第2話 紳士はソレを、我慢できない

ユリから食事の誘いがきた。


「こんなカタチになってしまったけれど、一応は解決したので相談に乗っていただいたお礼に食事を奢らせて下さい」


という内容のメールだった。


私は自分でも驚くべき指先の速さで返信メールを作成した。あまりの興奮で誤字脱字が多く見られたがそんなことは微塵も気にしなかった。内容は長文な上にごくありきたりでツマラナイ。それ故、ここでは割愛させてもらうが、とにかくいつでもオーケイだということを伝えた。


ユリとの予定に際して、これ以上の優先事項は私の予定に存在しない。その後のやりとりで十日後の金曜に前回食事したイタリアンレストランで、という事になった。それにしても十日がこれほど長く感じるなんて私の人生では初めてかもしれない。


私は我慢できるだろうか。


もちろんできなかった。


十日後に逢瀬を控えているのだが考えてみれば十日後にユリと最後まで進展する事はできないだろう。確かに私は彼女を深く愛しているが、彼女はそうではないかもしれない。


否。


もし仮に彼女にも私を愛する気持ちがあったとしてもそれはまだ、成長途中の感情だろう。熟していないのだ。彼女にとって今はまだ、感謝の気持ちの方が大きいと思われる。


二人にはもっと時間が必要だ。むしろここからが恋愛の醍醐味。


私は、はやる心を叱りつけ冷静になろうとした。しかし一旦走り出した肉欲と食欲がそう簡単に止まれるはずもなく、私は気が狂う一歩手前だった。


仕方なく私は一時的にこの欲望を抑える為に狩りに出掛けることにした。以前私が、当局の目を晦ます為に独自の手法で狩りを行っていると言ったのを憶えているだろうか。


ではここで、その方法をお教えしよう。


断っておくが以下の準備を私は一種のライフワークとしている。一朝一夕で用意したものではなく日々、少しずつ積み重ねていったものだ。全ては、抑え難い欲望を満たす為。私なりの愛を、表現する為。


まず、自分の家からはなるべく離れた場所に部屋を借りる。少なくとも同じ路線上にあってはダメ。駅からは遠過ぎず近過ぎずの場所を選ぶ。


さびれた雑居ビルの3階辺りが理想的だ。狭いとこで構わない。どうせ直ぐに引き払うわけだから日当たりも気にしなくて良い。ひとまず格好がつくくらいの種類の酒と、いくばくかのグラス。ソファーや椅子、灰皿なんかも二、三個ほど用意した方が良い。選曲センスの良いアナログレコードと柔らかな間接照明も忘れずに。


これら全ての準備が整ったら、その付近で遅くまでやっているBARを探す。できれば何件か候補を見つけておいた方が良い。下見に店に入っておく事も大事だが、あまり通って顔を覚えられてはいけない。BARの店員というのは人の顔を覚える事に長けているので注意すべきだ。せいぜいふた月に一回行くか行かないか、くらいで良いだろう。


もしも店員や常連に


「あれ?アンタ前に見た事あるなあ。」


なんて言われようものなら直ぐさまその店から立ち去る。そしてもう二度とその店にはいかない。まあとにかく、BARにいるのはごく短い時間だ。長くて二時間くらい。そこで獲物をじっと待つ。ただ静かに。


飲む酒はなんでも良いのだがこれも印象を残さない為になるべくバラけた注文をする。変に玄人ぶった物も頼まない。


これらの条件をクリアし、ようやく席に座る事が出来る。


あまり大した味ではないソルティドッグをカウンターの隅で舐めているとドアが乱暴に開く音がする。足元のおぼつかない若い女が入ってきたら今日の品定めが始まる。若い女が正体を失うまで酒を飲んでいるのは大体嫌な事があった時だ。そしてそれは、得てして男絡みの事が多い。そういう時の女は、別の何かで心の隙間を埋めたがる。酒か、もしくはゆきずりの男。あるいはその両方。そういうのが狙い目なのだ。


今夜の獲物が決まった。


ベロベロに酔った女は長居をしない。


まず、トイレに立つフリをしてさりげなく女の鞄やジャケットのポケットにGPSの発信機を仕込む。これは非常に繊細かつ重要な作業で、周りに気付かれてはいけないし本人にも悟られてはならない。ここをクリアすれば後はいとも簡単に進んでゆくのだが、逆にここで失敗すれば全てが水泡に帰す。それどころか、下手をすれば当局の手によって芋づる式に私のこれまでが暴かれかねない。若い女にGPSの発信機を仕掛ける男なんぞ、現行犯逮捕まちがいなしだろうから。


ま、とにかく。


GPSの発信機を仕込む事に成功した後はしばらく待つ。獲物が席を立ち、フラフラと千鳥足で家路につこうとするその瞬間まで。獲物が外へ出てもすぐに後を追いかけてはいけない。店の人間が不審がるし、獲物が戻ってくる可能性もある。


だいたい10分くらい間隔をあけて、スマートに会計をして店を出る。ここでようやく受信機を取り出して現在地を確認する。


いた。


獲物だ。


駅の方へ歩いている。よりヘベレケになっている獲物をあえて狙うのはこの時の為だ。酔っていると歩く速度も遅いからすぐに追いつけるし、判断力も鈍っているから誘いにも乗り易い。


だがどうやって声を掛けるのか?いきなりナンパの様な事をしてはいけない。いくら酔っていても相手は一瞬で警戒心を抱いてしまう恐れがある。


ごく自然に。偶然を装い。


ここでまず2つの小道具が必要となる。


1つ、小さい小瓶に入った水。これは霧吹きの代わり。汗の演出として使う。ここまで走ってきた事を相手に認識させる。私はワザと聞こえるくらいの足音を立てて、獲物に近づく。そして少し離れた距離から声をかける。


「すいませーん、あの、アナタちょっとゴメンなさい」


なるべく柔らかな物言いで。


「!?」


幾ら酔っ払いと言えど夜道でいきなり声をかけられれば警戒する。


「ゴメンなさい。ハァハァ、いや走ってきたもので、ハァハァ。ちょっとすいません」


「なんですかアナタ?」


この時点で相手はかなり怪訝な表情をしている。


「ああ失礼。アナタ、先ほど◯◯というBARにいらしてましたよね?」


「はい?ああ、まあ確かに」


とくる。


「ああ良かった。コレ。落とし物じゃないですか?ハンカチ」


小道具その二。ブランドのハンカチ。センスの良いデザインの物である。


「えっ?」


獲物は当然困惑する。なぜならこれが彼女の物であろうはずが絶対にないからだ。私が一カ月ほど前に中古ブランド品の販売店で買ったもの。中古とはいえ、奮発した。ここでの反応は二種類に分かれる。


パターンA


「いえ、それはアタシのじゃありません」


正直かつ平凡な答え。八割がこう答える。


しかし残りの二割はこうだ。


パターンB


「あーっ、良かったぁ。アタシったら忘れてたんですねえ」


と、我が物の様に鞄にしまうウソつきタイプ。どちらにしたって真実はこちらの手の中にある。


獲物は罠のすぐ手前まで来ている。


断っておきたいのはこの時の彼女たちの選択が今後の運命を左右するのか?という諸兄の疑問に関してだ。その答えはもちろんノーである。どうあがいても最後に行き着く場所は同じ。


とにかくここでどうであれ、次のステップに進む。今回の獲物は正直者だったようだ。


「いいえ。アタシのじゃありませんよ」


と困惑顏を続けている。


そこで


「そんなあ」


とへたり込み、ぜえぜえと息を切らしてみせる。


「ウソだろ、まったくピエロじゃないか」


「考えてみればおかしな話だ。あのBARで貴女が出ていった後にハンカチが落ちていたからって、何もその人の物だっていう確証はどこにも無いじゃないか。それなのに!」


「嗚呼、僕はまったく愚かな男だ。くだらないミスばかりしてる。嗚呼。本当にくだらない」



そんな一人芝居を矢継ぎ早に目の前で繰り広げると、大概はあっけにとられてしまうものである。


口が開いて塞がらない獲物に、僕は精一杯の哀れみを帯びた視線で訴える。


「ごめんなさい。もう行っていただいて結構です。足止めをしてしまって申し訳なかった」


「はあ」


自分の身に起こっていることが理解できない。皆そういう顔をする。もちろんそれが狙い。


「もうこうなってしまったから本音を言いますが。僕はあのBARで貴女を見かけてから何か話かけるとっかかりはないものか、とずっと探していたんです」


「けれどもこう見えて素面だと口下手でして。勢いをつけようと何杯かあおっているウチに貴女はいってしまった」


「そうしてオロオロしていたら床にハンカチを見つけた。何故かコレを見つけた瞬間に絶対に貴女の物だと思い込んでしまった」


「どうしてでしょうね。僕は多分、貴女との繋がりを必死に探していたからかもしれません。きっと別の誰かの落し物だ。いや、突然こんなことを言ってすみませんでした」


そう言って地面から立ち上がり、今度は一変して紳士的に振る舞う。獲物は完全に僕のペースの中にいる。


「本当に申し訳ありませんでした。駅まで送りましょう。すぐそこだとは言え、夜に女性の一人歩きは何かと危ない」


そう言って微笑んでみせる。


「いえ、結構です。それにもう電車は終わってしまいました。タクシーで帰りますので」


「ああ、なんてことだ。僕が足止めしてしまったからだ。何もかも僕の早とちりのせいだ。せめて、せめてタクシー代を出させて下さい。それぐらいはさせて下さい」


そうやって自らの懐に手を入れる。現金で解決するという方法を日本人はとかく嫌う。本当は大好きなクセにだ。


建て前、というやつが邪魔をしてるだけかもしれないが皆途端に恐縮がる。


「いえいえ、なにもそこまでしていただかなくて結構です。元々タクシーで帰ろうと思っていたんですから。本当に気にしていただかなくて大丈夫です」


「だとしても、貴女の貴重な時間を見ず知らずの男が奪って良い理由はありません。お金で解決するというのは正直気が引けますが、こうでもしないと引っ込みがつきません」


グイグイと、私のペースにもってゆく。あたかも自分に非がある様に思わせる。


ここらで万札を二枚ほど取り出すと、相手は絶対に受け取らない。たかだかこんなことで、おいそれと受け取って良い金額ではないからだ。


「本当に本当に、止して下さい!そんな事をしていただく覚えはありませんから!」


と普通は頑なな反応を示す。私も引き下がらない。


「困ったな。駅にも行かないしタクシー代も受け取ってもらえない。でもそうなると僕は一体どうすればいいんでしょうか。このままだと本当にただの間抜けで終わってしまう」


そうしてしばらく考えるフリをする。答えは最初から決まっているのに。どう足掻いたって一つの答えに辿りつく様に誘導しているのだから。


「あ、そうだ。それじゃあひとつ、僕から提案させて下さい」


あたかも今、思い付いたかの様に。


「なんでしょう?」


獲物はまた少し怪訝な顔付きをする。


「そう疑わないで下さい。見た所随分酔いも醒めたようですね。この近くに友人が経営しているBARがあって、遅くまでやっているんです。そこで僕に一杯奢らせてくれませんか」


さて、ここまで言っておいてなんだがおそらく皆さんは


『おいおい。いくらなんでもそんな方法で着いて行くヤツがいるもんか』


と、お思いだろう。


ごもっとも。我ながら実に稚拙な手段だ。だが、心に隙間が空いている人間というのはいつだって、一見そうとは見えなくてもその実強引な押しというヤツにとても弱い。その物言いが柔らかであればあるほど、ぐいぐいと押されれば断れないのだ。


現に私は、ほとんどやり方変えずにもう20人以上を手中に収めてきた。失敗はない。


そして今日も哀れな獲物は、少し考えた後に黙ってうなずいた。


どうやら今夜も、獲物にありつけそうだ。


つづく

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