光のきえざるさきに、煉獄で

石川

プロローグ

プロローグ

 この街には、ありとあらゆる様式があった。

 グレコ・ローマン様式の国会議事堂が、ゴシック様式の市庁舎が、ルネサンス様式の劇場が、バロック様式の王宮図書館があった。まるで様式のカタログのごとく、歴史と主義とがつどう黄昏の国――オーストリア=ハンガリー二重帝国。

 帝都ウィーン。

 すべてがそこにあるようでいて、何一つわれわれのものなどありはしない。

 何もない。

 〈価値の真空〉と、ある者は言った。〈張りぼてのポチョムキン都市〉〈中空に演ぜられた仮装舞踏会〉〈世界没落の実験場〉〈陽気な黙示録の街〉……ヨーロッパ文化のあらゆる流れが合流したコスモポリタンの楽園に、ぽっかりと生まれた空虚がらんどう

 〝時代にはその芸術を/芸術にはその自由を〟

 虚空に吠えた抵抗者ゼツェシオンたちのスローガンも、今は時の彼方へとむなしく散じたのだろうか。

 1908年――。

 大環状道路リングシュトラーセの端に立ち、彼はウィーンの街並みを建築家の眼で俯瞰していた。

 彼の眼に映るのは、しかし虚無ではなく、罪だ。

 すべてかたちあるものは、罪を負う。

 かたちを生みだす彼の手は、拭えない業にまみれている。

 ゆえに地獄は、すぐ足元にある。

 堕ちよ、と天が言った。

 罪の独白に応えるかのように。

 贖いのときはきた。

 廻る運命の車輪が軋む。それは狂奔しながら近づいてくる。

 彼をめがけて。

 逃れえぬ誘惑をともなって。

 いつも彼が見ていた嵐のように、制御不能な愛と破壊の衝動をかかえて。

 まっすぐに。

 彼を、呑みこんだ。

 下された罰が、用意された結末が、唐突な終わりが、修復できない滅びが、永遠の断絶が。


 ――――死が。




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