舞って踊って、散り消える
天邪鬼
ニンフ
ニンフはくるりと回って、旅人に言った。
「あなたは何をしにいらしたの?」
人であれば、17、18才くらいに見える容姿は例えようもなく美しかったが、微笑みはあどけない少女のようであった。
しかし旅人は口を開かなかった。
ニンフは返事を待つかのように、目は旅人を見つめたまま、少し首を傾げながら、くるくると旅人の周りを飛んでいた。纏ったキトンの裾が、パタパタと風に揺れていた。
しかし旅人は口を開かなかった。
するとニンフは思い出したかのように話し始めた。
「あぁ、ごめんなさい。私まだ名前を言ってなかったわ、テティアっていうの。ずっとこの近くの泉に住んでいるの。さぁ、今度はあなたの名前を教えて。」
旅人はようやくモゴモゴと口を動かしたが、言葉を発することはなかった。
しばらくテティアはくるくると飛び回っていたが、旅人の前でピタッと止まったかと思うと、グッと旅人に顔を付き合わせた。
驚いた旅人は2、3歩後退りした。旅人は怪訝な表情でテティアの顔を見つめた。
「もう、何よあなたさっきから、ずっと黙ってるだけじゃない。男ならもっとシャキっとしなさいよ。あなた、レディに失礼だと思わない?」
レディというにはあまりに幼い声色で、頬までぷぅと膨らませてテティアは怒った。
すると旅人は、さっきまで俯き気味だった顔をふと上げた。彫りは深いが少し女性的な、美青年であった。
「お前、ニンフか。」
青年は尋ねた。
テティアは眉を吊り上げ、さらに怒って言った。
「あなた何様のつもり、きっと育ちが悪いのね。たしかにニンフよ、だけどその前に私の質問に答えるべきじゃなくて?」
テティアは精一杯の嫌みを言ったつもりだったが、旅人は構いもせずに続けた。
「ニンフは、不思議な力を持つと聞く。私の腕の傷、治せないか?」
確かに青年の左腕には、熊に引き裂かれたのだろうか、大きな切り傷があった。
テティアもそれにはもちろん気づいていた、しかしあえて口にはしなかった。
「本当に人間ってそればっかりね」
テティアはぽつりと哀しげに呟いた。それからじっと青年の瞳を見つめ、はっきりした口調で言った。
「いいわ、私の住み処にいらっしゃい。私の力で治してあげる。」
言い終わるか否か、テティアは身を翻し、泉へ向かってまっすぐ飛んだ。青年はヨロヨロと彼女に続いた。
テティアは後ろを振り返ることなく、スイスイと木々の合間をぬって飛んだ。
テティアの住み処はそう遠くにはなかった。
泉の前にテティアは立っていた。表情は、どこか憂いを帯びていた。
「さぁ、この泉に浸かりなさい。そうすれば、どんな傷も病も癒えるでしょう。」
さぁ、ともう一度言って、テティアは青年を促すように右手で泉の中心を指し示した。
青年は黙って、ゆっくりと泉に浸かった。
すっかり傷の癒えた青年は、始めとうって変わって饒舌になっていた。
名をタレスということ、商人をしていること。買い出しの帰りに熊に襲われ、命からがら逃げてきたということ。家族のことや故郷のことを、日が暮れるまで話した。
真っ暗な森の中で、テティアの泉だけが月明かりを反射して煌々と輝き、2人を照らしていた。
しばらくの沈黙が続いた。
そして、おもむろに口を開いたのはテティアだった。
「私、ずっとここで1人なの。ねぇあなた、私と一緒に、ここで暮らしてほしいの。」
するとタレスは少し困ったように聞き返した。
「だけど君は、ずっと長く生きるだろう?僕は君よりずいぶんと早く死んでしまうよ。それでもいいのかい?」
「えぇ私、もうだいぶ生きたから。あなたが死ぬときは一緒に死ぬわ。」
タレスは、それならずっとここに住もうと言って、ゆっくりとテティアの上に重なった。
テティアが目覚めると、そこにタレスの姿はなかった。
逃げられた。すぐにテティアは彼を追って森へと向かった。
彼女には、タレスのいる場所は分かっていた。
行けども行けども終わりの見えない森の中で、タレスは疲弊し、ついには座り込んでしまった。
見ると、1羽の小さなウサギが目の前で死んでいた。
「あなた、いったいどこへ行こうと言うの。」
後ろから声がして、タレスはゆっくりと振り返った。怯えるような目でテティアを見た。
「そんな顔、なさらないで。私たち愛し合っているのでしょう。さぁ、帰りますよ。
そこのウサギを焼いて食べましょうか、あなたもお腹が空いたでしょう。
大丈夫、死んで間もないみたいだから、まだ腐ってはないはずよ。」
彼女の言葉は果たして耳に届いたのか、タレスはただただテティアの顔を見つめるだけだった。
テティアはにっこり微笑んで、出会ったときに見せたような幼い笑みを浮かべてこう言った。
「ずっと一緒と言ったでしょう。あなたはこの森からは出られないわ。」
タレスは、ギョッと目を見開いて、そして狂ったように叫びながら走り出した。テティアもその後を追った。
疲れ果てたタレスがもう一歩も動けなくなるまで、大して時間はかからなかった。
「やめろ、頼むから殺さないでくれ。僕を食べるつもりなんだろ。泉に沈んでた骸は、みんな君が食った奴らなんだろ。」
テティアの表情は一瞬歪んだが、すぐにまた微笑んでタレスに呼びかけた。
「さぁ、帰りましょう。」
地面に倒れ伏した青年の身体を持ち上げようと、テティアが手を伸ばしかけたそのとき、突然何かが青年に覆い被さった。
それはずっと青年を追い続けてきたであろう熊だった。
あまりに突然の出来事に、テティアは為す術もなく立ち尽くしていた。
気づけば、目の前には変わり果てた青年の形があった。
テティアはしばらくじっとそれを見つめていたが、
「私って人を見る目が無いのね」
誰に言うでもなく、そう呟いてどこかへ飛んでいった。
泉はいつしか涸れていた。
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