人間レビュー
岡村 としあき
人間レビュー
「ねー、理沙子。初対面の相手の第一印象って、何で決まるか解る?」
僕の前の席で、2人の女子がなにやら話していた。中学2年の始業式を終えてわずか20分。新しい教室、そして新しいクラスメイト達。慣れろという方が無理だろう。知らない者同士の中で早くも打ち解けていた2人の女子に、僕は軽い嫉妬を覚えた。
「んー。やっぱ顔? 声? あとはまあ性格……かな?」
理沙子と呼ばれた女子は一生懸命考えていたが、結局凡庸な答えしか出せないでいる。違う。顔や声なんかよりも、もっとも確実で最先端な情報がある。それは――。
「レビューでしょ! 人間レビュー!」
22世紀になって人間は進歩した。スマホやパソコンはアンティークと化し、代わりに広がったのが脳に極小サイズのチップを埋め込むインプラントだ。人間の脳を一個のハードディスクと化し、頭の中で念じるだけで、脳内インターフェイスを使ってメールの作成やゲームもできる。そしてつい先月アップデートされた機能が、個人に評価を付ける人間レビュー、という機能だった。
「愛実、すっごいじゃん! レビューいっぱい付いてる!」
「ふふん、ま~ね~。あたし、友達と相互レビューしまくってるからさ! 理沙子も書いてあげよっか? レビュー」
「おねがーい!」
ふん。相互レビューなんかしてんのか。そんなのに何の意味があるんだよ。身内贔屓のレビューなんて、寒いだけじゃないか。
愛実の頭上にたくさんのハートマークが見えた。ハートマークの数はそのままレビューされた数を表している。愛実は……可愛い。お高く止まっているのが鼻につくが、彼女についたレビューが気になる。ためしに愛実のレビューを閲覧してみると、頭が痛くなるほどのヨイショの嵐で、僕ははきそうになった。仲良しこよしで群がってんじゃねえよ。
~坂本愛実さんのレビュー~
投稿者:ちか
愛実はすっごいいい子! 部活でも頼りになるし、いっぱい相談に乗ってくれるからLoveだよ~☆。
投稿者:通りすがりのおばちゃん
この子はいまどきの子にしてはあいさつちゃんとしてくれるし、美人だからみんな仲良くしてやってね。
投稿者:&さん
愛実は天使。評価下げたやつは殺す。絶対殺す。
……うわあ。この&さんって奴、ちょっとやばい感じだな。&さんが他にどんな人にレビューを付けているのか見てみると、それは全部10代前半の女の子ばかりだった。そのどれもに評価を下げたら殺すとか消すとか、物騒なことを書き込んでいる。
こんな奴にまでレビューなんてして欲しくないね。いや……レビューは……欲しいけど。レビューはそのまま個人の評価に繋がる。レビューさえあれば僕だって……人気者になれるはずだ。
「うわ! こいつ、きも!!」
「ほんとだー! たった1つのレビューがこれって、人としてどうよ?」
「え?」
気付けば、2人の女子が僕の頭上を指差していた。
「あ……その……これ、は」
相手のレビューが見れるという事は、自分のレビューも他人に見られる、というわけで。たった1つ僕に書き込まれたレビューを見た2人の女子が、僕を蔑むように笑っていた。
「投稿者:ママ。ママってさ! こいつ、母親にレビューされてやんの! うけるー!!」
「や、やめろ!」
急いでレビューを誰にも見られないよう非表示設定にしようと思ったけれど、すでに遅かった。
「なになにー? かずちゃんは大人しい子だけど、やるときはやる子なの!? ぷぷ! 大好物のコロッケを食べている時の笑顔が、ママにとって生きがいです。とか!!」
「やめて、やめてくれよ!」
このレビュー、一度書き込まれたら自分では消せないんだ。でも、レビューを非表示設定にさえしておけば、他人のレビューを見ることも他人にレビューを見られることもない。書き込んだ本人なら消せるから、帰ったら即消させるつもりだった。覗き見していたがために、こちらも覗き見られるなんて!
「おいマザコン! お前きめーんだよ!」
「みんなでレビューしてやろうぜ。母親とラブラブなマザコンくんってな!」
「違うんだよ! これは!」
欲しいと思っていたレビューは、あっというまに30人分集まっていた。そのどれもが僕を誹謗中傷するものばかりで……。
「あははははは!!」
「きゃはははは!!」
クラスメイトになってまだ一時間足らずの連中に、僕はさっそくいじめの標的にされてしまった。
「人間レビューなんて! こんなの、あんまりじゃないか!!」
僕はホームルームが始まる前に教室を飛び出し、逃げ出した。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!! もう学校なんて行くか!
僕は家に帰るとそのままベッドに潜り込んで、涙を流した。
それから一ヶ月が過ぎた。
「かずちゃん。ごはん、ここに置いておくわね?」
自室のドア越しに母の声が聞こえてくる。
「ああ!? ほっといてよ!!」
僕はベッドに寝転びながらそう答えた。
「もう、何もかも嫌だ……あんなこと言われて、こんな変なレビューまで付けられて……学校なんか行けないよ。僕の人生もう、終わったも同然だ」
午前7時の僕の部屋は、太陽の光をカーテンで遮っていた。そのため、ひどく暗い。自分の心と同様、暗い。
「レビューなんて……レビュー、なんて……」
~木下和志さんのレビュー~
投稿者:とあるクラスメイト
木下くんは、ママが大好きなイタイ子です。近づくとマザコン菌に感染してしまうので、付近の人はご注意を!
投稿者:名無し
ママー! ママー! ぼくちんのママー! www。
投稿者:理沙ぴょん
みんなこの辺にしたら? そろそろやばいと思うんだけど……。
木下和志、それが僕の名前。そんな僕に付けられた痣ならぬ、レビュー。それは僕の心をズタズタに引き裂いてしまった。理沙ぴょん……あの時一緒にいた理沙子かな? 唯一、彼女だけが僕をバカにしたレビューを付けていないのが幸いか。
あれ以来学校は行ってない。部屋にずっと引きこもって、脳内でゲームをしている。
「くそ!! クレームの1つでも送ってやる。こんな機能実装しやがって! 僕の人生がめちゃくちゃだ!!」
脳内でメールを作成すると、脳内インターフェイスのOSを開発しているIT企業に要望メールを送ってやった。要望といっても、ほぼ悪口だ。
「もう一眠りしようかな。それとも、昨日のアニメでも見ようかな」
枕の上で天井を見上げながらそう呟いたとき、新着メール到着のお知らせが視界の隅で表示された。さっき送った要望メールの返信かな? そう思って開いてみると、まったくの見当違いだった。
「他人の記憶を覗き見しませんか? 当サイトでは、非合法に入手した他人の記憶をまるで自分が体験したように再現できます……ってこれ。非合法!? 犯罪じゃないかよ……」
他人の記憶を非合法に入手、か。確か、事故とかで記憶喪失になったときの保険の為に、寝ている間に自分の記憶が政府の管理する記憶データバンクに無線接続で強制的に保存されてるって話は聞いたことがあるけれど。でも、それだって政府も絶対にアクセスできない情報のはずだ。事件や事故が起きても遺族の許可がない限りは警察だって知ることのできないプライベートの塊……都市伝説の類だと思ってけれど、真実だったのか?
「サイトの名前は、キオクアーカイブス……」
このサイトの管理人は、ハッキングか何かで政府の記憶データバンクから記憶データを盗んでるのか? だとしたら……クラスメイトたちの記憶もそこにあるんだろうか。
例えば、愛実の記憶を盗み見て、彼女の誰にも知られたくない秘密を知れば……それを愛実のレビューで暴露してやれば……。
「面白い」
非合法といっても、つかまらなければいいだけのことだし、万一つかまったとしても、僕は終わっているんだ。なら、何も恐くない。
そうだ。終わっている僕は無敵だ。他の奴らも終わらせてやる。地獄へ引きずりこんでやる!
僕は、キオクアーカイブスへアクセスした。
サイトのトップには、ランキングトップ10が表示されており、国民的アイドルの入浴時の記憶がほぼ独占状態だ。
国民的アイドルの、入浴シーン……。サムネイルには、柔らかそうな白い素肌が表示されている。
「いや。見たいけれど……違う。今は、愛実だ。あの女の秘密を握るのが先だ」
鋼の意志で欲望を押さえつけると、僕は検索ボックスに坂本愛実と入力した。
「すごい……これが、坂本愛実の記憶……」
キオクアーカイブスには、坂本愛実がインプラント手術を受けた後から現在までの記憶が、全て一日単位でタイムライン上に並んでいた。
これを全て見ていたんじゃ、時間がいくらあっても足りない。とりあえず、一年単位で飛ばしてみよう。そうだな、まずはここ2,3年の記憶……中学生の彼女の記憶を見せてもらうか。
僕は、彼女の記憶をクリックした。
途端、目の前を桜の花びらが舞う。さっきまで夜だったはずなのに、青い空がどこまでも広がっていて、周りには中学生がいた。そうか、これは中学校の入学式の記憶か。
けれど、着ている制服が違うし校舎もうちの学校とは違う。別の中学校……かな?
「愛実ちゃん。入学おめでとう」
声がして振り返ると、母親らしき女性が優しく見つめていた。視覚だけじゃない。聴覚も。まるで自分が体験した出来事のように、記憶が現実として再現されているみたいだ。
「愛実ちゃんほら、手鏡。髪は大丈夫? もう中学生なんだから。ちゃんと自分でチェックしなくちゃね」
母親が愛実に小さな鏡を渡してくる。それを愛実(ぼく)が覗き込むと……。
「え? これが中学入学直後の坂本愛実? 超絶デブじゃん」
今の愛実とは似ても似つかない、まるで別人のように太った女の子がそこにいた。記憶を早送りしてみると、どうやら僕が住んでいる町には中1の二学期に引っ越してきて、それ以前の愛実はかなりのデブだったみたいだ。
さっそく秘密をゲット。
「これは使えるな。スクショを取って……保存、と」
今でこそ美少女坂本愛実の過去は、とんでもないデブだった! これは使える。さて、他に何かネタはないか……。いや、とりあえずこれだけで充分だろう。
僕はキオクアーカイブスを閉じると、レビューされた人間一覧から坂本愛実を探しだした。
「あった。さっそくこいつをスクショ付きで書き込んでやるか……」
時刻は午前8時10分。学校に登校している時間だろう。このタイミングなら、全校生徒の目に触れることになる。そうなれば、坂本愛実は破滅だ。
「よし……これで後は、反応を待つのみだな」
僕がこのレビューをしたことは相手にもクラスメイト全員にもわかることだが、僕の評価なんてすでにどん底だ。これ以上下がる余地も無い。
それからしばらくして……脳内でコールがした。相手は当の坂本愛実本人からだった。脳内インターフェイスを操作して電話に出ると、頭の中に声が響いてくる。
『どうして?』
電話に出ると第一声がそれだ。声が震えている。怒っているんだろうな。僕にとってはメシウマな事態なんだけど。
『どうしてキモいあんたが、昔の私のこと知ってるのよ!? 写真も全部削除したし、前いた町はすっごく遠いところなのに!!』
さて、どう答えよう。ざまぁ? ワロス? それとも低レビューさんチーッスかな。
『誰にもしられたくなかったのに……こんなに可愛い私が、醜いデブだったなんて、誰にも知られたくなかったのに!! お前のせいよ!! お前なんか……お前なんか、殺してやるから!!』
坂本愛実はヒステリックにそう叫ぶと、一方的に通話を切った。
「なんだよ、殺してやるって……僕のレビューなんてさっさと消してしまえばいいのに。時間が解決してくれるよ。どうせ今のお前は可愛いんだし。皆笑って流してくれるだろうさ。僕とは違うんだから……」
内心、殺してやるだなんていわれてすごく恐かった。が、これは相応の報いなのだ。因果応報、というやつなんだ。だから、悪いのは全部あいつ。坂本愛実だ。
ともあれ、目的は達成できた。別にこれで僕の評価が上がるわけじゃないし、学校にまた登校できる状態になったわけでもない。イジメの対象が僕から坂本愛実に移るかもしれないが、まあ。世の中そんなもんだろう。人間以上に残酷で薄情な生き物は、この世になんていないんだから。
そして翌日。
「さて、と。坂本愛実の評価はどうなったかな?」
坂本愛実のレビューを見ると、評価が全て取り下げられており、逆にマイナスイメージのレビューでいっぱいになっていた。
~坂本愛実さんのレビュー~
投稿者:ちか
愛実って前から虚言癖みたいなのあったからさあ、な~んかこいつおかしいとは思ってたんだけど……まあ、こういう過去があったんじゃ仕方ないのかなあ?
投稿者:通りすがりのクラスメイト
これってサギじゃん。じゃなかった、ブタだわwww
「いいざまだ」
こうも手のひら返しがすさまじいと、逆に清々しい。21世紀初頭から続くネットの闇っていうやつなのかもな。まあ、ああいう生意気な奴にはいい薬になるだろう。
「ん? 何だ? 安藤……理沙子?」
理沙子から着信があった。何だと思って出てみると――。
『何であんなレビュー書いたの!?』
「え? 急に……何」
『愛実が! 学校着てないの!! 愛実、昨日授業中ずっと泣いてた。今朝は大丈夫ってメールが着てたのに、学校に着てないの!』
「え? どうせ、サボりでしょ」
『愛実、すっごく真面目な子なんだよ!? 確かに今回のは悪ふざけが過ぎちゃって……木下くんに悪いことしちゃったって、ずっと後悔してたんだから』
「そんなの、信じられないよ。後悔すれば許されるのかよ!? 僕はもう……学校に行けないんだ……人生、終わったんだ」
『終わってなんかいない! 私は……少なくともあなたの味方だから……だから、お願い。もうこれ以上誰かを傷付けて喜ばないで……それじゃ誰も幸せになんて、なれないよ。愛実ね、愛実も……坂本くんと同じだって、泣いてた。同じ事を経験したことがあるのに、経験があるのにって後悔してた』
「……うるさいよ。誰も僕のことなんか、気にしてないんだ。それにあいつ、僕のこと殺すって言ってたぞ! むしろ憎んでるんじゃないか!」
『それは違うよ! あの時は確かに怒ってたけど、気付いたんだよ。だから今は違うの! お願い……愛実を信じてあげて。許してあげて』
「うるさいよ」
強引に通話を打ち切ると、僕はベッドの上に転がった。
同じ事を経験したことがある……か。本当かよ。いや、待てよ。確かめる方法がある。
「キオクアーカイブス……」
僕は、キオクアーカイブスへアクセスすると、検索ボックスに坂本愛実と入力した。すっ飛ばした中学1年の一学期……そこに答えがあるんじゃないか。
そして僕は、それを見てしまった。聞いてしまった。知ってしまった。
「デブが通りまーす! 付近の方は地震にご注意くださーい!」
坂本愛実は、太っていることを理由に……いじめられていた。
「デブって、酸素の消費量もはんぱねーよな。息苦しいと思ったら、坂本いたのかよー」
その記憶は視覚と聴覚だけなく……心も。苦しんでいた愛実の感情までもが再現されてしまって……僕はいつの間にか泣いていた。
胸の奥が痛い。息が苦しい。目の前が涙で半透明になって叫びそうになった。
いじめられていた坂本は、必死の思いでやせて、今の坂本に生まれ変わったのだ。そして、僕が住む町に引っ越してきて新しい自分を始めた。
「ごめん……坂本……僕が……何にも知らずに……」
キオクアーカイブスを見るのをやめ現実に帰ってくると、僕はしばらく放心してしまっていた。
明日謝りに行ったほうがいいかな。いや、今日昼から……。
「何言ってるんだよ、僕。今からだ。今から、坂本に謝りに行こう」
手早く着替えをすませると、僕は坂本愛実の自宅へ向かった。
キオクアーカイブスは、ただ他人の記憶をのぞき見るだけじゃない。他人の心も、思いも理解できる……要は、使い方次第なんだ。
僕は、坂本愛実の過去をいたずらにさらけだした。いけないことだ。安藤理沙子は僕の味方になってくれると言った。まだ希望はあるんだ。
「謝ろう。坂本愛実に。クラスのみんなとも……話をしよう」
もちろん、坂本だって悪い。僕のレビューをいたずらにさらけ出して笑いものにした。いじめの原因を作ったのはやはりあいつである以上、僕の中の恨みは消えない。
でも、それでどうなるっていうんだ。安藤理沙子の言うとおり、互いに不幸になった先に、何があるっていうんだよ。
「だから僕は、お前に会いに行くよ。坂本」
坂本の自宅に付くと、僕はまっすぐにインターフォンを押していた。するとすぐに母親が出てきたので、僕は頭を下げた。
「あら? 愛実ちゃんのクラスメイトの子かしら」
正直、僕はコミュ力が低い。その上、クラスの女子の家に行くだなんてベリーハードすぎる難易度だけど……でも。
「はい。木下です。その、愛実さんはいますか?」
「いいえ。昨日から帰ってきてなくて……インプラントのGPSもオフになってるみたいで、どこにいるかわからないのよ。昨日、友達の家に泊まるってメールだけ送ってきて……。ねえ、愛実ちゃんがどこにいるかわかる?」
「いえ、僕は何も……」
「そう。ごめんなさいね。また愛実ちゃんが帰ってきたときに出直してくれるかしら」
坂本の母親はそれだけ言って、家の中に戻っていった。
昨日から戻っていない? どういうことだ。理沙子は『今朝は大丈夫ってメールが着てた』とさっき言っていった。これは一度、理沙子に連絡を入れたほうがいいのかもしれない。
そう思ったが、理沙子にも電話がつながらない。
「……しかたがない。学校に行ってみるか」
一ヶ月ぶりに見た中学の校舎は、どこか懐かしさを感じさせた。たった一ヶ月だけだっていうのに、なんとも妙な気分だ。時刻は11時を過ぎたところで、今は授業中なのかグラウンドには誰もいない。
「この時間は確か……数学だったっけ」
時間割を思い出しながらグラウンドの土をゆっくり踏みしめていると、ふと屋上に誰かいるのを感じた。
「坂本……?」
遠目からではっきりと断言できないけれど、屋上に坂本愛実がいる。一体何故?
「まさか……飛び降りるつもりか?」
坂本はフェンスをよじ登ると、前を見たまま動きを止めた。
「やめろ。やめろ、坂本!!」
僕の声が届かないのか、それとも聞こえていてあえて無視をしているのか……とにかく、今はこんな所で眺めている場合じゃない。
「冗談じゃないぞ!!」
僕は急いで校舎に入ると、一目散に屋上を目指した。
冗談じゃない。僕のせいで飛び降り自殺なんて、やめてくれよ。
「まだ、謝ってもいないのに!」
階段を駆け上がる。久しぶりの運動に体が驚いているのか、一段一段が非常に重い。
「まだ、謝らせてもいないのに!」
ようやく屋上に着いたころにはもうすでに息は絶え絶えで、今にも倒れそうだった。
「坂本!」
坂本が立っていた位置に目をやると、彼女の姿はどこにもない。おそるおそるグラウンドを見下ろすと……。
これが青春小説かラブコメライトノベルなら、坂本はすんでのところで助かって、僕と激しい口論をした末に仲直りして、恋が始まるのかもしれない。
「坂本……」
だがこれは、現実だ。
「なんでだよ……」
坂本愛実は、死んでいた。
「どうして、こんな、ことに」
僕のせいだ。僕が、復讐にあいつの過去をさらけ出しさえしなければ……あいつが死ぬことなんて、なかった。
「僕も……死ぬべきなのかな」
グラウンドの地面に頭から落ちた坂本愛実。彼女の体は壊れた人形のように関節があらぬ方向へ曲がっており、骨が皮膚を破って突き出ていた。
あれをやったのは、僕も同然だ。なら、僕は……。
僕は、ゆっくりとフェンスに手をかけた。そして、登ろうとして背中に誰かが抱きついてきて後ろに引っ張られた。
「だめえ!! 死んじゃだめえ!!」
「な、なんだよ!? 死なせてくれよ! 坂本を殺したのは僕なんだ!」
理沙子だった。安藤理沙子が必死になって僕に抱きついてくる。
「そんなことして、愛実は喜ばないよ! 木下くんのお母さんだって、すっごく悲しむよ!?」
「そんなの関係ない!」
「私だって、女だからなんとなくわかるよ! もし自分がお腹を痛めて産んだ子供が死んだら、悲しいどころじゃないよ、きっと!!」
「でも、僕は……坂本にひどいことをしたんだ。僕が、僕が悪いんだ!」
「自分を責めないで、木下くん。お願い……愛実のことは、みんなのせいだよ。みんながレビューでひどいこと書いたり、評価を下げたりしたから……愛実、人一倍傷付きやすい子だから……」
「僕は……どうしたらいいんだよ?」
理沙子は僕を優しく包み込むと、耳元でささやいた。
「先生に、本当のことを話そう? 大丈夫。私が木下くんの側にいるから……だから、お願い。1人で抱え込まないで」
暖かかった。理沙子の体も、理沙子の言葉も。
――人って、こんなに暖かいんだ。
「うん……ありがとう」
それから10年の歳月が流れた。
「愛実。久しぶり。今日はね、報告があって来たの」
理沙子は坂本の墓に花を供えると、優しく語りかけた。坂本の件はすでに僕にとっても理沙子にとっても過去の記憶だ。
「私達、もうすぐ結婚するの」
理沙子が少し照れながら僕の腕に絡み付いてくる。そう、僕と理沙子はあの出来事以来付き合い始めて、24歳の誕生日を目前に籍を入れることになった。
「愛実の分も、幸せに生きていくから。だから、天国で見守っていてね」
手を合わせ、祈りを捧げる理沙子にならい僕も瞳を閉じる。
もう10年。いや……ようやく、10年か。
「そろそろ行こうか。今日、お義父さんたちと食事の予定だろ?」
「うん。愛実。またね。今度は……そうだね。私と彼の赤ちゃんが産まれたら、また来るね」
理沙子は僕の手を握ってきた。強く、それでいて優しく、暖かく。
「あ、ごめんなさい。ちょっとおトイレ」
「うん」
いざ発進というところで、理沙子は車を降りた。車のハンドルを握りながらこれから先のことを考えつつ、先に理沙子の誕生日というイベントが待ち構えているのを思い出し、頭を悩ませる。
「ああ、そうだ。キオクアーカイブスだ」
理沙子の記憶を見せてもらおう。そうすれば今彼女が一番欲しい物がわかるはず。
僕は、久しぶりにキオクアーカイブスへアクセスした。
サイトのトップには、ランキングトップ10が表示されており、国民的アイドルの入浴時の記憶がほぼ独占状態だ。
「10年経っても変わらないもんだな。まあ今は、理沙子だ。彼女が欲しがっているものを知るのが先だ」
鋼の意志で欲望を押さえつけると、僕は検索ボックスに安藤理沙子と入力した。
「理沙子の記憶……か」
キオクアーカイブスには、理沙子がインプラント手術を受けた後から現在までの記憶が、全てタイムライン上に並んでいた。
懐かしい。中学生の頃の記憶があった。当然のことながら、坂本愛実が死んだあの日の記憶もある。
坂本愛実が死んだあの日。理沙子は僕を守ってくれた。あの時の理沙子の言葉があったからこそ、僕はここにいる。僕は、つい懐かしくなってあの日の理沙子の記憶をのぞいて見たくなった。
あの時、理沙子はどういう気持ちだったんだろう。純粋な興味があった。
僕は、彼女の記憶をクリックした。
すると、急に頭の中をどす黒い何かが這い回るように、1つの単語が思考を埋め尽くした。
死ね。
愛実、死ね。
同時に、視界があの日の屋上を写し、目の前に坂本愛実の後姿があった。
理沙子はゆっくり坂本の背中に近づくと……彼女を。彼女を。
――突き落とした。
「坂本!」
背後から少年の声、おそらく僕だ。僕の声。
理沙子は屋上に僕がやって来た事に気付くと、すぐに物陰に隠れ逃げ出すタイミングを計っていた。けれど、自殺しようとした僕を見てプランを変えたのだ。
いや、待てよ! 何なんだ、この記憶!! これじゃ、まるで理沙子が愛実を……。いや。これはきっと、何かの間違いのはずだ。
僕は、少し理沙子の記憶をさかのぼってみた。
中学一年の3学期。愛実が男子に告白された。けれど、愛実はあっさり断った。それを理沙子が見たとき……胸の奥から殺意が沸いた。理沙子にとって、その男子は初恋の相手で先日告白した相手だったからだ。
自分が思いを寄せた男子を、こともなげに冷たい言葉で罵倒し、ふった。理沙子の中でその日以来、坂本愛実は復讐の対象となった。
そして、2年生になって始業式を終えてすぐ。
「ねー、理沙子。初対面の相手の第一印象って、何で決まるか解る?」
理沙子は坂本愛実と同じクラスになった。
「んー。やっぱ顔? 声? あとはまあ性格……かな?」
運命だと理沙子は思った。復讐をする機会が訪れたのだ。けれど、自分の手は汚したくない。そこで目をつけたのが……。
「うわ! こいつ、きも!!」
「ほんとだー! たった1つのレビューがこれって、人としてどうよ?」
――僕だった。
僕のレビューをネタにいじめ、クラスのいじめの標的に仕立て上げる。案の定、僕はクラスみんなから総攻撃をくらい、不登校。さらにそこにキオクアーカイブスのURLを、捨てメールアドレスで送りつけてきた。
そして……坂本愛実が飛び降りた理由を僕のレビューのせいにして、自殺に見せかけて……屋上から突き落とした。
「ごめんねー。ちょっとコンビニまでよって遅くなっちゃった」
気が付くと、理沙子が助手席に座っていた。
「あ、ああ! いや、いいんだよ。僕もちょっとネットで動画見てたから」
「ふーん。エッチなのじゃないでしょうね?」
「いや、まさか……はは」
理沙子が、坂本愛実を殺した。しかも、僕にそのお膳立てをさせて。
「ねえ? さっきから顔色悪いけれど大丈夫?」
「え? いや。大丈夫」
顔に出てしまっていたのか、僕の額を嫌な汗が滑り落ちる。
「あ、やだ。もうこんな時間じゃない!? 急がないとお父さんたち、怒っちゃうよ」
「あ、ああ。そうだな」
僕は車を発進させた。墓地の駐車場を出てしばらくすると、理沙子が顔を近づけてきた。
「なあ、コンビニまで何買いに行ってたんだ?」
「んー? ナイショ。それよりさあ」
「ん?」
「キオクアーカイブスって、知ってる?」
理沙子は笑顔でそう尋ねてきた。
「いや、知らないな。なんだよ、動画サイトか何か?」
電撃が背中を走り抜けるような衝撃を感じつつ、平静を装って僕は返す。
「そっかー、知らないんだ。じゃあ……どうして」
理沙子は耳に甘噛みでもするのかと思うと、そっと息を吐くように一言だけ発した。
「どうして私のキオクをのぞいたの?」
「え」
どういいわけを返そうか視線をさまよわせていると、足元に一枚レシートが落ちているのを発見する。
日付と時刻から、さっき理沙子が買った物だとするにわかった。そこに記載されていたのは、たった一個の……果物ナイフ。
「そこ曲がって。近道なの」
彼女に言われた通り脇道にそれ、狭い一方通行の路地に入る。すると、どこまでも細く暗い道が目の前に伸びていた。
「このへんね、自殺の名所なんだって」
ふと彼女を見ると、笑っていた。
~終~
人間レビュー 岡村 としあき @toufuman
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