怪奇短編「その男、輝さん。」
彼が我が家にやってきたのは、僕が小学6年の時だった。母親の新しい交際相手で、紆余曲折を経て彼は
「輝(テル)さん」
と呼ばれるようになった。僕と妹の新しい、そして地上で唯一の父であり、母の最愛の人であった。同居していた祖父母(母の両親)にも気に入られ、町内にもすっかり馴染んだ輝さんだったけれど……彼には、ある秘密があった。
そう、輝さんは【40歳になったら修行をしろ】と本職の方に言われるぐらい非常に強い霊感があったのだ。我が家で、出先で、はたまた過去に輝さんが遭遇した数々のエピソードから、今回おひとつご紹介いたします。
12月上旬の、ある冬晴れの日。僕は学校をさぼって昼過ぎに帰宅した。夜勤で寝ている輝さんがいることは知っていたが、起こさないようにそーっと家に入れば大丈夫だろう……とタカを括っていた。が、こんな時の輝さんのカンは異常に鋭く、たいていの場合は起きだしてきて見つかってしまったのだった。この日もそっと玄関のカギを開け、そっと靴を脱ぎ、そっと階段を登って、そーーっと寝室の前を通り過ぎようとした、その時。
がったーーん!!
ばたばた!!
と大きな音がしたと思ったら輝さんが寝室から飛び出してきた。すわ見つかった! と僕は肝を冷やして目を閉じた(怒られると思ったのだ)が、肝を冷やして真っ青な顔をしていたのは輝さんの方だった。青さを通り越して、輝さんの顔半分はどす黒く染まっていた。
輝さんの顔には青黒い痣があった。生まれつきの、いわゆる蒙古斑のようなものだそうだ。しかしてそれは顔の右半分を覆うほどの大きなもので、ひどく体調が悪い時と【何かが起こった】時、その痣はひときわどす黒く浮き上がってくるのだという。話には聞いていたが、僕はこの時初めてそれを目の当たりにした。
話は寝室から飛び出してきた輝さんに戻る。
輝さんは僕を見つけるや否や目を剥いて捲し立てた。
「出た! 首だ、首絞められた!! 夢に出た!!」
事態をちっとも理解出来なかった僕はとりあえず輝さんに温かいお茶を飲ませて、わけを聞いた。すると、つまりこういうことだった。
その日、輝さんは夜勤に備えて昼前から眠り始めた。いい気持ちで寝ていたが、猛烈に寝苦しくなってきてたまらずに目が覚めた。何事か唸るような声も聞こえる……なんなんだ……そして目を開けた輝さんを待っていたものは。
鬼のような形相で彼の首をグイグイ絞める見知らぬ若い男の姿だった。怒りで真っ赤に膨れ上がった顔を猛烈にゆがませ、血走った両目をぐわっと見開き、両手で輝さんの首を延々と締め続けている。力の限り喰いしばった歯の奥から、唸るような声が漏れてくる。地獄の底からはらわたに、脳みそに直接響くような恐ろしい声だったという。
それは
「お前は誰だ……」
「ここ……から、出て……行け」
「美和子に……近寄るな……」
「お前は誰だ……お前は誰だ……美和子の何だ……お前は誰だ!! 出ていけ!!」
「出て行け! 出て行け! お前は誰だあああああああああああ!!」
唸り声は段々と大きく、頭が割れるほどの絶叫になり、首を締め上げる両手の力もまるで万力のように強くなっていったという。美和子というのは僕の母親の名前で、つまり輝さんの彼女でもあるわけだ。
話を聞いて、僕も驚いてしまった。確かに輝さんはいろんな男の恨みを買ったり、女性から刺されたりするようなことがあっても不思議はなかったが(どんな父親だ)まさか夢枕に立つ男にまで殺されかかるとは。結局その場は、酒の飲み過ぎと働き過ぎで五臓六腑が疲れているんだということで収まってしまった。輝さんは寝直し、僕は学校をさぼったことを怒られずに済んだのでホッとして遊びに出かけた。
そして、その年の暮れ。僕と輝さんは物置の大掃除をしていた。古い家なので今までほったらかしにしていた色んなものが次々に出てくる。昭和40年代の古いおもちゃに母が好きだった無数のレコード、アコースティックギターに沢田研二や草刈正雄のブロマイド。それと、一枚の色あせたカラー写真。
誰だろ、これ。どこかで見たような。あっ! と僕が思い出すのと同時に、輝さんが僕の肩を掴んで叫んだ。
「こいつだ! こいつが俺の首を絞めたんだ!!」
驚いて輝さんの顔を見ると、右半分の痣が青黒く、ハッキリ浮き上がってきていた。その写真に写っていた人物とは、母親の兄……僕の叔父だった。20年前、僕が生まれるよりずっと前に交通事故で亡くなってしまった叔父が、どこかの海辺で上機嫌な笑顔を見せている。この写真から鬼の形相は想像しがたかったが、輝さんの顔を見る限り本当だろうと思った。
母親は一度ひどい奴と離婚しているし、叔父さんは母が心配で出てきたんじゃなかろうか。僕はいまだにそう思っている。そして叔父さんの心配通り、輝さんは輝さんで、この後も愛すべきダメ男ぶりを存分に発揮してくれるのである。んが、そのお話はここでは書けないので、まあまたいずれ。
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