夏編:離島でウワサになりました

マツモト先生

 ヤバいヤバいヤバい! こんなペースじゃ提出に間に合わない!


 ってのが何の話かというと。七月中旬といったら、学期末。学期末といったら、通知表。


 終わらないの! 通知表を書く作業が! 教務主任の先生への提出期限、今週末なのに!


 いっぱいいっぱいで破れかぶれの教員生活四ヶ月目。あたし、それなりに頑張ってる。四年生の一学期に教えるべき内容は、今のところクリア。文科省に指定されたカリキュラムのペースで。県の教育委員会が指示する習熟度レベルで。


 でもね。「あたしすごいじゃーん!」っていうんじゃなくて。


「タカハシ先生、今日も百マスかけ算やるとやろ?」

「はい、先生、漢字ノート書いてきたばい」

「先生の喉ガラガラになっとるけん、うちが国語の本読みするよ」

「ねえねえ、鉄棒の後ろ回りができるようになったけん見て!」

「先生の学級通信、おかあさんが誉めてた!」


 あたしの全然できてないところをフォローし続けてくれる、五人の教え子たち。この子たちがいてくれるから、あたし、先生でいられるんだ。


 だけど、どーしてもあたしひとりで頑張んなきゃいけない仕事もあるわけで。例えば、指導案の作成。


 “こんなふうに授業を進めて、ここがこの単元のポイントで、このタイミングで子どもたちに発表させて、そして、子どもたちにこれこれを学ばせる計画です”


 そういうのを作る作業。そんなもんがあるってことすら、子どもたちは知らない。知らせちゃいけないよね。だって、子どもたちにはのびのびしててほしいもん。授業にシナリオがあるなんて、気付かないでほしい。


 職員室には一人一台パソコンが支給されてるんだけど。子どもたちが帰った後、あたしたち教師は指導案作りに追われる。追われすぎて追いつかれてパニックになりかけたりする。


 だって、受け持ってる全教科キッチリだよ? 指導案どおりに進まなかったら、反省点書き込んで次回分を修正して。そんなの毎日やるんだよ?


 指導案作りで不思議だったのが、道徳までやんなきゃいけないって点。ひとりひとりの「感じる心」を大切にするのが、道徳の授業。子どもたちは真剣に考えてくれて、それぞれの言葉を出してくれる。そこには「正解の答え」なんてない。自由に発想してくれて、あたしのほうがハッと気付かされることもある。


 それなのに、指導案、作らなきゃいけないんです。もう勘弁してよね。道徳の教材にまで方向性を定めちゃったら、国語の物語単元と同じじゃん。


 というか、うちの学校、道徳教育の指定校だし。しかもあたし、最初の研究発表が道徳だったし。


 まあ、いろいろ大変だった一学期も終わりが見えてきた今日このごろ。最後の難関が、通知表だった。


 教科の成績をつけるのは、どうにか片付いた。三段階評価なんだけど、絶対評価じゃないんだよね、実は。変な成績をつけるオバカな教師が出ないように、目安が定められてるの。それに沿って、クラス全体で相対評価する。詳しい基準とかは企業秘密。企業じゃないけど。


 教科成績の数字の割り振りは、コツをつかむまでは頭が痛かった。あたしの受け持ちは五人だから、目安に乗っかるのも簡単だけど。これが四十人だったら、あたしの文系頭はパンクするかもしれない。って内容を、思わずぶつぶつ言っちゃったら。


「何のためにパソコンが支給されとると思っとっとですか?」


 ぼそっと無愛想な一言が、あたしの隣の席から飛んでくる。地元出身、体育会系、常にジャージのマツモト先生。そのくせ仕事は優秀なんです、ムカつくことに。


「エクセルば使えば、教科成績の平均偏差は一瞬で出るでしょう。知らんとですか?」


 ……知ってます。エクセルさんの機能は知ってます。使い方をいまいちマスターしてないだけです。って言うのは癪だから黙っとくけど。


 あたしは、顔だけは微笑んでおく。女は愛敬ってね。


「教科の評価は終わってるので、問題ないです」

「所見、書き終わらんとですか?」

「な、なんでわかるんですか!?」

「隣やけん、何ばしよるか見えとります」


 うわー出たよ、マツモト先生の特技「千里眼」。離島育ちの野生児マツモト先生は、異常に目がいい。動体視力もバツグンにいい。


 職員室の机は、フツーの事務机。パソコンは「これってタブレット?」ってくらいのディスプレイサイズ。隣同士とはいえ、一メートルは離れてるし、角度もついてるし。それでもあたしのパソコンが見えるという、マツモト先生の恐ろしい視力。


 所見っていうのは、子どもたちの日々の様子をまとめる欄のこと。おたくのお子さんは学校でこんな様子です、っていう保護者へのお知らせ。


 それを書くために、担任の先生は日々、子どもたちのことを記録に取ってる。いいことをしたときも、悪いことをしたときも、活躍したときも、叱ったときも。そういう記録をもとに、所見を書く。それが難しくてしょうがない。


 で、あたしがそーやってあれやこれやとグダグダ悩んでるところを、マツモト先生は隣からのチラ見で全部透視しちゃうわけで。やっぱ、なんかムカつく。


 あたしがうんざりしてても、マツモト先生は気にする様子がない。超がつくほどマイペース。


「タカハシ先生、時間、よかとですか?」

「はい?」

「六時、過ぎとりますよ」

「……ええっ?」


 校庭に面した職員室の窓からは、明るい光が差し込んでる。日本最西端っていってもいいこの島は、日が沈むのがとにかく遅い。七月中旬の午後六時なんて、まだ昼間の空の色。夕焼けこやけのオレンジ色にもなってないわけで、時間感覚が狂っちゃう。


「あー、もう、また買い物できなかった……」


 六時になったら、島で唯一のスーパーである漁協スーパーが閉まる。どうりで、いつの間にか職員室から先生がたがいなくなってるわけだ。残ってるのは、実家暮らしのマツモト先生と、うっかりしてたあたしだけ。


 通知表作成に追われ始めてから、あたしはまともな夕食をとっていない。食材がないんだもん。箱買いしておいたインスタントラーメンも、昨日の夜で食べ切ってしまった。あとは何があったっけ?


 そうそう、冷凍庫に煮物、入れてた。でも、豪快に失敗だよね。じゃがいもの煮っ転がしを冷凍するなんてさ。一昨日、解凍して食べてみた。スポンジみたいにスカスカの歯ざわりで、泣きたくなった。じゃがいもって冷凍不可なのね。今日もあれ食べるしかないのか……。


「……ほんっとに、最っ低……」

「びっしゃ言いますね、そん言葉」

「はぁ? びっしゃ?」

「たくさん、しょっちゅう、言いますね」

「言ってます?」

「最低とか最悪とか。印象悪かですよ。子どもたちが真似したら困るけん、口癖、直してください」


 正しいこと言われて腹立つのは、ただの八つ当たりよね? でもね、あたし、そんなに出来た人間じゃありませんので。


 マツモト先生こそ、そのムカつく無愛想をどーにかしてください! って言おうとした。


 そしたら、無愛想男の不意打ち爆弾が炸裂。


「食事、うちに来たらよかですよ。ついでに、所見の書き方やら教科成績のチェックやら、おれが手伝います」


 そっぽ向いて帰る準備をしながら、そんな当然のことみたいに言わないでくれる?


 いや、白状します。四月から今まで、もう五回もマツモト家にお邪魔してます。


 マツモト先生のおかあさんの手料理をいただいて、妹さんとおしゃべりして、マツモト先生は、あたしの仕事の不安なとこをチェックしてくれる。道徳の研究発表の直前だって、指導案を直してくれた。


 たぶん、なんだけど。後輩を指導するのが当たり前だと思ってんだよね。マツモト先生ってば、完璧に体育会系だから。普通なら、オフィスの近所のファミレスとかでおごってくれるイメージ?


 でも、この島には気軽に寄れるファミレスなんかないわけで。だから、マツモト先生の実家に行くことになるわけで。


「お、お世話になります……」


 おなか減ってるのと、実際助けてほしいのと、両方。あたしは横顔のマツモト先生に頭を下げる。


 ずるいんだよね、横顔。ガッシリと隆起した鼻筋がね、必要以上にカッコいい。スポーツ刈りをやめて、ちょっとまともな服を着たら、いい線いくと思う。なんてことは、絶対に言わないけど!

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