第11話 お呼ばれ(2)

 男のお誘いに否応なく肯定させられた後。

 その僕の答えに満足したのか男はスーツケースに死体を詰め込み始めた。

 それをただ眺める僕に、今頃になって男にやられた頭の痛みが襲ってくる。


「――痛っ……」


 たんこぶはまあできるとして、鏡がないから分からないがどうもこめかみ辺りを切っている気がする。

 試しにそっと手を触れてみると。


「あーやっぱり」


 ぬるり、と。

 指先にまとわりつく不快な感触が。


 さすがに僕も血を見ただけで、なおかつ自分の血液に「わあい血だ」などと興奮するような輩ではない。


「誰かさんがエキサイティングしたせいで」


 とりあえず犯人である男に非難がましい目線を送ってみるのだが。


「あ? なんだ?」


 男は死体をスーツケースに詰めながらいかにも興味なさげだ。

 反応はしたものの、こちらを見向きもしない。

 おそらく今、男の頭の中の大方が、いかに死体の身体を傷つけずにスーツケースに収めるかという問題で占められているのだろう。


 しかし、しっかりと手袋をはめた両手で死体に触れながら、時折思い出したように笑い声を漏らすのは止めてほしい。

 正直気持ち悪い。


「別になにも」

「てか俺も、お前のせいで腕から流血したんだからな」


 聞こえてるんかい。


 作業を中断し、ほれほれと自らの左腕を見せつけてくる男。

 そこには知らぬ間に白い布が巻かれており、血がにじみ出している。

 というかそれは僕の正当防衛であって決して過剰防衛ではない、はず。


「まあ俺はぜーんぜん気にしてなんかないけどな? なんたって俺の心はマリアナ海溝なみに広いんだからな?」

「いやマリアナ海溝は広いじゃなくて深いだ――」

「はー! まったく最近の若者はノリが悪いなあ! こんなんジョークだろジョーク! さらっと流せよ」

「……………………」


 あー殺したい。今すぐ。直ちに。


「とりあえずそこら辺に俺の血液落ちてるだろうから、これで拭いてこい」


 そう言って唐突に新たな白い布を取り出す男。

 これでも男のハチャメチャぶりには短時間でよく付いていけている方だと思う。

 僕は不平不満を言うでもなくそれを受け取り、男とガチンコした辺りへと移動する。

 

 身体の不調はどうも落ち着いたようですんなりと動くことができた。

 我ながら自分の回復力にあっぱれだ。


――まあ、昔に散々慣れさせられたからとも言えるわけだけど。


 ひとまず、男の腕にぶっ刺したときに取り落とした自分のナイフを回収。

 そこにももちろん男の血液が付着している。

 それを拭う前に、僕は自分のこめかみに布を押し当てた。

 ついでにこちらの血も拭かせてもらおうというわけだ。


「あーちなみにお前」


 仰せのままに床に散らばる血液を拭きとっていたところ、男が前触れなく声を発する。

 ヤツがいつも突然であることはこの短時間で嫌というほど経験したつもりだったのだが。


「今日は帰さないから」

「…………は?」

「ん、なに? 今のじゃ満足しない? 仕方ねえなあ」


 こちらの返答を聞く素振りも見せず、ごほんと咳払いをする男――そして。


「今夜はお前を帰さない」


 いやどこぞの少女漫画だよそれ。

 しかも声音まで低くしてなりきってくるあたり、この男は人をイラつかせる才能があると思う。


「いやーなんというか今日が金曜日だからといってさすがに外泊は許されないっていうか、そもそもうちは外泊なんて言語道断というか――」

「こんな徘徊野郎のうちが厳しい家庭なわけあるか」


 おっしゃる通りで。


「……分かったよ。ちょっと電話かけるから」

「お? 連絡するとは意外といい子ちゃんだな。ママンか?」

「……妹」

「ハッ! シスコンか!」

「ちがう」


 男に冷ややかな目線を向ける。


 そもそも僕の家族は妹だけで。

 他に関わりがある親類は、未成年である僕らの保護者というか、実家であるうちにたまに訪れる独身の叔父くらいだ。


 スマホで妹の名前を呼び出す。

 なんだかんだ二人分の夕食の準備も済ませているだろうし、きっと怒鳴られるに違いない。

 内心ため息をつきながら画面をタップする。


 一回、二回、三回、……と続くコール。

 しかし一向に妹が出る気配はない。

 試しにもう一度電話をかけてみるも結果は同じ。


 僕は一人首を傾げた。

 そもそも夜になっても僕が帰宅しない時点で、逆に妹から早く帰ってこいという催促の連絡が来ていてもおかしくはないのだが。


 まあそんなときもあるか、と。

 あまり深くは考えず、仕方がないのでメッセージだけを残すことにする。


 『今日は友だちの家に泊まってくる』……っと。


 自分で書きながら、その文面に思わず軽く噴き出す。


――僕のって、誰だそれ。


 僕は今まで“普通”であるがために、もちろんクラスメイトとはそつなく関係を築いてきたけれど。

 友だちというものを作った記憶はなかった。

 そういった関係は面倒以外の何物でもない、と。


 そして僕という存在がいかに“普通”であるかを示すのは、たとえ妹相手だとしてもぬかりない。

 妹は僕の本質も、そしてどうやって今の僕が出来上がったのかも、何も知らないし知る必要もないのだから。




「――さてと」


 そこで男がスーツケースを転がしながら、僕の目の前にやってきた。


 その中には、あの死体が入っている。

 男曰く、自らお亡くなりになってもらったという人間の死体が。


 男は嫌らしく舌なめずりをすると、嬉々とした表情でこう言い放った。



「俺のを見せてやるよ」


 

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