第54話 決戦
そして、5月。新政府軍が迫り来る緊迫した空気が、箱館市中を覆っていた。土方は榎本らと会議を重ね、弁天台場の新撰組に有川(有川埠頭。五稜郭駅より西)への出陣を命じ、他の新撰組や彰義隊・遊撃隊などの旧幕府軍は七重浜を襲撃し、箱館湾の海戦が始まった。新政府軍は二股口を突破し大野村(今の新函館北斗近く)まで進軍していた。
そんな中迎えた5月5日。土方の誕生日だったが、土方があまりに険しい表情をしているので祝いの言葉を述べるどころではなかった。
土方が戦況を確認し、市中を動き回って五稜郭に戻ってきたのは夜の更けて来た頃だった。真純が部屋にお茶を持っていくと、椅子に腰掛け腕を組んで目を閉じている。
「お前も疲れただろう。俺についてくる必要はない。専左衛門さんのところにいればいい。」
土方が机の上の湯のみに手を伸ばすと、カステラが置かれていた。
「俺は別に甘いものなど欲しくないぞ。」
「お正月に、土方さんの誕生日会をするって言ったんですけど、いつ戦いが始まるかわからない状況なので、ささやかですがカステラとお茶でお祝いしようと思って。」
真純は佐野専左衛門の知り合いから、カステラを分けてもらった。
やれやれといった顔で土方はカステラを口に運ぶ。
「未来ではこんなふうに誕生日というものを祝うのか。」
「本当はもっと豪華ですけどね。それと・・・これは誕生日プ・・・贈り物です。」
真純は懐から手作りのお守りを土方に渡した。お守りは表に蛙の刺繍がしてある。真純はこの日のために、布と糸と紐を駆使して作ってきた。
「土方さん、こんな時ですけど・・・おめでとうございます。この時代に来て、土方さんと出会えた奇跡に感謝しています。」
「何だ、急にあらたまって。」
と言いながら土方はまじまじとお守りを見つめる。
「この緑色の熊か・・・。」
「それ、蛙なんですけど・・・。」
土方は思わず吹き出す。
「『無事に帰る』意味をこめて、蛙です。お裁縫は昔から苦手で・・・」
「いや、心がこもっている。ありがとよ。」
土方の優しさに満ちた言葉に、真純は泣きそうになった。
「真純、お前の誕生日はいつだ。」
「・・・9月です。」
「そうか・・・祝ってやれるといいがな。」
土方が遠くを見る目をしてつぶやいた。
それから3日後、戦闘の合間を縫って、土方は真純を連れて箱館病院に小野権之丞を訪ねた。箱館病院は五稜郭と目と鼻の先にある。小野権之丞というのはもと会津藩士で、榎本と共に蝦夷に渡り、箱館病院の事務長になった。病院の入り口で、偶然土方と小野が顔を合わせる。
「ご無沙汰しております、小野さん」
「土方くん、元気だったか?そちらは?」
小野は真純をじろっと見る。
「綾部真純と申します。」
「小野さん、その後の会津のこと、何か聞いていますか。」
「自害した者、逃げる途中阿賀川に落ちて溺れ死んだ者なども多かったらしい。藩士は捕虜となって江戸と越後高田で謹慎だ。」
「その中に斎藤…いや、山口次郎はいませんでしたか。」
「会津新撰組の隊長の山口くんか。会津で新撰組は壊滅だと聞いたきりだからなぁ。」
「そうですか…。」
小野は土方と真純を奥の部屋に入るよう促す。土方は小野と二人で話があるというので、真純は入院中の新撰組の隊士や旧幕軍の兵士を見舞う。新政府軍との決戦で、これから病院内はもっとけが人であふれかえることになる。
帰り際、土方が真純に言う。
「真純…戦が始まるのは時間の問題だ。何かあったら箱館病院に行け、いいな。あの病院の院長は、敵味方関係なくけが人を受け入れると言っている。あそこにいけば、命を狙われることはないだろう。」
真純は黙って聞いていた。迫り来るこの決戦こそ、目に焼きついている土方の最期だ。
次の日、新政府軍の総攻撃を前に旧幕府幹部が武蔵野楼に集まり、酒宴が催された。酒宴といっても別杯を酌み交わしていた。しかし、土方は早々に宴を切り上げ控え、真純が待っている控えの部屋に戻った。
「榎本さん達といなくてよかったんですか。」
「あぁ。俺は、お前と話がしたくて抜けてきた。」
土方は真純が入れたお茶を口に運ぶ。
「お前がいた未来とやらの話を、聞かせてくれ。」
今、目の前にいる土方は別人のようだ。鬼の副長と呼ばれた面影はまるでなく、達観の境地にいる。ここで真純が出陣を引き止め、降伏を勧めたとしても土方は受け入れないだろう。真純も覚悟を決めて、未来の話を始める。150年後の日本の生活、洋服、社会、食べ物、思想、外交問題、原発や少子化問題など現代の日本の様子を聞かせた。この箱館も、150年後は美しい夜景で有名な観光地になっていることも話した。土方は好奇心旺盛に聞き入っている。
「俺はこんなところで何をやっているんだろうな・・・。薩長のやつらと戦争してる場合か?海の向こうにはもっと脅威になる国があって、そいつらにどう立ち向かっていくか考えるべきだな・・・。だが、目前にせまる敵に尻尾を巻くのも俺自身が許さねぇんだ。」
「…分かっています。」
「真純、お前は俺の最期を知っているんだろう。だから、あの時も会津に残らず俺と庄内に向かった。」
真純はゆっくりうなずく。
「私は、沖田さんが病で亡くなること、土方さんが箱館へ来ること……そのことだけは知っていました。沖田さんの病気は治せなかったけど、土方さんのことは何としても阻止したいってずっと思っていました。でも、そばで働かせていただいて、土方さんはいつも戦いに挑み続ける人だとわかりました。だから、明日も…止めません。」
「お前が俺の士気を鼓舞してきたんだ。」
土方の口元が緩む。
「土方さん、150年後の日本で新撰組はとても人気があるんですよ。ドラマ…お芝居にもなるし、近藤さんや土方さん、沖田さんも有名人です。」
「人斬り集団で逆賊よばわりされた新撰組だぞ。未来の人間は物好きなんだな。」
「それは、新撰組の皆さんが『誠』の心を持っているからです。」
「…お前もだ。お前の名前も『真』(まこと)と読むだろう。」
真純は土方の言葉に、自分が少しは新撰組の一員として認められたような気がした。
「土方さんは、やっぱりすごく強いです。」
「なんだ急に。俺はそんな立派人間じゃねぇ。…お前との約束も守ってやれてないしな。」
「約束…ですか?」
「以前、お前を貰い受けると啖呵切った。」
「その言葉だけで充分です。あの時は土方さんのおかげで、新撰組に戻ってこれたんですから。」
「俺じゃなくてもあんたならいい相手がいると思ったんだが…」
「この格好では無理ですね。」
真純は自分の男装姿を見て、自虐的に言う。
「真純、お前がこの時代に来て、どれくらい立つ。」
「6年です。」
「そんなに経つか…。お前が未来で聞いた歴史と、この時代に来て見届けたものは同じか。」
「はい…おそらく。」
真純がおぼろげな記憶にある坂本龍馬の暗殺や薩長同盟、沖田の病死は確かに歴史どおりだった。
「いいんだ、それで。お前は歴史が変わるかどうかやってみるって言ってたが、変わらないほうがいい。いや、歴史なんてのはそう簡単には動かせねぇものなんだろうよ。未来のお前のためにも、その方がいい。」
「土方さん・・・。」
「そろそろ帰るか。」
土方と真純は馬に乗り、五稜郭へと向かう。いつも真純が土方に同行する時は徒歩だが、この日は土方が馬に乗るよう勧めてくれた。
「そう前屈みになるな。もっと体を俺に密着させろ。」
土方が真純の肩を後方へ引き寄せ、手綱を握る。土方の息遣い、体温までが背中に伝わり、真純の心臓が激しく鼓動する音が伝わってしまう気がした。
「どうした。」
「いや、その・・・なんだか・・・すみません。」
「緊張しているのか?戦に出る度胸はあるが、男には弱いのか。」
「そ、そりゃぁ、土方さんが真後ろにいるんですから!」
土方は馬をゆっくり走らせ、しばらく沈黙が続く。
(土方さんが明日死ぬかもしれない。私はその事実を受け止められる?さっき、明日戦いに行くのを止めないと言ってしまったけど、やっぱり土方さんには生きてて欲しい。歴史を変えてしまいたい。)
関門を通り抜けた時、真純の心に重い石が落ちてきた。関門を造っている木の柵が、土方の最期を思い起こさせる。
「土方さん、明日は一本木関門には行かないでください。」
土方は、なぜかとは聞かない。
「・・・・分かった。…と言いたいところだがその約束はできない。俺は陸軍奉行並の地位にあり、新撰組の隊長だ。何があろうと、部下たちを最後まで指揮する。」
土方ならそう言うだろうと思っていた。
「せめて、関門ではどうか気をつけてください。お願いします。」
「あぁ。」
真純の鼻の奥がつんとした。ここで涙を見せてはならない。口をつぐんで鼻に力を入れてる顔を土方に見られずに済んだのは幸いだと思ったが―
「そんな顔するな。」
土方が首を傾げて真純を見ていた。次の瞬間、土方の腕が真純を強く包み込む。
「真純、俺は死に場所を探していた時もあったが、今はこれからも生き続けたいと思っている。戦い抜いて敗れたとしても生き抜いてみせる。お前の言う、未来とやらを生きてみたいんだ。」
真純は息を殺して泣けてくるのをこらえた。心地よい馬の蹄の音が静かな夜道に響いていた。
五稜郭に着いて、土方が役宅に入っていくのを真純は見送った。
「おやすみなさい。」
真純が自分の部屋に戻ろうとすると、
「真純、もし俺が――…。いや、なんでもない。お前も早く休め。」
土方は踵を返して中へ去ってしまった。
真純は自分の部屋へ戻りながら考え込む。
(とにかく、土方を一人にしないことだ。箱舘の地図はほぼ頭に入っている。応急処置のできる道具をそろえておく。もし・・・自分が盾になって死んだとしても、夢が終わって現代の生活に戻れるかもしれない。土方が生きていられるならそれでもいい。)
その日の未明、新政府軍が箱館山の裏から総攻撃を開始した。五稜郭にいた旧幕兵士たちは砲撃の音とともに動き出す。土方は、榎本武揚や大鳥圭介らと戦況を確認し、兵が配置されている千代ヶ岡陣屋(市電五稜郭公園前付近、千代田公園)へ向かう。
土方が馬に足を駆けると、
「土方さん!」
「お前はここで待ってろ。・・・もしもの時は箱館病院へ行け。」
「私も一緒に行かせてください。」
「だめだ、お前はここにいろ。隊長命令だ。」
「しかし―」
「待っているやつがいないと、帰ってこれないだろう・・・。大丈夫だ、俺はこれを持っている。」
土方が懐から出したのは真純が渡したお守りだった。
「分かりました。・・・土方さん、特に関門ではお気をつけて。必ず帰ってきてください。」
土方は馬に乗り、駆け出した。
ひとまず土方を見送ったが、こんな時におとなしく待っているなんて無理な話だ。真純も鬼神丸と最小限の荷物を持ち、土方の後を追った。
真純が息を切らして千代ヶ岡陣屋にたどり着くと、土方の姿はなかった。陣屋を警備する兵士に聞いたところ、土方は千代ヶ岡陣屋に着くやいなや、弁天台場から陣屋に駆けつけた隊士に遭遇した。箱館山背後などに布陣していた新撰組が、新政府軍の軍勢に押され弁天台場(函館市電、函館どっく付近)に敗走したという。弁天台場に立て篭もっている隊士達を救出するためすぐに一本木関門へ向かった。
「土方さんが、一本木関門へ?」
休む時間も惜しんで、真純も一本木関門へ駆け出した。
(大丈夫・・・土方さんも関門では気をつけてるはず。)
一本木関門には、市内から敗走してきた額兵隊や伝習士官隊など訳500人の旧幕軍兵士達が集結していた。その中に遠くから土方の姿を見つけることができた。
その時、ドーンという砲弾の音が一帯に響き渡った。関門に集まっていた兵士達が船着場の方を見やると、艦船が炎上している。旧幕海軍「幡竜」の砲弾が新政府軍「朝陽」艦体の弾薬庫に命中したのだ。一瞬静まっていた空気が歓声に沸いた。
「この機を逃すな!我この柵にありて、退く者を斬る!」
土方が叫ぶ。兵士達がそれに呼応し、箱館市内へ攻撃を開始した。旧幕軍は反撃し新政府軍を一時退却させ、土方一隊も進撃し、異国橋付近(函館市電十字街停留所付近)まで攻め入る。
(一本木関門を・・・抜けた)
土方が関門で銃弾に襲われることは、ひとまず回避できた。しかし油断はできない。真純は砲弾と敵兵を避けながら、異国橋へと猛ダッシュした。
民家の軒下に隠れて前方の土方を探した瞬間―、一発の銃声音が響き渡った。
「土方さん!?」
真純は茫然自失のまま、流れ弾や敵兵の刀などおかまいなしに土方を探した。少し歩くと見覚えのある隊士が路地裏に入っていくのを見かけ、追いかけた。
「綾部くん!!」
土方の側近の一人である沢忠助という隊士が真純に声をかけた。
土方が目を閉じ苦しそうに倒れている。腹部を押さえている手が真っ赤だ。真純は体が震え、立ち尽くしたままだった。
「綾部君、隊長の手当てをしてくれ!」
真純は我に返り、土方の軍服をまくりあげ、止血する。
「土方さん、しっかりしてください。聞こえますか?土方さん!!」
土方がゆっくりと薄目を開けた。
「・・・やられたな。」
「土方さん、大丈夫です。やられたらやりかえしましょう。」
土方は息を荒くし、声もかぼそくなっていく。
「あぁ・・・。こんな傷・・・すぐ治る。ここで死ぬわけには・・・いかない。お前を・・・一人には・・・させない。」
目を閉じた土方の反応はない。真純は土方の呼吸と心臓を確かめるが、息をしている気配はなかった。
「土方さん!!」
しかし土方は黙ったままだ。真純は思わず心臓マッサージをし、人工呼吸をする。
「綾部君、君はなんて事をするんだ!」
「こうすれば・・・心臓が動きだすこともあるんです。お願いです…やらせてください。」
真純は手を止めない。
真純の真剣な眼差しに沢は、
「わかった…隊長のことはあんたに任せる。だが、なんとしてでも新撰組局長の首を守らねばならん。」
その時、新政府軍の兵士3人が真純たちのもとへ押し寄せた。
「そこで何をしている!」
「俺がここはなんとかする。」
沢が抜刀して敵に立ち向かっていく。しかし沢一人に敵は3人。そのうちの一人は、真純の不可解な行動を不審に思い、沢の後ろに回って真純のもとへ行く。
「綾部君!」
真純は沢の声が聞こえず、一心不乱にマッサージを続けた。人工呼吸を異様に思った敵兵は横たわっている男の姿を見て、刀を抜く。
「敵将の首、討ち取ったり!!」
真純は咄嗟に土方の上半身に覆い被さる。刀が真純の背中を斬り込む。
真純は痛みに勝る怒りを感じていた。後ろを振り向き、鬼のような形相で相手に睨みをきかせる。
「邪魔するんじゃねぇ!!」
全身から吐き出た怒声に敵兵はひるむが、また刀を振り落とそうとした時、突然うめき声をあげて倒れる。
「綾部君、大丈夫か!」
沢とともに、新選組隊士の立川主税が駆けつける。立川も土方の側近の一人である。
真純は朦朧としながらも、手の動きを止めない。
「これくらい…どうってことない…です。土方さんを失うことに比べたら…。」
「もういいだろう・・・綾部君。」
沢は綾部の手を止めるが、真純はその手をどかし、マッサージを続ける。土方はなかなか息を吹き返さない。
「お願い、目を開けてください、土方さん!!未来を生きるって、言ってましたよね・・・」
額から汗が流れ、真純は息が荒くなり手の動きがゆっくりになる。
「よく、隊長の首を守ってくれた。」
立川が真純の肩に手をやり、ねぎらった。やがて、五稜郭から土方の遺体を運ぶ荷車が到着した。真純も最後まで遺体に付き添おうと、荷車とともに歩き出した。
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