夏の終わり

道人

第1話


「丘」


その丘に登ると

海から吹き上げる風が僕を包んで

どんな感情も洗い流し

心が穏やかになった


友達とけんかしたときも

父親に反抗して家を飛び出したときも


幽かに聞こえる波音が

水面を揺らめく光の粒が

鼻腔をくすぐる草いきれが


僕の中の黒いものを

きれいな雫にしてしまう



「夏の終わり」


彼はアイスコーヒーにミルクだけを注いでかき混ぜずにそのまま飲んだ。

「行ってきたら?別に気にすることないよ」

私はティーカップを見つめたまま口ごもり彼に相談したことを後悔していた。

去年で最後だと決めていたけれどちゃんと義母と義父にお別れを言っていなかったことがずっと胸に詰まっていて、この一年の間私は糸に繋がれた風船みたいだった。

「ナミちゃんとヨウくんは行きたがってるんだろ?」

夏休みが近くなると二人はそわそわし、態度や言葉の端でふるさとへ行こうと誘う。

「二人にとってはお祖父さんとお祖母さんなんだから会いに行く権利があるし」

私は「そうね」と呟いて窓の外を見た。

アスファルトに照り返す光。埃の中を足早に行き交う人々。

途切れない車の列。

街路樹の僅かな潤いは直ぐに蒸発してビルの間に消えてゆく。

ここが私の生きている現実の世界。


「夕景」


子供のころ、私は目を瞑るのが怖かった。

だから夜が来なければいいのにとずっと思っていた。

河原で拾ってきた雑種犬のチロ。

いつも悪さをして私を困らせたけど。

上目づかいの潤んだ瞳で見つめられると思わず抱きしめて許してしまう

いつまでも、いつまでも側にいてくれると思っていたのに、

ほんの少しの思い出を残してチロは死んでしまった。

お母さんと一緒にお墓を造ったけれど、

固くなったチロが怖くて私はずっと泣いていた。



「夏の終わり」


毎年飛行機を使っていたけれど今年は会社に無理を言って、夏休みを少し長く貰ったから列車で帰ることにした。・・・帰る?

そう私は帰るんだ。私が唯一帰ることが出来る、あなたのふるさとへ。

東京駅からしばらくは大人しくしていた陽太と南海江はふるさとが近くなるにつれ、だんだん顔が活き活きとしてきて大きな声で私に話しかける。

「そういえば去年おじいちゃんと約束したんだ。舟に乗って沖で釣りするって」

陽太は目を輝かせて身を乗り出す。

「わたしもいく!」

「ナミはだめ!あぶないだろ」

「いや!ナミもいく!」

東京で暮らしているとだんだん体に薄皮がまとわりついて、やがて幾重にも重なって身動きが取れなくなってしまう。そんな感覚を覚えるときがある。

あなたと出会うまではそんなことなど考えもしなかったし、それが普通の人間の感覚だと思っていたからあなたの言う違和感というものがどんなものか想像さえできなかった。

「いいでしょ、ママ」

「そうね、おじいさんが良いって言ったらね」

「だめだよママ。だって沖はねすごく波が高くてナミなんかすぐ酔っちゃうよ」

「そんなことないもん!ねぇママいいでしょ」

私は曖昧にうなずいて反対側の窓の外を見ていた。

緑が濃くなりだんだんあなたの街へ近づいてゆく。




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