第3話紳士は演出をよく好む
もしも彼女が何かしらのストレスを抱え込んでいなければ、もう少し冷静な判断ができたかもしれない。どう考えても見知らぬ男に夜道で声をかけられて、立ち止まって良いわけがない。
もし彼女が正しい判断ができていればこの後自宅に帰り、暖かい布団で眠りにつきまた新しい明日を迎えられていただろう。もしかすると幸せな余生が待っていたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
私は彼女の肩を抱きかかえ、例の雑居ビルの階段を上がっていく。
「ここなんです。看板は出ていないけど、中はちゃんとBARになっているんですよ」
そう言ってドアノブに手をかける。
「おや?」
ドアには鍵がかかっている。
「おかしいな、今日はやっているって言ってたんだけどな。買い出しにでも行ってるのかな」
そう言って郵便受けの下をまさぐって鍵を取り出す。
「あったあった。友人はいつもここに鍵を隠してるんですよ。内緒ですよ」
そう言って微笑むと、相手もつられて笑う。もちろん、ここまで全て私が仕組んだことだ。
演出。
ドアを開けて中に入ると、私の自慢の内装が広がっている。大抵の獲物は見とれる。女性の好む内装というのを、実はかなり研究した。
小物からBGMに至るまで。
なるべく最低限のアイテムで再現できるようにシンプルかつセンスの良いものばかりを選んだ。
「友人が帰ってくるまで僕がバーテンをやりましょう。どうぞ、上着をかけて、カウンターに座ってください」
「素敵なお店。アタシ、こういう雰囲気ってとても好きだわ」
それはありがとう。思わず口にしてしまいそうになる。
「一杯目はおまかせするわ」
「良いんですか?」
「どうして?」
「一杯は僕の奢りだけど、それ以降は自分で払うんだから、よく考えないと」
彼女は驚いた顔をして、すぐに吹き出し陽気に笑う。
「もちろん冗談ですよ」
「まあ、とっても意地悪なのね。アナタって本当に変な人。変わってるわ」
「それはどうも」
そんなやり取りの合間にレコードを流し、自慢の一杯をグラスに注ぐ。
「どうぞ」
「ありがと。いただきます」
彼女はグラスに口をつけ、ゆっくり微笑む。
「美味しい」
「よかった」
「ねえ。お友達、随分遅いのね」
彼女がタバコに火をつける。
「そういえば、一体どこまで買い出しにいったんだろう」
私はすかさず、灰皿を彼女の前におく。
「ありがとう。ねえ、本当はここアナタのお店なんじゃない」
たまに、こういう風に勘の鋭い獲物もいる。
「どうして?」
「だってアナタ、随分手馴れてる。それに」
「それに?」
「ここの雰囲気が、何だかアナタ自身ととても似ているのよね」
まいったな。今夜の獲物は名探偵だ。
「仮にここが僕の店だとして、なぜ僕は友達の店だなんて嘘をつく必要が?」
努めて冷静に問い返す。
「初めて会った人に自分の店に来ないか、なんて言われて、ついていく女はそうそういないわ」
「うん。確かに」
僕は彼女の目をまっすぐに見て、こんな風に問い掛けた。
「じゃあ僕は、これからそうするつもりで貴女をここに連れてきたと思う?」
彼女は煙をくゆらして、再び考える。
「うーんそうねえ」
頭の良いヒトなのだろう。考えている横顔が実に美しい。もっとも、ユリには遠く及ばないが。
「まあアナタってとても変わっているし、もちろん身体も目的のひとつなんだろうけど。それだけじゃなくて、こういうプロセスも楽しみのひとつにしてるんじゃないかしら」
「すごいや。大当たり」
そう言うと彼女は、子供のようにまたコロコロと笑った。
「やだ。本当におかしなヒト」
「まいったなどうも」
彼女の警戒心は今、ほとんどゼロに近い。
「まあ確かにアナタの言う通りではあるんだけどひとつだけ」
「?」
カウンターの下にはいつも愛用している様々な道具たちが置いてある。
「貴女の言う『身体が目的』っていうのは僕にとって言葉は同じでも、少し意味が違うんだけどね」
そういうやいなや、私は今まで何人もの獲物を仕留めてきた愛用の金槌で一撃の元、彼女の意識を奪い去った。
私はカウンターを飛び越え彼女に駆け寄る。床に倒れこみピクピクと動く彼女の顔を覗き込み私はこう付け加えた。
「性的な意味で身体を求めていたんではなくて、食欲的な意味で貴女の身体が目当てだったんです」
そうして次の一撃で、彼女の魂を完全に奪い去った。
ザシュッ
ザシュッ
ザシュッ
肉を切り分ける音が室内に響く。
ザシュッ
ザシュッ
肉切り包丁とノコギリがあれば素人でも簡単に切り分けられる。
不要な部分はバラバラに廃棄しなければならないし、一度に多くは食べれないからある程度保存用に処理をしなくてはならない。
髪の毛や内臓は川や海に細かくばら撒いてしまえばいい。問題は骨だ。骨は簡単に捨てれない。だがそれも、長年の経験で解決策を見出した。
中華料理屋やラーメン屋。これらの店はスープの出汁をとる為に豚骨や鳥の骨を沢山使う。使うという事は沢山捨てる。ここらのゴミを捨てる日を覚えておいて、深夜か未明にでも少しずつ紛れ込ませて捨ててしまえばいい。
ゴミの中に忽然と人骨が出てきたら騒ぎになるが、豚骨の中に人骨があっても誰も騒がない。骨になってしまった彼女を、誰が豚の骨と見分けられよう。
完璧である。
どうしてこんなしち面倒臭いことをするのか。獲物を切り分けながらそんなことを考えていた。夜道で後をつけ、人気のないところで襲えばいい。その方がずっと簡単だ。
わざわざ部屋まで借りる必要はない。回りくどい演出だってなくても構わない。そうなのだ。自分でも解っている。欲望を満たすだけならただ簡潔に仕留めれば良い。確かにそうなのだ。でも違う。
それじゃあ、ただの殺人鬼。ただの殺人狂じゃないか。私はそういった下賤な輩とは違う。
諸兄各々方からすれば似たようなものかもしれないが決してそうではないのだ。少なくとも私の中では。私は自分の行いに誇りを持っており、そしてこれを生き甲斐として心から楽しんでいる。それらは下準備の全てと、直前までの彼女たちとの会話にまで及ぶ。
全てが、私にとって楽しみなのだ。
全てが、愛おしいのだ。
だからこそ最後まで、緊張感をもって事を運んでいる。そして最後まで、彼女たちに感謝をしている。私は確かに彼女たちの魂を奪っているが、同時にこの瞬間はとても愛している。かつてない程の愛を感じ、そして失った事に涙する。
とは言えゆきずりの関係でしかない事実もあって、しばらくすれば顔もおぼろげになる。
証拠はこの独白の手記以外、何一つ残さない。
刹那にして最大の恋愛。忘れてしまうからこそ、瞬間を大切にし心から愛してやる。彼女たちが幸せかどうかは解らないが、今この瞬間も私はとても幸せだ。
さて、どうしたものか。
今回はナンプラーでも使って、少々東南アジア風に調理してみようかな。
ナンプラーで角煮風に煮込んでみるのはどうだろう。
この女は確かタイ料理が好きだと言っていたからなあ。
こうして私はユリとの逢瀬までの長い長い時間を、なんとか平穏無事にやり過ごすことができた。
平穏というのは私の心中の事で無事というのはもちろん私自身のことなんだが。
とにかく尊い犠牲を払い、私は内心少しだけ穏やかさを取り戻した。
つづく
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