僕の夏休み

たける

第1話 めまい

「夏休みになったら、早めに宿題は済ませましょう」終業式の日に、担任の竹田先生が言ってたなあと思い出しながら、僕は机の上の「夏休みのワーク」を見つめていた。

 八月一日。昨日で七月が終わった。竹田先生は、「最初の二週間が勝負だ!」とか言っていたけど、僕は見事に勝負に負けてしまった。最初のころ少しはあったやる気が、二週間たってしまうと全くなくなっている。

「だってさ、まだあと一ヶ月もあるんだし」お昼にそうめんを食べながら、母さんにそう言ったら、「あー。今年もギリギリであわてて、家族に迷惑かけるわけね」と、顔をしかめてイヤミを言われた。

 去年は、母さんと姉ちゃんと父さんに手伝ってもらって、三十一日の夜二時ごろまでかかって宿題を終わらせた。去年の担任の浅田先生は鬼のように厳しい先生だったから、絶対に宿題は忘れられない。眠くてうつらうつらしていたら、「アンタの宿題でしょーが!」と姉ちゃんに頭を叩かれた。

 竹田先生は浅田先生よりはだいぶやさしい。始業式に間に合わなくても、提出しさえすれば許してくれるだろう。罰として宿題増量なんてこともないはずだ。そんな安心感もあって、僕の今年の夏休みは去年よりダラダラしたものになっていた。

 今日も朝から夕方まで、一ページも手をつけていない。あーあ、お腹減ったなあ。もう五時なのにまだまだ暑いし、外に出かける気にもならなかった。

 ゲームでもしようかな、そう思って電源スイッチに手を伸ばそうとした時に、机の上の携帯電話がブルブルと震えた。見ると、友だちの坂木実(さかきみのる)からのメールだった。

〈やばいたすけてジェイドにきて〉

 やばいたすけて? ん? なんだこのメール。みのるはいたずらメールを送るような奴じゃない。なにか、ドラブルに巻き込まれたのか? 背筋がゾッとする感じがした。とりあえず、電話してみよう。

 呼出音が何度か続いた後で、留守電にきりかわった。

「メール見たよ。何かやばいことに巻き込まれたの? 心配で電話しました。」

 留守電を入れた後で、念のためにメールもおくっておくことにした。

〈どうしたの? だいじょうぶ? いまなら電話いけるし、電話ちょうだい〉

 送信して十分たっても、二十分たっても返事はなかった。

 なんだか、胸騒ぎがする。みのるはいつも携帯を身につけていて、メールの返信も早い。十分以内には必ず返事が届いた。何かあったのかもしれない。

 まだ門限までは一時間ある。五年生になってからは、六時半までは外で遊んでもよいことになっていた。

 僕は部屋着から外用の服に着替えると、机の引き出しを開けて小銭入れを取り出し、後ろのポケットに入れた。中には二千円ほど入っている。

 家を出る前にもう一度携帯を確認したが、返事はなかった。一階に降りると、台所から焼き魚を焼く香ばしい匂いがただよってきた。

「悠介、もうすぐご飯できるわよ」

 母さんの声に「うん」と生返事をすると、下駄箱の棚の上に置いてある自転車の鍵をつかみとって外に出た。

 飛ばし気味で、ジェイドに向かう。西の空にはまだ赤くはなっていない夕日が見えている。いつもはわくわくしながら向かう道のりなのに、今日は自転車をこぎながら不安が胸に広がっていく。

 カツアゲにでもあったのかもしれない。もしそうなら、僕だけで助けられるだろうか。

 ジェイドというのは、近所にあるアミューズメント施設で、ゲームセンターとカラオケとボーリングがある。友だち同士でたまにゲームをやりに行ったり、姉ちゃんとカラオケに行くこともある。ジェイドには中学生や高校生の怖い人たちが遊びにくることもあり、絶対に安全な場所というわけでもない。

 赤信号で自転車を止めると、交差点の向こう側に人だかりが出来ていた。なんだろう、事故かな? なんだか、いやな予感がする。その時、急に頭がクラクラして、めまいに襲われた。僕は首を何度か振って、目をぎゅっとつぶった。夕方なのに日差しが強い。信号が青に変わると、僕はおそるおそる、人だかりの方へと近づいていった。

 

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