一時間執筆シリーズ
坂町 小竹
2016
夏
赤い色鉛筆 (色鉛筆、画用紙)1442
「お兄ちゃんの色えんぴつ、好き」
それが年の離れた翔の妹、唯の口癖だった。春風を描く薄青色、タンポポを彩る黄色、唯の頭にいつも乗っているリボンの赤色。一つ一つの色鉛筆には、彼女との思い出が詰まっていた。それぞれの色を見るたびに、翔は唯の笑顔を思い出した。
しかしある日から突然、翔はそれが辛くなった。
唯が亡くなってから早7年。翔は幼少期の頃から住んでいた家から、東京のマンションへ引っ越す準備をしていた。彼の部屋は意外にも早く片付きそうなところだった。
しかしクローゼットの中は薄暗く、棚は置いてあってもその棚の中が散らかっていた。翔は面倒くさくなり、いっそ棚の中のものは全て捨ててしまおうかと思った。
(少し中身を見て、本当に大事なものがあったら、それだけを引っ越し先へ持って行こう。)
一つ目の段には、翔が去年頃夢中になっていたカードゲームやら、他のピースがどこにあるのか分からないパズルやらがごったごったと入っていた。二つ目の段には、古くなった衣類が奥から詰め込んであった。
三つ目の段を開くと、中には埃の似合わない鮮やかな箱が入っていた。翔は気になりその箱を取り出し、埃を払った。それは、7年間手を付けていなかった24色の色鉛筆だった。
途端に翔は唯が恋しくなり、そして胸がとても苦しくなった。彼はその色鉛筆の箱を元の棚に戻した。そして、そんなものなど無かったかのように、引っ越しの箱詰め作業に集中した。
しかし彼の努力が無駄に見えるほど、棚の中の色鉛筆が頭から離れなかった。夕焼けの赤、金魚の赤、リボンの赤……。
「お兄ちゃん、それ、全部赤だよ」
ふと、妹の声が聞こえたような気がした。くすっ、と笑い声がする。
翔は無性にまた絵を描きたくなった。そしたら、また唯に会えるような気がしたからだ。クローゼットを開き、棚の3段目を開ける。昔、毎日見ていた箱が翔の視界に入る。それを手に取り、画用紙を探す。
しかし無かった。
物がほとんど無くなった部屋を探すのは簡単だった。しかし、どこにも画用紙が見当たらなかったのだ。段ボールにも入れた記憶は翔には無かった。色鉛筆の箱を片手に、画用紙が無いことを知り、彼は部屋の中で呆然と突っ立っていた。このままじゃ、もう2度と唯に会えない。
それだけは避けたかった。無論、もう既に亡き者となった人に会えないことは翔も承知だったが、何故かこれが最後のチャンスのように思えて仕方がなかった。胸の奥が、また絵を描きたい、と騒ぎを立てているようでもあった。
翔はすぐに買いに行くことにした。机の上に放ってある青い革の財布を掴み、家を出、自転車を漕いだ。空は夕焼け色に染まりかけていて、明日の引っ越しの晴れを予報していた。
近所の文具屋で昔使っていたのと同じ画用紙を買い、家へ一目散に自転車を漕いだ。
翔が部屋へたどり着くと、色鉛筆の箱をガシャッと開けた。赤以外の色鉛筆23本が顔を出した。そして画用紙をバッと開き、無我夢中で記憶の残骸を画用紙に映し描いた。
「夕食よ、いらっしゃい」
そう呼ぶ母の声に適当に返事をし、何か見えないものでも求めるように必死で描いた。
出来上がった絵を見て、翔は疲れのため息と同時にフッと笑った。白い世界の中で、幼い無邪気な笑顔が輝いていた。リボンは赤くなく、不完全にも見えたが、それで十分だと、彼は思った。
引っ越し当日、家の前のトラックに翔だけの荷物が全て乗せられていく。空っぽになった彼の部屋に一つだけぽつんと、短くなった赤い色鉛筆が、寂しそうに転がっていた。
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