第5話「今を大切に」
——前略。
光る毛玉のような虫のヨウちゃんの件ですが、とりあえずセフィリアさんが図書館に行って
なにかわかればいいんですけど……。
その間、わたしは修行と並行してお店番をすることになったんです。
〈ヌヌ工房〉の皆さんには迷惑をかけてばかりですが、これもわたしにできるお手伝い。精一杯お店番を頑張りたいと思います!
もちろん、ヨウちゃんをお空へ還すことも忘れてませんよ。
それでは、またメールしますね。
草々。
***
カロカロカロン…………。
お店のドアに付けられた木製のドアベルが「お客さんがきたよ!」と軽やかな歌声を奏でて教えてくれます。
「いらっしゃいませ〜!」
元気よく挨拶をしたのは森井瞳。若葉色の制服に身を包んだほわわんとした雰囲気の女の子です。今日も今日とて、花火のように四方八方へ髪の毛が跳ねています。こちらもやかましいくらい元気のようです。
入って来たお客さんは、背中の丸まったおばあちゃんでした。
「おやおや、見ない顔だねぇ。新人さんかい?」
「は、あい! そうなんです。森井瞳と言います。よろしくお願いします〜!」
「ふふふ、元気があってよろしいこと。こちらこそよろしくお願いしますね」
柔和な笑みを浮かべてくれるおばあちゃん。顔に連なるシワの数々は生きた時間の質が違うことを物語りますが、快活な喋りやキメ細やかな白い肌は非常に若々しいです。
「セフィリアは留守かい?」
しばし周囲を探るように見回してから、おばあちゃんは問いました。
「あい。図書館のほうへ調べ物に。セフィリアさんにどのようなご用件ですか〜? わたしでよければ伝えておきますけど」
今は別の部屋で過ごしてもらっているヨウちゃんこと〝陽虫〟を空の群れに還すため、その方法を探してセフィリアは〈ヌヌ工房〉を空けています。
先輩の不在は自分がおぎなう! と意気込んでいる瞳ですが、実はこうして接客するのは初めて。
粗相のないように接しなければいけません。
おばあちゃんはわずかに考える仕草をしてから、
「いいえ、いないならいないで構わないわ」
と言いました。セフィリアに用があるわけではないようです。
「あの子とお喋りしようと思って来ただけなの。代わりに私の話し相手になってくれないかい?」
「ほへ? ……わ、わたしなんかでよろしければ、お付き合いしますよ〜」
「それはよかった。なら、少しばかり付き合ってもらおうかしらね」
セフィリアと話すお客さんはみんな笑顔で、実に楽しそうにお喋りしていたので、自分も代わりとしての務めを果たそうと承諾します。
修行をしている合間にも、チラチラとセフィリアの接客姿は後ろから見ていました。コツとか心得とかあるんですか? と聞いてみたら、
〝そうねぇ……売ることは大切だけど、それ以上にお客様に楽しく過ごしてもらって「また来たい」と思ってもらえることのほうが大切なのよ〟
そう言ってにっこりと微笑む姿が印象的でした。
いちおう木工品を扱っているお店ですから、お客さんとお話しをするのが仕事ではないのですが……尊敬する先輩の言葉を信じて、おばあちゃんには楽しい時間を過ごしてもらいたいのです。
それに、もしかしたら貴重な話を聞けるかもしれません。お年寄りとは得てして知識の宝庫なのですから。
お店はゆっくり過ごしてもらうことを前提に考えられているのか、小さいながら休憩スペースも設けられています。これらももちろん、木で出来たお手製です。
お茶を用意して「どうぞ」と差し出すと「ご丁寧にどうも」と受け取り、一口すすりました。おばあちゃんと湯呑み。絵になっています。
ふー、っと息をついてから、おばあちゃんは口を開きました。
「久々に立ち寄ったけど、森井さんはどうやらまだ見習いのようだね」
「わかるんですか?」
「
おばあちゃんは湯呑みをテーブルに置いて、瞳が両手につけている手袋を指さしました。
これはフクロウのヌヌ店長が制服を渡してくれたとき一緒にあったもので、この手袋も含めて制服なのです。しかし思い返してみれば、セフィリアは素手だったような……?
その疑問に、おばあちゃんは答えてくれました。
「両手の手袋は見習いの証。片手の手袋は半人前の証。そして素手は……」
「……一人前?」
「そう。一人前の証」
そこでもう一口、ズズズッとおばあちゃんはお茶をすすります。瞳も同じようにお茶に口をつけました。
「どうして素手が一人前の証か知っているかい?」
「いいえ。これも制服の一部だと思っていて、考えたこともなかったです〜」
「正直でよろしいこと」
ふふふ、とおばあちゃんは小さく笑いました。どことなく、雰囲気がセフィリアに似ているような気がします。笑いかたなんかが特に。
「見習いということは、彫刻刀で木の板になにか彫っているのかい?」
「その通りです〜。よくご存知ですね〜!」
「88年の人生は伊達じゃないってことね」
【
「どうだい? 彫刻刀は上手く扱えているかしら?」
「まだまだ、全然です〜。この間も手が滑って落っことしちゃいましたし……」
「だからよ」
「ほへ?」
瞳は首をかしげます。
長時間の修行で握力がなくなり、彫刻刀が手から逃げたことがあります。しかしそれと手袋になんの関係があるのでしょう?
「職人にとって手は命の次に大切なもの。見習いが手袋を付けるのは怪我の防止と、成長の助けのためなのよ」
ほへ〜、とアホの子のように納得の息を漏らす瞳。手袋をつけるのには、なかなか理にかなった理由があってのことでした。
けれども、瞳の頭の中ではまだ納得半分、疑問半分で、片眉がピクリとつり上がります。
手元が狂ったとき、何度もこの手袋には助けられました。おかげで指先には切り傷もタコも見当たらず、女の子らしく綺麗なものです。
これが納得半分。
残りの疑問半分は、成長の助け、の部分。
「成長の助け、というのは?」
「それは……半人前に昇格したら、わかるわよ」
やはり「ふふふ」と可愛らしく笑うのでした。
手袋を外したときどうなるのか、気になる瞳でしたが……いつになるのやら。
「そのときを楽しみにしておきます」
「早く半人前になれるといいわね」
「あう……」
なかなかに痛いところをついてくるおばあちゃんです。まだまだ修行どころか、生活にも慣れきっていない状態で半人前なんて夢のまた夢……の夢。もういっこおまけしてもいいくらいです。
なんだったらまだ〝一人前〟が残っていますから、目指す先は果てしないなぁと、しんみりとした気持ちになるのでした。
「でーも。見習いのうちに、色々と経験しておきなさいね」
「はへ?」
「一人前になったらできなくなることもあるの。——今は今しかないのだから、今のうちに、ね?」
「……あい!」
おばあちゃんの言葉は重すぎず軽すぎず、スッと心に沁み行く響きを持って、静かなお店に浸透していくのです。
まるで鈴虫の音色のように、耳に届く波は聞く者を癒す不思議な力が込められていました。
一体何者なのでしょうか、おばあちゃんは。
ま〜……いっか。
瞳とおばあちゃんは一緒に、ズズズッとお茶をすすってまったりとした時間を過ごすのでした。
***
——前略。
図書館から戻ってきたセフィリアさんに話を聞きましたが、めぼしい情報はなかったそうです。
後から気付きましたが、物知りそうなあのおばあちゃんに聞いてみればよかったです。陽虫の還しかた。
でもでも、貴重な話を聞けましたし、また来てくれたときにお話を伺えたらいいな。
今度はどんなお話が聞けるでしょうか? 今から楽しみです。
セフィリアさんが教えてくれた、「また来たい」と思ってもらえることのほうが大切なのよ、という言葉。今ならなんとなく、わかるような気がします。
だって、ステキな時間をもう一度と願うのは、とってもステキなことですから。
それでは、またメールしますね。
草々。
森井瞳——3023.4.21
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