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星坊

一年✕組

SHR

 三度目にくぐる校門は、心なしか受験日よりも和らげに見える。期待に胸を躍らせて、私は輝かしい青春の一歩を踏み出した。


 私立黒百合学園は、女子なら誰もが憧れる県内有数のミッションスクール。その人気の理由の一つがこの制服だ。まゆずみを基調とした布地に、アクセントとして金のラインがあしらわれている。こうして身にまとうだけでも、まるで自分が高潔な乙女になったように思えて、なんだかむずがゆい。


 ここでなら変われるかもしれない。醜いアヒルの子が綺麗な白鳥へ育つように、冴えなくて地味な私も、きっと優雅なお嬢様に……。


「マリア様、どうか私にご加護を」


 聖母を象った彫像に祈りをささげて、いざ玄関先の群がりに突入する。刹那、嗅いだこともないシャンプーの匂いが鼻先で笑った。


「えーっと、能間……能間……」


 フルリムをくいっと上げて、ガラス一面に貼られたクラス割りに目を凝らす。肩幅の二倍はある模造紙には「花山院」や「西園寺」など、いかにもな苗字が名を連ねている。


 って、あれ? あれあれあれ? 私の名前がどこにもない!


 いつまでもたじろいでいる私を追い抜いて、皆は続々と校舎へ入っていく。さっきまでの威勢はどこへやら。こんな初っ端からつまずくなんて、不運にもほどがある。


「あのぅ、すみませぇん」


 混線した思考回路のまま周囲にSOSをまき散らすも、誰一人として受信してくれる生徒はいない。いやはや、自分の社交性のなさにほとほと呆れる。


 礼拝堂の洋鐘が、無慈悲にも始業の時刻を告げている。嗚呼、マリア様。どうして私を邪険になさるのですか。アーメン。


「おい、そこの若いの」

「ひゃっ!」


 突然背後から呼びかけられたものだから、驚きの余り素っ頓狂な声が漏れてしまった。慌てて振り返っても、それらしき姿は見受けられない。これは幻聴の類か、はたまた悪霊のいたずらか。


「これ何を呆けておる。あいさつすらせぬとは、礼儀がなっとらんのう」


 時代錯誤の物言いに誘われて視線を落とすと、あどけないふくれっ面が今にも破裂しかけていた。


「あ、ごめんなさい」

「ふん。そちが能間だな。わらわに付いてくるがよい」


 艶やかな黒髪を翻して、彼女は黙々と歩みを進める。ダボダボの修道服を着ているけど、この子はシスターの見習いか何かだろうか。育ちのよさそうな、端整な顔立ちをしている。


「どうして私の名前知ってるの?」


 一応断っておくと、この幼女と面識は一切ない。サイキッカーやどこぞのメンタリストなら話は別だけど、いたいけな娘にあのような芸当はできまい。


「そちはおかしなことを聞くのう。教師が生徒の姓氏を憶えるのは、至極当然ではないか」


 ひどくナチュラルなジョークに、堪らず表情を強張らせる。


「ははは。お姉さんをたぶらかそうったって、そうはいかないわよ。君が先生なワケないじゃない」


 ふぅ、と軽くため息をついて、彼女はひとひらの紙片を差し出した。私はそれを小さな手のひらから抜き取って、記されている文字列を抑揚なく読み上げる。


「くろゆりがくえんがくえんちょう……学園長!?」


 人は見かけによらないとはいうけど、ここまでギャップが激しい例は稀有だ。


「も、申し訳ございませんでした!」

「よいよい、こういうのには慣れておる。紹介が遅れたのう、わらわはそちの担任の望月もちづきじゃ。これからよろしく頼む」


 ほっ。望月先生が温厚な人で助かった。しかし、学園長が直々にクラスを持つなんて聞いたことがない。


「こちらこそよろしくお願いします! ところで、私たちはどこへ向かっているんですか?」

「決まっておろう。そちの教室じゃ、ほれ」


 名刺から顔を上げると、私の双眸が黒塗りの建物を捉えた。鐘楼のてっぺんには、漆喰の十字架が立っている。


「皆はもう中で待っておる。さぁ、行くぞ能間」


 キィィと軋みながら、厳めしい扉がゆっくりと開かれる。瑠璃色で満たされた場内には、三つの淡い影法師が浮かんでいた。

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