第56話 越後高田

 明治2年6月。真純は、箱館を出港する船の上にいた。土方が眠る箱館が遠ざかっていく。

(土方さん…今までありがとうございました。近藤さんや沖田さん達に会えましたか…。)

 高松医師は、高田行きを心配したが了承してくれた。船のことは商人の佐野専左衛門に協力してもらい、なんとか高田藩・直江津港(新潟県)まで行く船に乗り込むことが出来た。

 直江津港に降り立つと、海の風が心地いい。真純は通行人に高田への行き方を尋ね、関川沿いを足早に歩く。高田は高田藩領内にあり、徳川譜代の名門榊原式部太輔が統治していた。長旅の疲れなどどこへやら、斎藤が居るかもしれないと思うと休んでなど居られなかった。数時間ほど歩くと、外濠の真ん中にそびえる高田城が見えてきた。

 真純は城下町に出て、茶屋で一休みする。さすがに歩き続けてどっと疲れが押し寄せた。だんごとお茶を運んできた店員に会津藩士のことを尋ねると「寺町」という、寺が混在している地区に会津藩士が謹慎していると聞き、真純はだんごを口に押し込み茶屋を後にした。

 高田城から西に行くと、町名にふさわしいほどに寺が建ち並んでいる。真純は、会津藩士の本部になっている「越後高田掛所」に向かった。教えられたとおりに行き、荘厳な山門の前に立つ。

(この先に斎藤さんががいるかもしれない。)

 急に緊張してきた。

 越後高田掛所(東本願寺高田別院)には、会津側の責任者である上田学太輔がいた。上田との面会を申し出ると、少しして中へ通された。

 廊下を歩いていると、会津藩士たちが雑談したり、横になっていたり、囲碁をしていたりと

謹慎のイメージとは違った過ごし方をしている。珍しい女の来客を、藩士達は舐めるように見ている。

 応接の間に案内された真純は、あらためて挨拶した。

「あの、斎…じゃなくて山口次郎さんという方はここにいませんか。」

「山口??あんたは一体何者かね。どこから来た。」

「私は…新撰組で土方さんの小姓をしていました。」

 真純はこれまで新撰組と行動を共にしてきたことを打ち明けた。上田は時折驚きの表情を浮かべながら、真純の話を黙って聞いていた。

「その山口という男だが―」

「斎藤さ…山口さんは、生きてるんですね!」

 真純は思わず、声を張り上げる。

「今は、一瀬伝八と名乗り、新撰組の隊士としての身分を隠している。一部の人間しかそのことは知らん。」

 真純は、斎藤が置かれている状況をなんとなく察した。新政府軍に新撰組の斎藤一の名は知られており、事を荒立てないよう名前を変えたのだろう。

「今、一瀬さんは…。」

「ここにはおらん。あいつは脱走した。」

「脱走って、あの斎…一瀬さんが…?」

 真純の知る斎藤像からは、脱走とは想像もつかなかった。

「もともと無口で何を考えているかわからん男だが、高田に来てからも木刀を振り回してばかだった。何か思いつめていることでもあったのだろう。」

 斎藤は会津に留まり、どう戦い、どんな思いで降伏を受け入れ、生き延びたのか。真純は、そこにただならぬ斎藤の苦悩があった気がしてならなかった。

「いつ頃、一瀬さんは脱走したのですか。」

「もうひと月くらいまえだ。確か・・・4月に入った頃だったか。」

(斎藤さんは脱走して、箱館に向かったのかもしれない。でも、私達の前に姿を現すことはなかった。箱館に向かう途中何かあったのかな・・・。それか、まったく別のところに向かったのか。斎藤さん、どこにいるんですか・・・。)

 考えられるのは会津だが、今の会津は明治政府が占領し松平容保も家臣たちも謹慎のため江戸にいる。

「上田様、江戸に行くにはどの道を通ればよろしいでしょうか。」


 明治に改元されてから、江戸のことは「東京」というようになった。東京という言葉の響きに懐かしさ感じ、真純は足取りが速くなる。昨晩は上田学太輔の厚意により越後高田掛所に宿泊させてもらい、疲労がだいぶ回復した。

 長旅では男装に戻り、出発した。高田から東京までは「北国街道」を南下し、長野の善光寺を経由して追分宿まで行く。追分宿からは中山道に合流し東京まで何とか行ける。

 道は歩きやすく治安もよかったが、川に差し掛かると舟を探さねばならず、出費も重なった。山中を歩いている時はオオカミに追いかけられそうになったり、旅籠に泊まった時は男装がばれそうになったりと真純は命からがらな思いもした。しかし、高田を出て20日ほどたった頃、無事東京に着いた。真純は途中、板橋宿で近藤が斬首された刑場を訪れ、手を合わせた。

(近藤さん。新撰組は最後まで立派に戦いましたよ。)

 それから真純は中山道を日本橋方面へ歩を進める。上野の山の近くを通ったとき、原田のことを思い出す。以前ここは、彰義隊の戦場になったところだ。原田がこの辺りで戦ったかは定かではないが、真純はここでも手を合わせた。

 やがて神田川に架かる橋を渡ろうとした時、ふとあることを思い出す。

「江戸に住んでいた頃、よくここに来ていた。」

―隅田川見ながら言った斎藤の言葉。

 真純は、まっすぐ歩いていた道を曲がった。この先に隅田川が流れている。

 隅田川を一望できる川堤に立つといろんな思いがこみ上げてきた。今までは、自分の後ろ盾になってくれる新選組がいたが、これから一人で生きていかねばならない。

(斎藤さんは本当に東京に来ているのかな・・・。会津藩士が収容されているところにいけば会えるかなぁ。)

 真純が現代で見たことがある隅田川の桜並木は、今目の前にある桜と同じものだろうか。桜の枝が、緑の葉を茂らせて風に揺れていた。

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