第11片 リズム




ここしばらく臥せっていたぼくに

ある日、どんどんとドアをたたく音がする


ベッドをおり、

這うようにしてドアを開けると、

そこには誰もいない


下を見ると茶封筒がひとつ

宛て先は書いてない、差出人の名もない


訝しみながら、部屋に戻り、

封筒をあけると、

中には数枚の楽譜が入っていた


軽やかなワルツ

弾けばはなやぐ魔法の曲


ぼくの部屋にピアノはないけれど 

なんだかうきうきしてしまって

ぼくはやまいを忘れて

台所の小さなテーブルの前に座った


不思議な楽譜

いつの間にか両手をのせて

空っぽの酒瓶に楽譜をたてかけて

ペダルがわりに、テーブルの足を蹴れば


さあ、お待ちかね

コンサートのはじまり、はじまり


トントン、カタカタ、トンカタタタ

ぼくに届く、ピアノの旋律

楽譜をみるたび、心は浮きたち

音符が激しくおどりだす


おどる、おどる、ぼくのメロディ

まわる、まわる、夢をみさせて

はねる、はねる、光のプリズム

ゆれる、ゆれる、魂の鼓動


指は、鍵盤を自在にあやつる

足は、ペダルをふみしだく


思いだした

ぼくの弾き方、ぼくのピアノ


弾ける、弾ける

ぼくは今、この指で弾いている


野に咲く花々、川のせせらぎ、広がる葡萄畑

秋の収穫、祭りのしらべ

昼間は、友と肩を組み

夜は愛しい手にキスを!


恋の旋律、愛のリズム

ぼくはもはや楽譜をみない

単調で、軽快な 

ワルツ、ワルツ、ワルツ!


何千何万というこころを魅了して

伝えられてきた喜びのしらべ


ぼくはピアノを愛し

ピアノもぼくを愛し

それで十分、十分だから


ふと手をとめて

床に散らばった楽譜をながめた

おかしなことに、紙面にあふれていた

音符の数々は、すっぽり抜け落ちて

そこにはただ、五線譜がひかれているのみ


おかしいな?


ぼくは楽譜の一枚をひろいあげ、

首をかしげる


すると、後ろから柔らかな声がした


「あら、きっと音符に足が生えて、逃げ出してしまったのね」


……きみか?

きみだったのか?


ぼくは振り返らない

振り返れない


振り返ったら、途端に涙が出そうで

ぼくの泣いた顔なんて、みっともなすぎて

とてもきみには見せられない


「やれやれ、この楽譜を送ってきたのは、きみだろう?」

「いいえ、ちがうわ」


きみは、いつの間にか僕の隣りにいた

こころの準備も間に合わずに

ぼくの顔がとける、くずれる、ゆがんでしまう


きみが思い出になってから

果てしなく長い月日がたったというのに

あの日と何も変わらない  

きみの肖像、きみの声


「楽譜はあなた自身が演出したのよ、ロマンチストさん」



ぼくは顔をふせた

叫び出したい衝動をこらえた

口がキッと引き結ばれて、目じりが下がって

涙が、涙が、止まらなかった


こんなに泣いたら、

涙が、からだの継ぎ目からしみこんで

全部全部湿気しけらせてしまうよ


そう訴えたいほどに

ぼくのうちに、きみの元素があふれている


錆びついて動かないと思われた、こころの奥底に

こんなにも、こんなにも

きみが潜んでいたなんて…………


やっと、振り絞るように声をつむぐ


「ねぇ、そちらに行くまえにもう一回、この曲を弾いていいかい?」

「ええ、どうぞ」


ぼくは泣きながら笑って

またテーブルを叩き出した


いや、これは漆黒のピアノだった

音色が本物かどうかなんて関係ない

きみに奉げるために

ぼくは、弾く


これが、

最後の願いになるなんて……


さあ、もう一度

アンコールはないけれど

聴衆も拍手もないけれど


おどる、おどる、きみのメロディ

まわって、まわって、夢みたあとで

はねて、はねて、あと少しで

壊れる、壊れる、ぼくのからだ


ラリラリ、ラリラ

ガタガタ、ピシシ


タラリラ、タッタラ、ラ

ミシミシ、ゴリゴリ


手は、鍵盤をすべってゴトリと止まり

足はペダルをふんで固まり

突如、メロディは途切れる


再び下を見れば

床に散らばっていた楽譜は

真っ白な羽根になっていた


ふわりふわりとふりつもる

先ほどまで、ぼくだった鉄くずの山に



ジャーン!



幕は降りた

ぼくの喝采、ぼくの出発


おずおずと、きみの手をとる

愛しいそれに、キスをする


さあ、連れていってくれ

今度こそ

決して、その手をはなさないから


星のかがやき、宇宙そら帆船ふね

はじまる祝祭、生命の舞踏


ぼくときみは、とけあって

新たな星へと歩みだす


可能性の飛翔

それは、二人のリズム


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る