第21話 蘇り(3)
◇
「ちょっとあん――ア、」
「アアアァア゛ァァア゛――!」
無防備に僕の目の前へやって来た女の、そのお喋りな口に僕は遠慮なくナイフを突き刺した。
響き渡る絶叫。
しかし一瞬にしてその金切り声も僕の耳には届かなくなる。
代わりに続くのは、何かが泡立ち破裂する忙しない連続音。
女のまだ無傷の声帯が大仰に痙攣し、それに合わせて口内に溢れる血液がぶくぶくと沸騰している。
女が口を閉じようにも僕のナイフがいまだその場所を占拠していて、自らの口内を瞬く間に満たす赤にどうすることもできない。
だらしなく顎を伝い始めたその血の海に内側から溺れるのも、時間の問題だろう。
……仕方ないなあ。
まるで聞き分けのない子どもを宥めるかのような穏やかな心情で、僕は女からナイフを引き抜く。
その動きに引き寄せられるように前のめりになった女の口からは、決壊したダムのように勢いよく血が噴き出した。
舗装された地面がしとどに禍々しい赤に染まっていく。
そして女は自らが作り出したその血だまりに、受け身も取らず顔面から突っ込んだ。
「ア゛、ア、ァァ」
足元から漏れ聞こえてくる呻き声。
地面に擦りつけられたその顔がどうなっているのか確認したくて、僕は女の身体を足で仰向けに転がした。
蒼白ながら、自らの血液に埋もれまさしく血色のいい顔面に、白目をむきピクピクと痙攣するまぶた。そして開きっぱなしの口。
顎が外れたのかもしれない。
上を向いたことで女の口内に再び血液が溜まっていく様が、開放的になった両唇の間からよく見える。
さて、次は胴体だ。
とりあえず顔の方は放置し、次の作業に取り掛かることにする。
それにしても、なんだってこんな服を着るんだろうか。
夏の終わりの時期の、しかも夜にもかかわらず、無駄に露出度の高い身なり。
季節外れの上に年齢不相応なそれに、僕はこうせせら笑う。
「お望み通り、腹の内まで露わにしてやるよ」
もちろん物理的に。
すでに血に濡れたナイフを女の腹に突き立てる。
そのまま鍵を回すように、柄を握る手首をひねった。
みるみるうちに赤く染まっていく服。
胴体にこじ開けたその隙間からさらにナイフを押し込み、それを横向きに倒すと今度は内側から皮膚に刃を立てていく。
まったく、あのクレイジー野郎が死体を傷つけようとしないせいで、活かせるところがないじゃないか。
芸術と称し、いくつもの死体を綺麗に、そして清潔に保存・展示していたあの男を思い出す。
せっかく死体に出逢ってから初めての趣味の実践だというのに、これじゃあ今までとなんら変わりない。
そう嘆息した、次の瞬間。
「ギャハハア゛アァア゛ハッハハハハ!!」
耳をつんざくような哄笑が辺りに前触れなく響き渡った。
「――は?」
それは、あの女の声とは完全なる別物だった。
脳髄を直接侵食してくる、そのはち切れんばかりの音は、言うなれば有象無象の男女の声が混じり合ったそこに、さらに黒板を爪で引っかいたようなノイズがかった不気味なもので。
思わず手を止めた僕の顔に、笑い声に合わせて痙攣する女の腹から血飛沫が飛び散ってくる。
目の前にいる
こいつ、は
あの女の
はず、
で。
――いや。
こいつは、誰だ?
腹の底がすっと冷えるような感覚に気づかないふりをしながら、いまだ笑い続ける女の顔がある方へ――あるはずの方へ視線を向けようとした、ちょうどそのとき。
「そんな簡単に人を殺せるわけがないに決まってんだろ?」
それまでこの空間を震わせていた笑い声が一瞬にして止み、続いて何者かの声が僕の鼓膜を揺らす。
その言葉に合わせて動く口は、確かに先程僕がナイフを突き刺したはずの場所で。
それなのに今はそこにあったはずの傷痕も血痕も一つ残らず消え失せていて。
「そうか。あの頃のお前は、お前自身が暴力に対して抵抗することをしなかったからな。だからお前には分からないのか。
他人に攻撃されりゃあ必死に抵抗する。これ、常識だぜ?」
口角を上げてほくそ笑むその唇が紡ぐ声に聞き覚えがあることなど信じたくなくて。
だけど自分の身体がまるで自分のものではないみたいに重たく動かなくなったこの状態で、自らの耳をふさぐことも叶わなくて。
口元に向けていた視線を少しずつ上へ上へとずらし、その顔全体を視界に捉えたとき。
「だからお前には俺は殺せないんだよ」
そう言って僕を
それはたとえ死んでいても殺したと願う、僕の父のものだった。
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