食器のぶつかる音。賑やかな室内は大勢の人間が入れ替わり立ち替わりして、くるくると一定のリズムで回る。それはどんどん加速してゆき、お祭りのような騒ぎが広がり、酔っぱらい同士あわや取っ組み合いの喧嘩になろうかというところで……亭主の雷が落ちる。


「これってもしかして……折れた牛角亭?」


 曲の風景から連想したのは、前に師匠に連れられて行ったことがあるアンダートンで唯一の酒場だ。何気なく口にした一言に対する反応は劇的だった。


「わっ、ぅ、わかりますっ?」


 噛み付くような勢いでこちらを向いた顔が耳まで赤くなっていた。ふにゃりと歪んだ口の端には、恥ずかしさや興奮なんかの様々な感情が同時にせり上がってきているようだ。けどまあ、総合的には喜んでいるのだろうとマキナは察した。


「じ、自分で作った曲を誰かに聴いてもらうのって初めてで……」


 意図するところが正確に伝わった、そういう喜びだろうか。リーゼの曲は絵筆で忠実に、細密に風景を写し取っているかのようで、ちゃんとした演奏を聴くのが初めてのマキナにもわかりやすい。

 なんだか楽しくなってきていた。


「えっと、よかったら、他の曲も聴かせてよ」

「……っ、はい!」



 一本杉の旧街道からは、山間に広がるアンダートンの村を一望できる。

 飾り気のない石造りの門を抜ければすぐに、そこらじゅうで鶏がお出迎え。七王家時代の様式を色濃く残す家屋は質実剛健だが、暮らしている住民はのんびりとして穏やかだ。


 リーゼの奏でる音に手を引かれて、目を瞑ったマキナはアンダートン中を駆け回る。名所が多いわけでもないので曲名の当てっこはとても簡単だった。

 店が並ぶ小さな広場を抜けて、役場の裏に回れば畑と薬草園が見えてくる。施薬院に住んでいるのはリーゼと院長、彼女らが世話をしている数人の孤児たち。

 やがて賑やかな一日は終わり、夜の帳が降りてくる。施薬院よりもっと奥、「魔女の館」がある方角からあぜ道を伝って、ひたひたと……。

 どことなく不穏な曲調で終わるのは、この村の子供によく使われるらしい常套句「悪いことすると館の魔女にさらわれるぞ」のせいだろう。リーゼも幼い頃にそうやって脅かされたことがあるのかもしれない。微笑ましい想像に思わず口元が緩んだ。

 手を止めてふう、と一息ついたリーゼが不安そうにこちらを伺ってくる。マキナは控えめに、けれど惜しみない賞賛を込めた拍手を送った。

 小さな演奏会の終幕だ。


「ちょっとそれ、見せて」


 リーゼがぱたぱたと赤くなった顔を扇いでいる間に、改めて楽譜を見せてもらった。

 やはり何度眺めてもそこに並ぶのはマキナにとってなんの意味も成さない記号なわけで。


「んー……んんん」


 それがピアノの音となって響くとあんなに生き生きと村の情景を描きだすのだから不思議だ。


「やっぱり魔法なんじゃないか?」


 手品の種明かしをねだる子供みたいに唇を尖らせると、リーゼは笑って首を横に振った。


「すごいのは、マキナさんのほうですよ」

「はぁっ?」

「私の拙い曲でも楽しんでもらえたなら……それは多分、マキナさんが上手に受け止めてくれたからです」

「…………」

「マキナさんは、音楽が上手なんですね」


 そんなこと、生まれて初めて言われた。


「いや、だって、あたしなんかこの記号の意味もわからないし、楽器だってひとっつも弾けないんだぞ?」

「そんなの関係ありません」


 なぜか誇らしげに言い切ったあと、リーゼは本の後ろのページに挟まっていた二つ折りの紙束を取り出した。五本線と記号が見える。黄ばんで年季の入ったそれもやはり楽譜らしい。


「演奏するだけなら、魔法でだってできます……見てて」


 リーゼが小声で何かをつぶやいた途端、古びた楽譜は一瞬で黒い砂と化して彼女の両手からこぼれ落ちた。

 さらさらと音を立てて床に黒い砂山を築く。

 唐突な光景に絶句したマキナは、部屋の角が妙に薄暗くなっていることに気づいた。

 ピアノを中心にして二人を包んだ球状の空間だけがやけに明るい。歪んでいる。咄嗟にそう思った。暗くなったんじゃない。ねっとりとした光が、凝り集まってくる。

 大きな砂時計の中に閉じ込められた。そんな錯覚が視界をぐらぐらと揺らす。

 息をするのさえ躊躇うマキナを尻目に、ほのかな燐光を帯びたピアノが音を立てた。

 リーゼの指は、触れていない。相変わらずこちらを向いてどこか茫とした表情を浮かべたままだ。

 ピアノの歯が、ペダルが、目に見えない嵐によって上下動を繰り返す。さっきまでのリーゼの演奏が完成された機械なら、演奏者という肝心の部品を欠いたこれは一体なんだというのか。透明な演奏者の横顔を見極めようと、椅子の背もたれを握るマキナの手に力が入った。

 ピアノの音は徐々に激しさを増していく。リーゼが弾いてくれた曲とは全然違う。

 そこに風景はなかった。意思も、感情も。

 視界一面がひたすら無彩色に塗りつぶされていく。

 演奏する者もいなければ、聴いてくれる者さえ必要としていない。

 何も、なかった。



「……の楽譜に編み込まれた魔法は、ピアノが記憶している過去の演奏を再現できるんです。いつの時代に、誰が弾いたのかはわからないんですけど……っ」


 音が止むと共に再び明るくなった部屋で、焦点を取り戻したリーゼの目が大きく見開かれた。


「まっ、マキナさん、どうしたんですか!」


 慌てて立ち上がったリーゼの姿がぼやけていく。


「ごめんなさい、びっくりさせちゃいましたか?」


 違う、大丈夫、心配しないで。そう伝えたくても唇はわななくばかりで、意味をなす言葉を紡げない。子供のように弱々しく首を振るのが精一杯だった。

 顎を伝った涙が椅子の背もたれに滴り落ちる。こらえようにも、源泉がどこかわからないのだからどうしようもなかった。声も出せず、じっと身を固くして嵐が通り過ぎるのを待つ。

 ただずっと、耳の奥で無色透明な幽霊の奏でる曲が渦巻きながら共鳴していた。


 突然泣きだしたりして、リーゼを困らせてしまっただろうか。視線を上げられずにまごついていると、柔らかなものがそっと目元に押し当てられた。


「……マキナさんは、泣くのが下手ですね」


 それも、生まれて初めて言われた。

 自分だって泣きそうな顏してるくせに。思わず吐息のような笑いがこぼれて、ほんの少しだけ手足の強ばりが緩む。


「……ごめん」


 白くて清潔な布が、自分でもどうしようもない涙を受け止めてくれる。

 リーゼのハンカチは、やっぱり甘い花の匂いがした。

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