第52話 蝦夷地

 榎本や土方は新政府軍への徹底抗戦を訴えるが、仙台藩はこれを拒否した。旧幕府軍や新撰組は、蝦夷地へ向かい新政府軍を迎え撃つために準備を進めていた。

 蝦夷地へ向かう日を前に土方は隊士達を集め、希望者には離隊を許可した。土方は松本良順と再会し、蝦夷に向かうことを告げる。松本は反対したが、土方の考えは変わらなかった。

「綾部君、君も蝦夷へ行くつもりかね。」

「はい。」

 松本はため息をつく。

「土方君は君を連れて行くと言っていた。君が新撰組の一員だからだと。」

「その通りです。」

「何も女子の身で男の道を行くことなどなかろう。」

「松本先生のような方が、男だからとか女子だからとかおっしゃるんですか?これからは男女同等に働くんですよ。女だって戦力にならなきゃ行けない時代が来るんです。実際、会津では女性が戦ってたそうじゃないですか。」

「ん…まぁ…そうだがなぁ。」

「真純、松本先生はあんたの父親のつもりで言ってるんだ。」

 突然土方が現れ、松本は頭をかいて照れた笑いをする。

「土方さん、いくらなんでも父親だなんて、先生はもう少しお若いですよ。『兄上』にしていただかないと。」

 3人は大きな声で笑いその場が明るくなる。 

「綾部君、土方君を頼むよ。」

「松本先生、それは逆じゃないですか。」

 土方が言う。

「いや、綾部君の言うとおり、女子の方が立派な戦力になるかもしれん。」

 その1週間後の1868年(明治元年)9月23日、会津藩は降伏。松本良順は土方たちが仙台を離れてから江戸に戻り、投獄した。


 10月10日、土方率いる新撰組は大江丸で蝦夷へ向けて北上し、10日後旧幕艦隊は蝦夷の鷲ノ木に到着する。ここから土方率いる旧幕軍(伝習隊と陸軍隊)と、島田ら一部の新撰組は、五稜郭へ向かう。他の新撰組は大鳥圭介が率いていた。道中、小戦と宿陣を繰り返し五稜郭へ入った。早速、新撰組は箱館市中取締りを命じられ、巡察を開始する。当初、真純もこちらに加わるように土方から言われたが、真純は無理やり土方軍に同行させて欲しいと懇願し、了承された。それは、真純がここから先、いつ土方が銃弾に撃たれるか分からないという不安があったからである。真純には、昔見たドラマで、土方(役の俳優)が馬に乗って敵陣に乗り込んでいくところを狙撃されるシーンがうっすら記憶にあった。だが、それがいつどこでなのかは思い出せなかった。

 11月5日、土方は総督として700名の兵を率いて松前を占領する。続いてその10日後、江差を占領。しかしその晩、旧幕府艦隊2隻(開陽丸、神速丸)が座礁してしまう。軍艦2隻を失い、旧幕府軍は大幅に戦力を弱めることになった。

 12月5日、松前から箱館に戻り、蝦夷地平定の祝賀会が開催された。この時、蝦夷共和国の役員として、土方は陸軍奉行並に選ばれた。真純は、土方の身にいつ何が起こるか心配であったが、この明るい雰囲気に少しだけ緊張がほぐれた。

 明治2年1月――。気がつけば、「元号」は明治に変わっていた。土方はこの頃から、箱館の大商人、佐野専左衛門の店舗を宿所とした。正月ではあったが、土方は普通に仕事をこなし、要人と面会している。真純は当然ながら、この時代に来るまで戦争というものを体験したことはなく、決着がつくまで激しい戦いが繰り広げられていると思っていたが、戦が続いていても何もない平凡な日もあることを知った。戦争の合間だからこそ、この静かな時の流れがいとおしい。土方が宿にいるときは特にそう感じるのだ。

 土方が外出先から戻ってくると、真純は部屋にお茶を持って行く。

「お前もここで一緒に飲まないか。」

「土方さん、お疲れじゃないんですか。」

「大丈夫だ。正月に一人でいるのも寂しいだろうが。」

 土方は部屋を出て、もう1つ湯のみを持ってくる。

「ありがとうございます。」

 土方は、紙で包んであるものをテーブルに広げる。

「カステラですね!」

 真純は久しぶりの洋菓子に声を弾ませる。先程土方が面会した相手が、分けてくれたのだという。

「お前の時代では、普通に食べているんだな。」

 土方は手で切って真純に半分渡し、自分も口に入れる。

「甘すぎるな。」

 土方はお茶を飲んでほっとする。

「今日は1月1日か…。」

 その日付を聞いて真純ははっとする。

「1月1日って、斎藤さんの誕生日だそうですね。1月1日だから『一』という名前がつけられたと聞きました。」

「斎藤か…。あいつは試衛館にいきなりやってきて、弟子達をことごとく倒しやがって、総司とは取っ組み合いにまでなっていたなぁ。何を考えているのかさっぱりわからんやつだったが、あいつの左腕は確かだった。」

 土方は茶で一服して遠い目をする。

「お前は斎藤に惚れてたんじゃないのか。」

「えぇ!?そ、そんな恐れ多くてとんでもない!」

「あの時・・・本当は会津に残りたかったんじゃないのか。」

「私が誠を尽くしたいのは新撰組です。その新撰組の隊長に付いていくのは当然のことです。」

「かっこつけやがって。だが、俺は斎藤がどこかで生きている気がしてならねぇんだ。あいつは斬っても斬っても死なないようなやつだ。」

 しかし、土方のもとには会津に残った新撰組が生き延びているという知らせは届いていなかった。

「…ところで、土方さんの誕生日はいつですか?」

「5月5日だ。」

「子供の日ですか!」

「子供の日だと?」

「子供が元気で幸せになるのを願う祝日です。まだこの時代では祝日になってないんですね。暖かくていい時期ですよね。今度お祝いしましょう。」

「何を祝うのだ。」

 江戸時代には誕生日を祝う習慣はない。

「1つ年を重ねてから1年間ずっと元気に過ごせたこと、この世に生まれきたこと、出会えたことをお祝いし、感謝するんです。」

「未来の人間は、祝うことが好きなんだな。5月5日は誕生日とやらを祝うどころじゃないだろうな。」

「誕生日会、やりますよ。約束ですからね。」

 真純は努めて明るく振舞う。これから先待ち受けているのは明るいものではないだろう。だからこそ、今こうして穏やかに過ごせる時間を大事にしたい。やがて、新撰組の幹部たちも加わり、酒宴が始まった。

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